お願いチャンネル

[お願い]
世界の子供へ、募金をお願いします。
毎年の訪問国をはじめ、世界の子供達のためにユニセフを通し、
その時に一番必要なものを届けます。

みずほ銀行六本木支店
普通1546555
ユニセフ親善大使
黒柳徹子

郵便局からも振り込み出来ます。
郵便口座00130-5-8060
ユニセフ親善大使
黒柳徹子


募金総額の報告(2009年3月31日現在)
 4,531,674,183円(件数336,770)



□「トットちゃんとカマタ先生の ずっとやくそく」 より
  (黒柳徹子・鎌田實 著 2007年7月31日発行)
ユニセフの親善大使を続けてきて、
「それだけやっても世界は良くならないではありませんか。むなしくありませんか」
と言われることがある。
けれど、ひとりの子どもでも、救うのはたいへんなこと。
私は、世界中の子どもを救おうなどとは思っていない。
ただ、私が伝え、みなさんからいただいた募金で、少しでも子ども達が助かってくれると嬉しい。
現在、私の親善大使の口座に、この24年間にみなさんが送ってくださったお金は43億円になった。
1円残らずニューヨークのユニセフに送り、私が訪問した国を中心に、確実に子どもの必要なものにして、使わせていただいた。
ちなみに、お礼の手紙はお出ししていない。
80円切手分で、ひとりの子どものいのちを救えるから。
この場を借りて、お礼を申し上げます。

私が親善大使になったとき、地球上で1年間に1400万人の子どもが死んでいた。
ありがたいことに、いま1050万人にまで死は減った。
子どもが増え続けている中で、350万人の死が減ったということは、世界中の人が助けようと思ったから。
それでも計算したら、親善大使になってから、救えなかった子どもが3億人近く。
それはほんとうにつらい。けれど、続けるしかない。
私が行くことで、つらい中にいる子どもたちが、何かおもしろそうな人が来たと思って少しでも心がなごんでくれればいい。
私が子どもたちを抱いて、少しでも穏やかな気持ちになってくれればいい。
そしてそのことをみなさんに伝え、みなさんが関心を持ってくれればいいと思っ ている。

□忘れないでユニセフの恩   黒柳徹子 (平成9年12月16日、朝日新聞、投稿)
             
 年末の来年度予算の編成で、ユニセフ(国連児童基金)に対する政府拠出金の四十一%削減が決められようとしている。このままでは、ユニセフは十三億円の事業資金を失うことになる。
 政府には、ユニセフが日本によって特別な国連機関であることを忘れないで、とお願いしたい。
 ユニセフは日本に対する定期的な援助を行った唯一の国連機関。
終戦直後の一九四八年から六二年まで、日本の子どもたちに粉ミルクなど、当時のお金で六十五億円相当の援助物資を送ってくれた。日本が現在のような経済大国になるなど想像もしないで、何の見返りも考えず、日本の子どものことを考えてくれた。
 「連合国の敵であったから援助は不要」という人々を、ユニセフの初代事務局長モーリス・ペイトが「子どもには敵も味方もないのだから」と説得してくれた。そして推定百五十万人がその恩恵を受けた。
 当時の日本の子どもは栄養状態が極端に悪く、乳幼児死亡率は出生千人に対して七十六・二人であった。
 私がこれまでに訪問した発展途上国の貧しい国々とほぼ同じである。
 また、日本政府が援助国として接した最初の国連機関がユニセフであったという事実も考慮していただきたい。日本はユニセフを通した国際社会からの善意に報いたいという人々の心を反映して、五十年にユニセフへの拠出を始めた。以来、日本からの拠出金は徐々に増え、今年度は三十一億円になった。
 もし、ユニセフへの拠出金が四一%(十三億円)削減されると、発展途上国の子どもたちのためにユニセフが行っている次のような活動をする事ができなくなる。
 @八十七万人の子どもが、はしか、結核、ポリオなど六種類の予防接種を受けられなくなる。あるいはA五千五百万人の子どもに経口補水塩(ORS)の溶液を処方して、脱水症による死から守ることができなくなる。B四百万人の子どもをマラリアから守るために、薬品処理をした蚊帳を提供することができなくなる。C四十万人の子どもに一年間、初等教育を受けさせることができなくなる。
 過去五十年に世界の子どもの死亡率はほぼ半減し、年間死亡数も二千五百万人から千二百五十万人に減少した。八十年以降、予防接種によって合計二千万人もの子どもの命が救われた。また、初等教育年齢の子どもの八十%が就学するようになった。子どものためのこのような前進を達成するために、ユニセフが果たした役割は大きい。
 私は八四年にユニセフ親善大使に任命されて以来、毎年、武力紛争や貧困の犠牲になっている多くの子どもを訪ね、予防接種や基礎教育、安全な飲料水の供給などの活動を視察し、前進のための努力の大切さを自分の目で見、耳で聞いた。橋本龍太郎首相は昨年の国連総会に出席、ご自身のお母様がユニセフの活動に深くかかわってこられたことを披露したうえで、「今後とも協力を強化していく」と約束された。
 財政立て直しの必要性を考えると、来年度の政府の途上国援助(ODA)の十%削減はやむを得ないのかもしれない。でも、九七年度の例をみると、一般会計予算に占めるODAの比率は、わずか一・五%である。そして、ODAの総額のうち国連機関に配分される任意拠出金は五%以下であり、ユニセフへの拠出金は日本のODAの0・三%であった。日本国民の一人が役一万円をODAとして負担したが、そのうち、ユニセフが受け取ったのは三十円という計算になる。
 日本の予算全体からみるとわずか一・五%にすぎないODAを一0%削減し、国民一人当たりのユニセフへの拠出を三十円から十七円に削っても、日本の歳出削減のため大きな効果があるとは思えない。しかし、ユニセフは大きな打撃を受け、武力紛争や貧困の中で暮らす子どもや女性が犠牲を強いられることになる。
 政府は、戦後五十年間に達成された子どものための前進を逆戻りさせるかもしれない選択をしようとしている。どうぞ、子どもたちのために、慎重な決断を下していただきたいと、心から願っている。


