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忌野清志郎 〜その大いなる足跡〜
1951年4月2日
東京都中野区にて生まれる。
1966年
ベンチャーズのコピーバンドを経て、同級生の小林和生、破廉ケンチと共にRCサクセションの前身となるバンド、「ザ・クローバー」を結成。
1967年
卒業式の謝恩会にて初ステージを踏むも、高校進学により一時的に「ザ・クローバー」は解散状態に。清志郎、小林は上級生をメンバーに加えて「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」として、喫茶店などでライブを行う。
1968年
再び破廉ケンチを迎え入れ、ここに「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバーズ・サクセション」が誕生する。
1969年
当時の人気番組、TBSテレビの「ヤング720」のオーディションに合格、「RCサクセション」として出演を果たす。演奏曲は「どろだらけの海」。
東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションに合格、出演。この模様は東芝音工から実況録音盤としてリリース、『どろだらけの海』が収録され、デビュー前の貴重な音源となる。
1970年
3月『宝くじは買わない』(c/w「どろだらけの海」)で東芝音工よりデビュー。12月2ndシングル『涙でいっぱい』リリース。渋谷・宮益坂付近にあったライブハウス、「青い森」が活動の拠点となる。
1971年
ホリ・プロダクションに所属。「青い森」に出演していた「古井戸」の仲井戸麗市と出会う。
1972年
2月、シングル『ぼくの好きな先生』、アルバム『初期のRCサクセション』リリース。スタジオ・ミュージシャンの演奏による録音に差し替えられていることに不信感を覚える。
『ぼくの好きな先生』のヒットにより、RCサクセションの名が知られるようになる。7月にシングル『キミかわいいね』、12月には『三番目に大事なもの』、アルバム『楽しい夕に』と、この年はリリースラッシュ。
TVK「ヤングインパルス」にレギュラー出演。
1973年
フォークのニューミュージック化が進む中、楽器をアコースティックからエレキに持ち替える。
友人の井上陽水と共作した『帰れない二人』『待ちぼうけ』が収録された井上陽水のアルバム『氷の世界』が日本初のミリオンセラーに。RCとしては不遇な時期になりつつあったが、清志郎は多額の印税を手にし、ハモンドオルガンなどを購入。
初のMOOK『RCサクセションのすべて』発売。
1974年
所属事務所内でのトラブルもあって、ほとんど仕事のない状態が続く。年末にワンマンツアーを行うも集客が悪く、途中で公演中止の憂き目に。練習の日々。
1975年
鬱屈した状態のなかで、事務所には秘密でレコーディングを開始。ポリドールに移籍。
1976年
1月にシングル『スローバラード』発売。しかし当時は全く売れなかった。4月、アルバム『シングル・マン』発売。後に名盤として高い評価を受けるこのアルバムも、この時点での評価は低く、発売後間もなく廃盤。10月、シングル『わかってもらえるさ』発売。
ライブ活動は、矢沢永吉、井上陽水らの前座を務める程度にとどまる。
1977年
1年前からほとんど舞台には出ていなかったギターの破廉ケンチが正式脱退。それでもコンスタントな活動を持続。
1978年
フォーク・デュオ「古井戸」の仲井戸麗市が掛け持ちでサポート・ギターとして参加したのに加え、「カルメン・マキ&OZ」のギタリスト・春日博文、「ミスター・スリム・カンパニー」などで活躍していたドラムの新井田耕造を迎え入れ、いっそうのエレクトリック志向を打ち出す。またこの頃、ボブ・ディラン、デビッド・ボウイ、KISS、ローリングストーンズらの影響もあって、メイクを始める。渋谷の「屋根裏」を拠点にセンセーショナルなステージを展開。
1979年
7月、シングル『ステップ!』発売。RCサクセション名義だが、演奏は全てスタジオ・ミュージシャンによるもの。しかし評判は得る。
春日博文に代わって小川銀次、キーボードに原田真二のバックなどをしていたGee2wooが参加。「ジョニー、ルイス&チャー」の武道館公演の前座や大晦日の「浅草ロックフェス」に出演し、客席を総立ちにさせる。また廃盤になっていた『シングル・マン』の再発実行委員会(吉見佑子氏ら)が発足され自主制作ながら再発がかなう。
雑誌の対談企画でジェームズ・ブラウンと対面するなど、バンドの活動範囲が広がる。
1980年
1月、シングル『雨あがりの夜空に』発売。発売記念として行った4日間にわたる渋谷「屋根裏」でのライブは「屋根裏」の動員記録を更新する。
4月、今は無き久保講堂でワンマン・ライブ“LIVE!!RCサクセション”。この模様は収録され、6月にライブ盤『RHAPSODY』となって発売される。
