学生特派員からの先輩レポート|一橋大学|木村 亮介
2007年06月20日
第0回:「僕プピ、未来から来たの」
さて、
はじめまして!!
今日から学生特派員としての活動をはじめることになりました、一橋大学商学部2年の木村亮介といいます!
今回は第0回、そう、まだまだブログらしいことをやる以前の状態、ということで(?)簡単に私、キムラの略歴をご紹介したいと思います。
「こんなもんには興味ねー」
「他人の人生なんてシャボン玉」
が信条の方は、快くこのページを飛ばしてもらって結構です。
でも、私キムラのPrivateには興味がなくても、
一橋には、大学受験には、大学生活には、経営学には、フットサルには、ミュージカルには興味を持っているという人もいらっしゃることでしょう。
というよりは、そういうかたが大半?正論ですね、そりゃ。
そんな方は、近日公開の第1回からのご来場お待ちしております!!
さて、時計も2時半を回り、キムラ、だんだんハイになってきました。
長い自己紹介になるかもですね。
興味ない人は、以下の下線から下は見ないように♪
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
さて、前置きが長くなりました、簡単な、しかし冗長な自己紹介に入りたいと思います。
キムラのそんなに長くない人生を振り返ってみると、う〜〜〜〜〜ん、
まずはですねぇ、
3歳の頃、あっ、僕広島生まれの広島育ちの東京在住民なんですが、その広島に今も居るお母さんにですね、
「僕プピ、未来から来たの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、実話らしいです。
なんちゅう電波な3歳児でしょうかね。
ははおやはこたえた
「帰れや」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、実話らしいです。
なんちゅうサディスティックな母親でしょうかね。
ここまでの話を要約すると、
『キムラは奇人。母親は鬼人。』
ってところですかね。でも、いいお母さんなんですよ、おもしろくて。
それから地元(広島)の市立の小中高と進み、部活は小学校2年生からサッカーをしていましたね。
まぁ、生来からだが細っこいところがあるため、長ずるにつれフィジカル面で遅れを取り出して、悔しい想いも多々しましたがね・・・・
でも、今でもサッカーは大好きです。じゃなかったらのべ11年間も続けませんでしたし。
大学に入ってからは、フィジカルがあんまり問われないフットサルをのびのびと楽しんでいます。
で、まぁ、一応東進のHPに載せることなので勉強についても触れるとしましょう。
小学生の頃、某公●文式に通ってましたね。そういえばあまり東京には見ないな?そこで算数に関しては2個上の学年のものまでやっていたので、中学校まではほとんど算数・数学には困りませんでしたね。今思うと、これがキムラの学習の原点なのかもしれません。
あと、家に小学○館さんだったかな?「世界の歴史」「人物日本の歴史」が全巻あり(前述の母上のおかげです)、小1くらいから繰り返し読んでましたね。好きだったのもあるかもしれませんが、それ以上にそれがご飯食べるテーブルの近くの棚にあって、食前食後に見やすい場所に在ったってのがよかったのかも。そのおかげで、高校に入るまでは歴史は特に勉強しなくても何とかなりましたね。これは大学受験にも生きた!ありがとうお母さん!僕未来に帰るのやめるよ!!
あとは、何か小☆学館さんのばっかりなきがしますが、漫画のことわざの本や、四字熟語の本、ドラ★もんの算数シリーズとか読んでましたね。結構母上が教育ママだったのではないかと、この文章を書いていてはじめて気づきました。侮れんな。
中学に入ってからは、定期テストの前はしっかり勉強して何とかしてましたね。
小学校の貯金もあって、中学校のときは軒並み優秀で通していったはず。
で、当時伸び盛りだった、広島市街地にあるエスカレーター(内部進学じゃないですよ、機械の名前です)がある、ビルのような高校に入学。
はい、ここですね。キムラと東進との出会いは。
入学説明会って、あるじゃないですか?あの大量に教科書買わされる日。あの日に行ったわけですね、東進に。
なんで?母上が行こうとやかましかったからです。そんでまぁ、キムラ自身も予備校行くのもそう悪くないと、まぁ自分がお金出すわけでもないのに小生意気に思ってたからですね。
そりゃあ最初は知名度のあるトコしか知らなかったんで、K塾とかYゼミとかいこうかなと思っていたんですが(ちなみに、広島にS台はない)、まぁ母が強く勧めるものですから、重たい教科書を持っていってみたわけですね。
そう、それがキムラと東進衛星予備校広島駅前校との出会いでした。
キムラ感動しましたね。なんとまぁ、勉強しやすい環境といい講師陣だろうと。分かり安すぎて感動したのは、15年生きてきて初めてでした。
それはキムラの隣で体験授業を受けていた母も同感、いや、確かキムラより興奮していたぞ。
そんなこんなで入学したわけです。高校入学前に東進に。
さぁ、ここまで気長に読んでくれた皆さん、おそらくこう思っていませんか?
「なんだこいつ。ただママンにレールに乗せてもらって、何の危なげもなく一橋受かってっただけじゃねえか。ツマンネっ」
何 か 勘 違 い を し て は い な い か ?