□お便りと募金を頂きました。(平成9年3月17日)


 ユニセフ親善大使 黒柳徹子様へ

 黒柳様のホームページを拝見させていただき、その中でお願いチャンネルのユニセフへの募金を妻に見せたところ、勤め先の愛媛県立第一養護学校の子供たちからの募金を早速本日送金させていただきました。
 妻よりのメッセージを書かせていただきます。

 このお金は中学部Bコースの8人の子供たちが作業学習で制作した、かまぼこ板のマグネットやパズルを販売して得た収益金です。子供たちの中には、手が自由に使えない子もいますが、時間をかけて板を磨き、ステンシルで模様をつけて一つ一つを一生懸命作りました。
 マグネット一つの販売価格が60円なので、募金した5000円が、子供たちにとっては、大きなお金であることがわかっていただけると思います。 
 収益金の一部は、子供たちのお小遣いとして買い物や、食事に使いましたが、子供から是非世界の恵まれない人のために自分たちのお金を使ってほしい、という意見が出たので、こちらに募金させていただくことにしました。どうかこの子供たちの熱い気持ちを感じていただき、どんな形でもよいですから、必ずお役に立ててくださるようお願いいたします。

 愛媛県立第一養護学校  教諭  野村紀子

 以上です。今後も黒柳様のホームページを楽しみにさせていただきます。



□第一養護学校の皆様へ(3月25日)


                  ユニセフ親善大使 黒柳 徹子

 ユニセフ親善大使の口座に大切なお金を振り込んで下さってありがとうございました。
 皆さんがどんなに一生懸命お金を作って集めて私に送って下さったかを先生から聞きました。
 皆さんも大変なのに、世界の子供のことを心配して、お優しい気持ちで私にお金を預けて下さった事を、心からお礼申し上げます。
 皆さんのお気持ちは、そのまま子供たちの所へ届けます。
 内戦で親を亡くしたり、予防注射をして貰えなかったり、また勉強が出来なかったり、とにかく、希望を持てない中で生きている子供たちがたくさんいます。
 皆さんから頂いたお金で、そういった苦しんでいる子供たちの何人の生命が救えるかわかりません。
 このお金をボスニア・ヘルツエゴビナの苦しんでいる子供たちのために使わせていただこうと思っています。
 ご存じの様にボスニアを含めた旧ユーゴスラビアには、一千万個の地雷が埋められています。
  踏んでしまえば、子供は死んだり、助かっても足を無くしたり、大けがをします。
 ほとんどの農作物を作るところに地雷が埋まっていますし、子供たちが遊ぶところにも埋まっています。一つ百円から三百円で買える地雷も、取り除くためには七万円から十万円かかると言われています。
 そんな中で子供たちは、皆さんと同じように一生懸命生きようとしています。
 本当に有り難うございました。
 どうぞ、大人になっても今のお優しい気持ちを忘れないでいらして下さい。
 また、私もあなた方のお優しい気持ちを忘れないで一生懸命子供たちのために働きますので。


□先生からのお礼のメール4月2日)