5月に『ボスしけてるぜ』、10月に『トランジスタ・ラジオ』の2枚のシングル、そして12月にはアルバム『PLEASE』をリリース。チャート上位に登場するようになる。
久保講堂でのライブ終了後、ギターの小川銀次が脱退、Gee2wooは正式加入し、忌野、小林、仲井戸、新井田、Gee2wooの5人でメンバーが固定する。
1981年
5月の日比谷野外音楽堂2日間公演“Please Rock Me Out”の即日完売を始め、全国ツアーは大盛況。夏の各イベントではメイン・アクト、トリを務めRCの人気は決定的なものとなる。
年間100本近いライブを行い、12月24日にはこの年より恒例となる、日本武道館単独公演を行う。11月『BLUE』発売。
RCの単行本、「愛しあってるかい」が発売。
1982年
2月、資生堂のキャンペーン・ソングとして坂本龍一と組んでリリースしたシングル『い・け・な・いルージュマジック』がチャート1位を獲得。RCサクセションはロンドン・レコードに移籍、自身のレーベル「BARCA」を設立。
5月、品川プリンスホテルにて雑誌「ビックリハウス」主催によるイベント“ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会”に、へンよいバンドとして出演。
8月、チャック・ベリー、サム・ムーアらを招きイベント「THE DAY OF R&B」開催。その模様は、12月発売のアルバム『THE DAY OF R&B』となる。
9月から年末まで、全国ツアー“ON TOUR’82”。
6月、『サマーツアー』、12月『つ・き・あ・い・た・い』のシングル・リリース。10月にはアルバム『BEAT POPS』発売。またRCのホーン・セクションを担当していた梅津和時率いるどくとる梅津バンドとのコラボレーション・アルバム『DANGER』を11月に発売。
1983年
多忙な生活がたたって体調を崩し、前半はライブ活動を抑える。ハワイにてレコーディング、6月にシングル『Oh!Baby』、7月にアルバム『OK』、11月には三菱自動車ミラージュのCF曲である『ベイビー!逃げるんだ。』をリリース。清志郎自身もCMに出演する。
6月からのツアー“SUMMER TOUR’83”より、渋谷公会堂における2日間のライブの模様を収めた2枚組のアルバム『THE KING OF LIVE』を12月にリリース。
詩集『エリーゼのために』、写真集『RCサクセション写真集』発刊。
この年は、RC以外にどくとる梅津バンドとのユニット、DANGERや春日博文とのユニット、ガラムなどRC以外での活動も目立った。
1984年
ロンドン・レコードから東芝EMIに移籍。
4月から7月まで全国ツアー“SUPER BAD TOUR”。12月より翌年7月まで“TOUR’84−85 Feel So Good”。
7月にシングル『不思議』、11月にはアルバム『FEEL SO BAD』をリリース。昨年12月に日本武道館で行ったライブの模様を収録のビデオ『THE KING OF LIVE』を4月にリリース。
ニューヨークで撮り下ろしたソロ写真集「N.Y.CITY MIND」と、RCの写真集「T Feel Good」発刊。
1985年
所属事務所りぼんを離れ、独立事務所「うむ」を設立。4月西武劇場(現パルコ劇場)にて独立記念コンサート“スーパーエイプリルフール”を開催。泉谷しげる、坂本龍一、矢野顕子、三浦友和らがゲスト参加。8月には西武球場にてワンマン・ライブ。12月より翌年6月に及ぶツアー、“THE GREAT RC SUCCESSION TOUR 1985〜1986”開始。
パルコのCFに、初めてRCのメンバー全員で出演。
4月にシングル『すべてはALRIGHT』、11月アルバム『HEART ACE』、12月にはシングル『SKY PILOT』と、川崎徹の企画・演出によるプロモーションビデオ集『SPADE ACE』をリリース。
写真集「すべてはALRIGHT」(パルコ出版)発刊。DANGERの2ndミニ・アルバム『DANGER II』を7月にリリース。
1986年
単身渡英、12インチシングル『NAUGHTY BOY』制作、4月にリリース。清志郎とJOHNNY,LOUIS & CHARでアニメ「県立地球防衛軍」のサウンドトラック制作、3月にシングル『S.F.』、アルバム『県立地球防衛軍』をリリース。RCサクセションとしては昨年からのツアー、8月の日比谷野外音楽堂公演“4 SUMMER NITES”など、精力的にライブを行う。日比谷での公演の模様は『the TEARS OF a CLOWN』のタイトルで、10月にアルバム、11月にはビデオとしてリリース。秋にはソロ・アルバム制作のため、ふたたび単身渡英。
1987年
イギリスのカルト・バンド「IAN DURY &THE BLOCKHEADS」のメンバーとレコーディング、2月にシングル『AROUND THE CORNER』、アルバム『RAZOR SHARP』リリース。忌野清志郎として新たな一面を見せる。3月にはレコーディング・メンバーを従えてのツアー「KIYOSIRO IMAWANO SOLO TOUR」も行う。このツアー中の中野サンプラザ公演の模様が、『HAPPY HEADS』として6月にリリースされる。9月、2ndソロ・シングル『E−JAN』リリース。