まだ、ここではキムラ中学生ネ←ここ重要
高校生活は3年間あるわけね←ここも重要
高校の勉強って、中学までとちょっと格が違うわけね←最重要
いや、入って最初の2週間は優秀な部類だったんだよ、たぶん
2ヵ月後、完全に落ちぶれましたwwww
いや、ね、もう、特に数学と英語がガッデムわかりませんでしたね。
三角比とか、「サイン、コサイン、ポリ●ントw」とかいってましたからねw
それで、英語にいたっては、1月に東進でやった「はじめての1200」「センター1500」のテストで、正答率10%をたたき出しましたからねw
早い話、壊滅ですよ。
中学までの財産なんて、計算力(解法わかんないから生かせないw)と歴史の力しか残ってませんでしたし。
なんという純文系歴史オタクの完成www
ちなみに、この1ヶ月前までは理系だったけど、あまりに理科と数学が出来なさ過ぎてあきらめて文系へ。
で、ようやく経営の道っていう新しい道を見つけた矢先に(歴史は仕事にはしたくなかった)、英語の壊滅を知った。
そして、当時の東進の担任の、今も仕事上お世話になっている中○先生にこういわれた。
「おぅ、どうするや?こりゃあどうしようもないで」
へこんだしあせりましたね。
理系あきらめても、英語できなきゃ文系にもなれない。歴史だけじゃ、れ、史学科にも入れない。というか、史学科には入りたいとは思わない。
さぁ、どうする?プピ?
やるしかない
そうして、ここ(高1の2月)からキムラは受験生になった。
1ヶ月で、センター1500を死ぬ気で覚えた。
お風呂の中にも、クリアファイルに単語をコピーした紙を入れて持ち込んで勉強した。
24時間のうちの14時間は単語やってたんじゃないかと思う。
で、死ぬ気で単語覚えたら、妙に文法がやりたくなった。
だって、今までは文法の授業の例文の単語がわかんなかったしw
単語分かって断片的には意味取れるのに、ちゃんとはわからなくてもどかしかったし。
で、死ぬ気で英語を2年生の12月まで勉強した。
1年前には信じられないほど、英語の成績は伸びた。
経営学がやりたかったから、当初は大阪市立大学(旧 第三高等商科)志望だった志望校は、神戸大学(旧 第二高等商科)になっていた。
でも、まだ一橋(旧 第一高等商科)を志望校にする勇気はなかった。
数学が未だネック(一橋の数学の配点は理系並み)ってのもあったし、その努力をすることがすこし怖かった。
でも、そこは学校・東進の両担任の先生(キムラにとっては、お二方とも大恩師です)に諭され、目指すなら日本の経営学の最高峰、一橋大学商学部を目指すことに。
そっからは、死ぬほど数学やった。ホント死にそうだった。ポリ●デントとかいってた人間が一橋目指すなんて笑える話だ。
でも、やってみたかった。やりきりたかった。
それは、自分の力を試してみたいという気持ちがあったから。いや、それ以上に、部活サッカーでの身体能力の不足による悔しさとつらさを何かにぶつけたかったからなのだと、今では思う。
もちろん、サッカーでの勝負から逃げたつもりはなかった。勉強を一生懸命やっていても、部活に手を抜いたことはなかったし、模試が理由で部活を休みもしなかった。
サッカーでの活躍をあきらめたつもりはなかった、でも、結果が出せないサッカーと、結果を出せていた勉強。その状況で間違いなく勉強に力を入れている自分。
それが逃げのように感じられて、何度も苦しんだ。
部活は、あっけなく終わった。一次予選でのまさかの敗退。
登録外の、ユニフォームをもらってすらいない人間にとっては、どうすることもできない、悔しい結果だった。
逆転ゴールを決められても、残り時間が少なくても、自分の引退決定が数分後に迫っていても、何も出来ない無力感。
試合後、3年はほぼ全員が泣いていた。
「何でこんなところで」、それがその心情だろう。
3年生の中にはそうたくさんはいない登録外の人間もみんな泣いていた。
理由?そりゃあ悔しいからさ。でも、それはユニフォームをもらえた人間の「悔しい」とは違う。絶対に違う。
自分が情けなかった。10年以上好きで続けてきた自分のサッカーが、こんな形で終わるなんて、情けなくて仕方なかった。
サッカーがチームの中でも外でも勝負事である以上、勝ち負けが生まれるのは仕方ない。
仕方ないけど、でも、これじゃ終われない。
自分の高校生活の、証がほしい。結果がほしい。
「あきらめずにがんばった」そんなことに、どれだけの価値がある?
意味は確かにあるかもしれないが、価値があるなんていえるのはそういう境遇になったことのない幸運な人間さ。
「がんばった」じゃだめだ、結果を出さなきゃ、自分も、周りも認めてくれる結果を出さなきゃ、自分が許せない。
それが、受験勉強が本気で出来た理由。
そして、一橋に受かることが出来た一番の理由。
皮肉なもんさ。
俺がそういう境遇じゃなければ、情けないけど、一橋に受かっていた自信はない。
あれだけの強い気持ちは持ち続けられない。
えっ?
なんか暗くない???
ああああああああああああ
ごめんなさい!第0回からこんな半分欝な日記を!
まぁ、キムラがどんな道を歩んできた人間なのかはいくらかはわかってもらえたでしょうか?
気分屋で、自信家で、気取り屋で、デリケートな(自分で言うなw)、人間。
は〜い、自己分析終了。
はい、次回予告!!
といっても、本当は次がスタートなんですがね。
第1回 「なぜ経営学をやっているのか?」
乞うご期待!!!
この番組では皆さんからのお手紙を募集しています!
ピーッ、という発信音のあとに、
このブログを読んでの感想・意見・非難・ファンレター・不幸の手紙を、
どしどしお寄せください!!
「木村プピの オー■ナイトニッポン」
のコーナーで、いくつかご紹介したいと思いますので、どうぞどうぞ。
投稿者 木村亮介 : 2007年06月20日 02:26
この記事に対する読者の投稿
おもしろく読ませていただきましたw
自分まず単語頑張りたいと思いました。
投稿者 : 2007年06月22日 21:49