 黒柳徹子様

 ご連絡どうもありがとうございました。お返事が大変遅くなってすみまん。
 メッセージをありがとうございます。
 お返事をいただけるとは思いもしなかったので、とても驚き、感激しました。
 色々な募金の中で、どこにお金を預けようかと、子供たちとも時間をかけて話し合いました。
 人の気持ちはみな善意と思いたいですが、世の中には世界の恵まれない人のために、と募金を集めて悪用する人もいるという現実も、子供たちに話しました。
 子供たちは自分たちの大切なお金は絶対にきちんと役に立てたいという気持ちを持つようになっていました。
 たまたま、私の主人がインターネットのページで見つけてくれた黒柳さんのことを話すと、子供たちが頭のまわりで手を動かし、「こーんな頭をし人だ」と黒柳さんのヘアースタイルを表現して見せ、嬉しそうにしていました。
 この時、みんながよく知っている人のところにお金を預けることが子供たちにとって、一番募金することの意味を持ちやすいのではないかと思ったのです。
 子供たちは黒柳さんから直接メッセージがきたことはもちろん、私が、メッセージを送ったことさえ、まだ知りません。今はまだ春休みです。新年度が始まり、子供たちに会ったらすぐに黒柳さんからのメッセージを見せてあげようと思います。
 子供たちは、また4月から新しい作業学習に取り組みます。
 人から援助してもらうことの多い子供たちですが、黒柳さんのメッセージを読で、その気持ちに触れて、これからも自分もがんばる、他の人のことも考える、そんな人であり続けてほしいと思います。
 子供たちの気持ちに真摯な姿勢で応えてくださったことに深く感謝いたします。

                       愛媛県立第一養護学教諭 
                                野村紀子


□愛媛県立第一養護学教諭 
       野村紀子様 (4月3日)

                          黒柳徹子
 すばらしいお便り、拝見しました。

 本当にお優しい気持ちで子供たちと接していらっしゃることがよくわかり、胸がいっぱいになりました。
 春休みが終わって、子供たちが学校に帰ってきたら、私が本当に喜んでいたとお伝え下さい。
 それでは、またいつかお手紙を書く機会があるかも知れませんね。
 本当に有り難うございました。



スーダンからの便り

 私がスーダンを訪問したのは1993年でした。
 皆さんから頂いた募金で、子供たちの心のケアーをするセンターが完成したという連絡がありました。
 1996年8月のオープンだったそうです。
 名前は「トットちゃんセンター」と名付けられました。
 ユニセフ・スーダン事務所のファルキー所長からの手紙を紹介します。

 黒柳徹子さま。
 「スーダンを訪問された後、多額のご寄付をいただき、ほんとうにありがとうございます。いただいたご寄付は、戦争の犠牲になった子どもたちを直接助けるために役立てたいと考え、戦争で心の傷を負った子どものためのセンターをジュバに建てるために30万米ドルを充てることにしました。土地と労働力は州政府が提供します。
 このセンターでは、研究や調査、教員の訓練、保健員やソーシャルワーカーの養成、心の傷についての研究、情報と経験の交換などを行う計画です。
 あなたがスーダンを訪ねて、子どもたちの直面する問題を人々に知らせてくださったおかげで、このセンターができるわけですから、センターを、子どものトラウマと開発のための黒柳センターと命名しました。
 今年8月3日の開所式は、国会議員、国連関係者、日本と英国の大使、子どもの代表などが参加して、盛大に行われました。センターには、田川さんが提供してくださった写真パネルと、黒柳さんからのメッセージが『永久展示』されています。
 ジュバは、南部スーダンの首都になって40年になりますが、そのうち30年間は内戦で、最近17年間に建設された新しい建物はこのセンターだけで、新しい建物の建設は技術者の養成にも役立ちました」

私が送ったメッセージ

 「日本の人びとの善意で、スーダンのジュバに『トットちゃん子どもトラウマ・センター』が完成しましたことを、本当に嬉しく思っています。

 私は、ユニセフ親善大使をして、これまでにアジアやアフリカの国々を訪ねて、たくさんの子どもたちに会いました。難民キャンプで会った子どもも、町で会った子どもも、すばらしい笑顔で迎えてくれました。輝く瞳。強い好奇心。世界のどこでも子共は同じです。でも、不幸な子どもにもたくさん出会いました。病気の子ども。働かなければならないために学校に行けない子ども。両親を殺された子ども。戦火の中を逃げまどう子ども。

 スーダンでもたくさんの子どもたちと出合いました。難民キャンプでは、教科書や文房具もなく、食べる物や着る物も十分ではありませんでした。そんな中でも、一番ほしいものは『平和』そして、次ぎが『もっと勉強がしたい』という子どもたちの真剣な表情に胸がつまりました。

 新しく完成したセンターが、子どもたちの戦争による心の傷を癒すうえで役立つ事を願うと同時に、いつか、地球上から戦争がなくなる日が来るようにと、こころから願っております。

 そして、ほんとうに平和になったとき、私は、このセンターを訪問したい、と願っています。
 日本の人たちの、やさしい心からの贈り物です。どうぞ、大切にお使い下さい。
 私の心からの愛も一緒に贈ります。」

 1996年8月3日 
         ユニセフ親善大使
                 黒柳徹子


完成した「トットちゃんセンター」

子どもたちが作って送ってくれた模型


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