RCサクセションとしては、5月から9月にかけての全国ツアー、“TOURS 1987 GO ON THE ROAD!”、12月の“TOUR OF LOVE 1987”と活発な活動。
週間FMに連載の「忌野旅日記」が単行本化。70年代に書きためていた日記と詩をまとめた「十年ゴム消し」発刊。
1988年
2月、RCサクセションとしては2年ぶり、しかも2枚組のアルバム『MARVY』シングル『NAUGHTY BOY』を同時にリリース。3月より6月、全国ツアー“TOURS MARVY 1988”。その後再びのレコーディング作業で、反戦、反核、反原発などを歌った全曲カヴァーのアルバム『COVERS』を制作。しかし所属レコード会社、東芝EMIは突然の発売中止を決定。8月になってようやくキティレコードから、シングル『LOVE ME TENDER』と共にリリース。話題性も備えたこのアルバムは、オリコン初登場1位を獲得する大ヒットに。
8月、日比谷野外音楽堂で2DAYSコンサート。この模様は12月発売のアルバム、『コブラの悩み』に収録。
FM大阪にて「夜をぶっとばせ!」開始(後にFM東京等もネット)。
1989年
昨年12月から本年7月までの全国ツアー、“HARD TIMES LIVE 1989”では新曲中心のライブを展開。8月の日比谷野外音楽堂における“4 SUMMER NITES”、12月“FAMILY STONE TOUR 1989”など、コンスタントなライブ活動を重ねる。
またこの頃、清志郎に似ているが別人と言われるZERRYという人物の率いる謎のバンド「THE TIMERS」の活動が話題になる。シングル『DAYDREAM BELIEVER』、アルバム『THE TIMERS』を10月にリリースするなど、活発な動きを見せる。
1990年
RCサクセション20周年を記念してのさまざまな企画で盛り上がる中、キーボードのGee2wooが脱退。さらにドラムの新井田耕造も脱退。残る3人で、約2年7ヶ月ぶりに制作したアルバム『Baby a Go Go』と、シングル『I LIKE YOU』を9月にリリース。サポートメンバーとして、ドラムに春日博文、キーボードに厚見玲衣を加え、昨年に続いて8月には日比谷野外音楽堂で“4 SUMMER NITES”、12月には10年連続の日本武道館公演を含む“WINTER NIGHTS TOUR 1990”等を行う。“4 SUMMER NITES”の模様は、ビデオ『ミラクル』として11月にリリース。
4月、東芝EMIによるイベント、“ロックの生まれた日”開催。清志郎は、坂本冬美、三宅伸治、小林和生等とSMIなるユニットを結成し、『パープルヘイズ音頭』『高校3年生』などを披露。この模様は7月にアルバムとビデオで発売される。
単行本「遊びじゃないんだっ」、「日々の泡立ち」発刊
1991年
いよいよRCサクセションが無期限活動休止に入る。事務所は解散し、個人事務所「ベイビィズ」を設立。
映画「ai−ou」の主題歌に『スローバラード』が使われる。建設会社のCFソング『パパの歌』を制作。好評のため、5月にシングルとしてリリース、ヒットとなる。
昨年のユニットSMIの流れを汲むユニット、HISを結成。6月にシングル『夜空の誓い』、7月にアルバム『HIS』、11月には2ndシングル『日本の人』をリリース。さまざまなユニットを結成して夏のイベントに登場する。9月からはメンフィスにて、かつてオーティス・レディングのバックを務めたBooker.T & THE MG’Sの面々とアルバム制作に入る。年末にはファンクラブ主催によるイベントツアー“GO GO 2・3’S”のために忌野清志郎&ニーサンズを結成するなど、依然精力的な活動を続け、新たな面を見せる。
1992年
2月Booker.T & THE MG’Sと制作のソロ・シングル『世間知らず』、続いて3月にアルバム『Memphis』リリース。発売前から期待を集め、プロモーションも今までにない量をこなす。4月にはレコーディング・メンバーを招聘し、“忌野清志郎 with Booker.T & THE MG’S TOUR 1992”を行う。このときの武道館公演を収録したアルバム『HAVE MERCY!』を6月に、ビデオを7月にリリース。『パパの歌』が好評だったため、第2弾CM曲『パパの手の歌』を制作、6月にリリース。
夏にはニーサンズとのレコーディングのため渡英。『いつか観た映画みたいに』が、武田鉄矢監督・主演の映画「プロゴルファー織部金次郎」の主題歌に決まり、9月にシングル・リリース。カップリング曲の『ニュースを知りたい』はTBS系「NEWS 23」のエンディング曲に。11月にはアルバム『GO GO 2・3’S』を発売。秋から翌年の1月にかけて全国ツアー“GO!GO!2・3’S TOUR 1992”を行う。
1993年
1月、ニーサンズの2ndシングル『お兄さんの歌』リリース。ツアー終了後は俳優として映画撮影に臨み、岩松了監督作品「お墓と離婚」で堂々のスクリーン・デビュー。パパ・シリーズ第3弾として制作した『鉄人パパ』を含むミニ・アルバム『abcd』を6月にリリース。夏には2・3’Sの面々と再びロンドンに渡りアルバム・レコーディング。
10月、シングル『プライベート』、アルバム『Music From POWER HOUSE』リリース。『プライベート』が主題歌になったTBS系のドラマ『デザートはあなた』に準レギュラーとしてドラマ初出演。10月から全国ツアー“SWEET 2・3’S POWER TOUR’93”。大晦日には泉谷しげるの呼びかけで川崎クラブチッタにて行われた年越しライブ“日本を救え!”に出演。2・3’Sとスーパーバンドでの出演。また偶然にも、復活したTHE TIMERSも同じステージを踏む。
1994年
2・3’Sは4月から5月にかけての“SPRING STAKES TOUR 1994”終了後、活動を休止。清志郎は再びソロ活動に。ストリングス、コーラスをも含む大所帯バンドを率いて、6月、渋谷公会堂にてソロ・ライブ“Screaming Revue”開催。この模様を収録したビデオ『Screaming Revue』、初のソロ・ベスト盤『MAGIC』を9月に同時リリース。“Screaming Revue”は、9月の日比谷野外音楽堂、クリスマスの武道館公演でも催される。
TBS系のドラマ、東芝日曜劇場『ボクの就職』にレギュラー出演を果たす。主題歌は5月リリースの、自ら取材までして制作した『サラリーマン』。カップリング曲『競馬場で会いましょう』はJRAのCMソングとなる。また、竹中直人監督作品「119」の音楽を担当する。
8月、仲井戸麗市との共演が一夜限り実現したスペシャルライブ“GLAD ALL OVER”が日比谷野外音楽堂にて開催。この日の模様を収録したアルバムとビデオ、『GLAD ALL OVER』を12月発売。
夏のイベントでTHE TIMERSと多く遭遇する。
念願のプライベート・スタジオ「ロックン・ロール研究所」(通称:ロッ研)を設立。
年越しイベントとして日清パワーステーションにて“年忘れ!!忌野清志郎スペシャル 素敵な初詣”を自らプロデュース。“素敵な初詣”は’97年まで恒例イベントとなる。
1995年
映画「119』のサウンドトラックアルバムが1月に発売。また、日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を受賞する。デビュー25周年を記念して、これまでの音楽活動データなどを網羅した豪華本「生卵」を発売。東京デジタルホン(現vodafone)のCMに出演。夏にはアメリカ・ナッシュビルにてレコーディング。シングル『君にだけわかる言葉』を11月リリース。
昨年から続くソロ名義のプロジェクト、Screaming Revueの動きが活発に。8月に日比谷野音ほかでのライブ、11月から12月にかけては全国ツアー“スクリーミングレビューTOUR’95”を行う。
インディーズレーベル「SWIM RECORDS」設立。
4月、一昨年より復活を遂げたTHE TIMERSが5年ぶりとなるアルバム『復活!!THE TIMERS』、シングル『サヨナラはしない』を、さらに「あこがれの北朝鮮」などを収録のアルバム『不死身のタイマーズ』をSWIM RECORDSからリリースする。5月にかけて“不死身のタイマーズ”ツアーを行う。
1996年
昨年11月に続き、1月に『GOOD LOVIN’』、4月には東京デジタルホンのCM曲になった『世界中の人に自慢したいよ』と、立て続けにソロ・シングルをリリース。
Screaming Revueをシンプルなバンド編成に変えたLittle Screaming Revueで全国ツアー、“忌野清志郎 TOUR 1996 リトル・スクリーミング・レビュー”を3月から4月にかけて行う。このツアーより、さかんにサックスの演奏をするようになる。9月には日比谷野外音楽堂公演“ホントウのロック’96”。
11月、篠原涼子とのデュエット・シングル『パーティーをぬけだそう!』がリリース、意外な組み合わせが話題に。
1997年
3月、フリージャズ・ユニットde‐ga‐showとのコラボレーション・アルバム、Kiyoshiro Meets de‐ga‐show『Hospital』を発表、さらに“Live in Hospital 皐月病”ツアーを行う。フルートの演奏も披露。
ついにLittle Screaming Revueのアルバム・レコーディングに突入。シングル『メロメロ』を6月に、そして4年ぶりのアルバム『GROOVIN’TIME』を7月にリリース。8月から10月には全国ツアー“TOUR 1997 GROOVIN’ TIME”を行う。
木村拓哉主演フジテレビ系のドラマ「ギフト」にレギュラー出演。スペースシャワーTVの情報番組「SoHo」にパーソナリティーとしてレギュラー出演。
1998年
約14年間在籍した東芝EMIを離れ、古巣でもあるポリドールに移籍。それにあたって、清志郎自身の選曲によるベスト版、『GOOD BYE EMI』を3月に発売。
同じく3月、Little Screaming Revueが日替わりのゲストと共演するイベント、 “ラブ・ジャム’98”を開催。このイベントはさらに9月にも行われる。
Little Screaming Revueとしての2ndアルバムのレコーディングに入る。夏には“FUJ ROCK FESTIVAL’98”メインステージに出演。シングル『サンシャイン・ラブ』を9月発売。TV番組にも多く出演する。続けて10月にはアルバム『Rainbow Cafe』をリリース。このプロモーションのために、サイズ1.5メートル×8メートルにも及ぶ同名タイトルの絵画を描き上げる。11月より全国ツアー、“TOUR 1998 TRAVELIN’CAFE”。
1999年
主演・音楽監督で関わる予定だった映画の企画が急遽とん挫、サントラの録音も中断となるが、7月リリースのソロ・アルバム『ラフィータフィー』とシングル『QTU』として日の目を見ることに。夏には“チベタン・フリーダム・コンサート”“FUJI ROCK FESTIVAL’99”などに参加。『ラフィータフィー』に収録の「田舎へ行こう!Going Up The Country」はFUJI ROCK FESTIVALの公式テーマソングに採用される。
また並行してLittle Screaming Revueの3rdアルバムのレコーディング。しかし、ロック調にアレンジした「君が代」の収録にポリドールが難色を示し発売中止に。このアルバム、『冬の十字架』は結局SWIM RECORDSより9月に発売される。11月より大都市ツアー、“TOUR1999 Winter Rood”。
この頃、ホラ貝を吹くようになる。
2000年
30周年を迎え、忌野清志郎とゆかりのある、または影響を受けたミュージシャンとスタッフで、30周年記念イベント“RESPECT!”を3月に日本武道館にて開催。この模様を収録のCD、ビデオ『RESPECT!』が5月に発売。
『ラフィータフィー』制作の中心であった清志郎、藤井裕、上原ユカリに武田真治を加え、ラフィータフィー結成。春よりレコーディングにあたる。5月、地方のライブハウスをまわるツアー“マジカデ・ミル・スター・ツアー 2000”。7月にはアルバム『夏の十字架』を、今回もSWIM RECORDSよりリリースする。その後も曲作り、レコーディングを継続、11月にはアルバム『秋の十字架』をリリース。10月より12月には再び全国ライブツアー“マジカデ・ミル・スター・ツアー 2000”を行うなど、ラフィータフィーとして精力的に活動した一年間。
6月にはファンクラブ会員限定イベント“Whisky a Go Go at Club Heights”開催。
9月、TVブロス誌上で連載をしていた「瀕死の双六問屋」を刊行。
2001年
2月、自転車に乗ることを思い立ち、チームLSD結成。鹿児島への到着を目標とする。
昨年の“マジカデ・ミル・スタ−・ツア− 2000”の模様を追ったドキュメント・ロ−ド・ム−ビ−「不確かなメロディ−」(杉山太郎監督)が3月に劇場公開。それに合わせて同月、初めてのトークショーも行う。
4月、大阪城ホールにてイベント“ナニワ・サリバン・ショー”開催。三池崇史監督作品「カタクリ家の幸福」に俳優として参加。
6月から7月まで、ふたたびライブハウスツアー、“マジカデ・ミル・スター・ツアー 2001”を行う。自転車を携えての道中
9月、ついに「ツール・ド・鹿児島」に出発。10日間かけて、東京〜鹿児島間1,400キロあまりを走破する。
2002年
映画「カタクリ家の幸福」が2月に劇場公開。さらには清水浩監督作品「チキン・ハ−ト」出演、8月に公開。 絵を担当した環境絵本「ブーアの森」、その同名テーマ曲が4月に発売。テーマ曲は同月よりNHK「みんなのうた」にて放映される。6月、木梨憲武と制作のワールドカップ応援歌『ガンバレ日本』が発売。
ギター弾き語りによるソロ活動をしながら、夏のイベントに向け泉谷しげるらとの新バンド、忌野・泉谷・スパイスマーケットを結成したり、宇宙人バンドLOVE JETSとの交友を始めるなど、活発な活動。
7月“Fuji Rock Festival’02”のステージに、ソロ、スパイスマーケット、イマワノ・アキコ、LOVE JETS、と連日形を変えての出演。スパイスマーケットで、8月に日比谷野外音楽堂公演“最期の悪夢 Part1”、11月に東名阪ツアー“悪夢の再来 Part2”を行う。
さらに及川光博とのユニット「ミツキヨ」を結成、11月にシングル『強烈ロマンス』をリリース。TV出演も盛ん。
ダイドーデミタスコーヒーのCMで黒木瞳と共演、楽曲『イヤシノウタ』も使用される。ほか、ポケメロJOYSOUNDのCMにも出演。
10月、10日間かけて「ツール・ド・奥の細道」東京深川〜秋田象潟間、およそ1,050キロをツーリング。この模様はNHKによって番組として放映される。
11月、70年代後期からの貴重な写真を収めた写真集「清志郎」が発売される。
2003年
1月、交友のあるギタリスト、スティーブ・クロッパー率いるBLUES BROTHERS BANDの東京公演にゲスト出演。3月、どくとる梅津バンドとのユニット、DANGERが復活し、ライブを行う。4月、“コスモ・アースコンシャス・アクト アースデー・コンサート”に出演、「あこがれの北朝鮮」を演奏中に中継が中断になるという事態も。
7月、さくらももこと共作、LOVE JETSが演奏の『宇宙大シャッフル』をリリース、アニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマに。また、LOVE JETSはアルバム『친구로』も同時リリースし、さらに清志郎のプロデュースでツアー、“1st地球TOUR ここにアルゼンチン!!”を行う。
2月頃より三宅伸治とともに曲作りなどを進め、8月、バンドを率いてのワンマンライブを日比谷野外音楽堂にて。11月に4年ぶりにソロアルバム『KING』をリリース。さらに、忌野清志郎&NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNSで、全国ツアー“TOUR 2003-2004 WANTED” を11月より翌年2月まで行う。
9月、ハワイにて開催の自転車レース、ホノルルセンチュリーライドに参加。
6月、初の翻訳絵本「BAD CAT」発売。7月公開の自転車アニメ映画「茄子 アンダルシアの夏」のエンディングテーマ「自転車ショー歌」を歌う。同月、サントラ発売。10月、清志郎が絵を担当した、父子のつながりをユーモラスに描いた絵本「おとうさんの絵」発売。12月、LOVE JETSシングル『UFO神社』発売。
2004年
2月、昨年よりのツアー“TOUR 2003-2004 WANTED”千秋楽を渋谷公会堂にて。ツアーの追加公演“ONE MAN SHOW”をパルコ劇場で催すことをその場で発表。この公演は、清志郎本人にとって初めての、文字通り「ワンマンショー」であり、実験的な試みも行なう画期的なものとなった。これらの模様は共に収録され、5月に『WANTED』、7月に『ONE MAN SHOW』としてDVD化。大阪城ホールにて3年ぶりのイベント“続・ナニワサリバンショー”開催。3月、昨年に続きDANGERでのライブ。
4月、ツーリング取材で訪れた沖縄にて落車、生涯初の骨折と入院、さらに手術、点滴も初めて経験する。5月、NHKドラマ「もっと恋セヨ乙女」で真中瞳と共演。7月、本人の希望が叶った形で、大阪朝日放送「探偵!ナイトスクープ」に出演。
同月、2年ぶりに“Fuji Rock Festival”に出演、グリーンステージに立つ。8月、日比谷野外音楽堂2days“KING SUMMER”。
9月、本年もホノルルセンチュリーライドに参加、100マイルを走破。
10月、出演とタイトル曲を歌った映画「恋の門」封切。カリフォルニア・ホワイトマウンテンを訪ねて収録したドキュメンタリー番組、NHK「巨樹は語る」放映。
11月、CM曲を4曲収録のマキシシングル『JUMP』リリース。
12月、新橋演舞場、中村獅童主演「丹下左膳」に“丹午右膳”という役名でゲスト出演。クリスマスはSHIBUYA−AXでライブ“SILENT NIGHT”。年越しは幕張メッセでのイベント“COUNT DOWN JAPAN04/05”にて、カウントダウンを務める。
2005年
1月、“HEAL NIIGATA”、“SOUL OF どんと 2005”にソロで出演。
2月にはライムスターとともに作ったシングル『雨あがりの夜空に35』を、3月には前作同様三宅伸治をプロデューサーに据え、ロックン・ロール研究所で作り上げたアルバム『GOD』をリリース。
また同日より35周年記念イベント“2005★GOD Presents ROMANCE GRAY35”を、渋谷パルコ劇場にて4夜連続で行い、ジャンルを越えた出演者たちとの共演を果たす。
なお、この模様は同名タイトルでDVD化、7月に発売される。また同月、自転車乗りの模範として、初代自転名人を受賞。
4月より、アースデイイベント会場でのフリーコンサート、“ARABAKI ROCK FEST.”“Fly The Flag”といったイベントなどへの出演を経て、5月にはツアー“TOUR35”に突入、7月までに全国14箇所を回る。
6月、出演、歌を担当した「Walkin’」のCMがオンエアー。7月、“Fuji Rock Festival”に出演。WHITE STAGE観客動員記録を塗りかえるほどの盛況を見せる。
8月、もはや恒例の日比谷野外音楽堂公演“YAON35”。また同月、出演した映画2本『妖怪大戦争』(三池崇史監督)『サヨナラCOLOR』(竹中直人監督)が、ともに公開となる。
9月、愛用の自転車「Orange号」が盗難に遭い、3日後に発見。一躍有名になった「Orange号」で、本年もホノルルセンチュリーライドに参加。それに合わせてファンクラブツアー“WAIIHA35”を敢行。
10月、“ジョン・レノン・スーパーライヴ”に出演。レギュラーとして出演のドラマ「野ブタ。をプロデュース」の放映始まる。
11月、早稲田大学学園祭にてライブ“WASHOLL〜マッピルマ35〜”。
12月、結婚情報誌「ゼクシィ」DVDのテーマソングとなった『仕草』がシングルとなってリリース。クリスマスには渋谷AXでの公演“X’mas35”を行う。本年も幕張メッセでの年越しイベント“COUNT DOWN JAPAN05/06”にて一年を締めくくる。
2006年
1月1日、COUNT DOWN JAPAN05/06で年明け初ライブ。同月27日 “SOUL OF どんと 2006”にソロで出演。2月25日、大阪城ホールで3回目となる“新 ナニワ・サリバン・ショー”を開催。多くの共演者を迎えての多彩なパフォーマンスで、35周年を締めくくる。なお、HISは結成15年目にしてこの時のステージが初ライブとなった。3月5日、デビュー36周年を記念する日にファンクラブイベントとしてトークショーを行う。このイベントは好評につき、7月9日には大阪でも開催された。3月末には自転車の取材のため、2週間キューバへ。4月29日“ARABAKI ROCK FEST.’06”、5月4日“MUSIC DAY 風のラプソディー”と続けて春のライブイベントに出演。5月、翌年公開予定の蜷川実花監督作品「さくらん」の撮影に侍役で参加。また、サッカーにちなんだCD、『友情のエール』『ULTRAS2006』に参加、それぞれ5月、6月にリリースとなる。
そして5月半ばから約一ヶ月間、ナッシュビルに渡り、スティーブ・クロッパーをプロデューサーに迎え、仲井戸麗市、細野晴臣、三宅伸治との共作曲も収めるアルバムのレコーディングを行う。6月13日、現地のB.B.KING BLUES CLUBにてライブも敢行、アルバムの曲を初披露する。また、この模様は9月にドキュメンタリー番組「忌野清志郎 THIS TIME」としてTV放映された。
6月28日、三宅伸治のライブ“Every Wednesday”にゲスト出演、ここで新井田耕造との共演を果たす。そして夏のイベント、日比谷野音でのワンマン公演では、新井田耕造のみならず仲井戸麗市とも共演することが決定、周囲の期待も高まるが、その矢先の7月、喉頭癌の診断を受けたことを自らの言葉で公表、予定の公演を全てキャンセルとし、療養期間に入る。
7月、ドラマ「雨やどりの恋〜うさぎと亀より〜」放映。共演は市原悦子・羽田美智子、清志郎は準主役の役柄を演じた。
10月4日、ニューアルバム『夢助』リリース。療養の続く11月17日、観客として訪れたサム・ムーアのライブに飛び入りで出演するというハプニング。サムと一緒に以前と変わらぬ歌声を披露する。12月、サイクリングを再開。
2007年
年明け間もなく、スポーツ新聞紙上で全快宣言。清志郎の飛び入り出演を希望するライブを募集。早速依頼があり、1月21日“石田長生ライブ”にシークレット出演、変わらぬ歌声とパフォーマンスを見せ、観客ばかりか出演者をも喜ばせる。続けて1月31日“札幌市民会館最後の日”3月19日“梅津和時プチ大仕事2007(DANGER)@新宿PIT INN”にも出演し、観客を大いに沸かせた。
2月、テレビ・ラジオ含め療養後初となる、竹中直人さんのラジオ番組に出演。毎年恒例日野高OB展にも三浦友和さんと共に足を運び、恩師・小林先生とも再会。4月2日、ブルーノート東京でスティーブ・クロッパー率いるブルース・ブラザース・バンドの公演に飛び入り出演。『IN THE MIDNIGHT HOUR』を歌う。この日は清志郎の誕生日でもあったことからステージ上でのお祝いとなった。また、8日の公演最終日にも飛び入り出演。BBB公演オフの日には、スティーブらと屋形船に乗りお花見。4月、5月野球観戦にも出かける。
5月18日、ファンクラブイベント“忌野清志郎ふぁんくらぶっ15周年感謝祭”でファンの前に姿を見せる。トークショーへの出演であったが、シークレットではない形での登場は昨年7月のファンクラブイベント以来。6月、映画『たみおのしあわせ』の撮影に参加。日本テレビ『音楽戦士』に出演する間慎太郎さんへのコメント収録のため、浅草花やしきを訪れる。来場者が多くいる中行われ、たくさんのギャラリーに囲まれての撮影となった。7月18日、下北沢440にて行われた“藤井裕アルバム『フジーユー』発売記念ライブ”に久し振りのライブ出演。シークレットでの出演であったが、多くのファンたちに迎えられての登場となった。なお、このアルバム『フジーユー』は清志郎がプロデュースをしている。
9月、2000年に発売された書籍『瀕死の双六問屋』が文庫となって発売される。9月22日、三宅伸治デビュー20周年記念ライブ“BACKしよう”にこれまたシークレットで出演。仲井戸麗市や新井田耕造、NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNSの面々とも共演し、感慨もひとしおのステージとなる。10月23日、“ゆずデビュー10周年感謝祭”に三宅伸治とともに黒ゆずとしてシークレットで出演、2000年の清志郎30周年記念公演“RESPECT!”の際の「次はゆずの10周年ライブで会いましょう」の発言を実現する形となった。
10月、新衣装のための生地選びやアーティスト写真撮影を行う。11月1日、およそ1年ぶりに、療養後初めてステージに立ったサム・ムーアのライブに再び飛び入り出演。この模様は、BS FUJI『Speakin Music』にて放送された。
12月8日療養後初となる、シークレットではない形で“ジョン・レノン・スーパーライヴ”に仲井戸麗市、新井田耕造、厚見玲衣とともに出演。一曲目「Mother」から、圧倒的な存在感を見せつける。12月10日、復帰後初の本格的なテレビ出演となる『SMAP×SMAP』にて、「毎日がブランニューデイ」をSMAPとともに熱唱。12月14日“及川光博ワンマンショーツアー07/08”にシークレット出演。黄色い大歓声に包まれる。12月17日名古屋にて行われた“藤井裕アルバム『フジーユー』発売記念ライブ”にゲスト出演。 大晦日、2年ぶりに幕張メッセでの年越しイベント“COUNT DOWN JAPAN07/08”に出演。ステージ上のこたつでメンバーらと共に年越し。
2008年
1月、完全復活祭に向けてのリハーサル、オープニングムービー撮影などを行 う。NHK「SONGS」にスタジオライブ形式で出演。500人の観客を入 れての本格的なライブ収録で、大いに盛り上がる。
2月10日、ワンマンライブとしては1年7カ月ぶり“忌野清志郎 完全復活 祭 日本武道館”を行う。武道館開館以来史上最高の動員数を記録する。36 0度立ち見まで超満員の中、パワフルな歌声パフォーマンスを披露。この模様 は多くの特典映像を加え、5月28日DVD化。6月18日CD化。2月18 日にはブルーノート東京にて“忌野清志郎 完全復活祭 追加公演前夜の晩 餐”を、24日、3月2日にはそれぞれ大阪フェスティバルホール、京都会館 第一ホールにて“忌野清志郎 完全復活祭 追加公演”を行った。
3月、「筑紫哲也 NEWS23“金曜深夜便”」最終回ゲスト出演のため、 奥三河にて筑紫哲也さんと共に収録を行う。その模様は、3月28日O.A.され た。4月27日“ARABAKI ROCK FEST.08”出演。5月26日大阪BIGCATで の“藤井裕アルバム『フジーユー』発売記念ライブ”28日Zepp OSAKA“ラッ キーラクーンナイト2”に出演。この頃からフィルムカメラでの写真撮影を始 める。5月28日忌野清志郎ベストアルバム『入門編』発売。6月、アニメ 『スポンジ・ボブ』にてアニメの声優初挑戦。7月「徹子の部屋」出演。昨年 撮影に参加した映画『たみおのしあわせ』公開。ESPミュージカルアカデ ミーにて、“ふぁんくらぶ祭2008RF”開催。久しぶりの弾き語り形式で のライブとなった。
7月14日、左腸骨へのがん転移が認められたため、予定されていたすべての ライブ活動をキャンセル。再び療養生活へ入る。
8月27日、2月に行ったブルーノート東京公演を中心に、ふぁんくらぶ祭、 昨年のジョンレノンスーパーライブなど多くのライブ映像をまとめたDVD 『ブルーノートブルース 忌野清志郎 LIVE at Blue Note TOKYO』を発売。1 0月、銀塩写真を残して行こうと運動している“ゼラチンシルバーセッショ ン”の写真展に参加。5月頃より清志郎自身が撮影していた写真も展示され た。タワーレコード新宿店にて、TOWER RECORDS SHINJUKU 10th ANNIVERSARY 「WE LOVE KIYOSHIRO with TOWER RECORDS〜愛しあってるかい?」が開催。 様々なアーティストが清志郎の曲を演奏。
11月、原田郁子アルバム『銀河』に参加。作曲、コーラス、アコースティッ クギター、ブルースハープを担当。20日、来日していたBOOKER T.&THE MG’Sライブを見に行き、スティーブ・クロッパーに誘われ飛び入り出演。 「IN THE MIDNIGHT HOUR」「SOUL MAN」を熱唱。思わぬ清志郎の登場に会場は 全員総立ちの盛り上がりを見せる。続けて21日、23日も飛び入り出演し力 強い歌声を披露した。人類初となる世界一周“アースマラソン”に挑む間寛平 さんへの応援歌「RUN寛平RUN」「走れ何処までも」を書き下ろし、来日 中のスティーブ・クロッパー等とともに約2年数カ月ぶりにレコーディング。
12月、引き続きレコーディング作業や、年賀用の写真撮影を行う。17日、 初CD化となる『WANTED TOUR 2003-2004 KIYOSHIRO IMAWANO』を含む、忌野 清志郎・RCサクセションのアルバム17タイトルをSHM-CD(高音質CD)にて 発売。
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