ジャーナリストの徳岡孝夫さん(79)が、月刊誌「諸君!」(文芸春秋社)の匿名コラム「紳士と淑女」の筆者だった、と休刊をきっかけに明かした。ニュースに登場する人物を練達の包丁さばきで料理し続けて30年。いま、自身は闘病のさなかにある。【鈴木琢磨】
あっけなく桜は終わり、新緑である。入院中の病院に徳岡さんを訪ねた。「こんな格好ですんませんなあ。記事になるようなことしゃべれませんで」。ひょうひょうとした関西弁。元毎日新聞記者。サンデー毎日時代、三島由紀夫事件に遭遇し、現場の市ケ谷で手紙と檄文(げきぶん)を託されたエピソードを残す。その「伝説の大記者」がベッドで小さくなって点滴を受けていた。
いつだったか、本社の資料室で、活字に目をこすりつけている姿を見かけたが、声はかけられなかった。視力をほとんど失ってなおペンを離さぬ、その意志が背中に満ちていた。味わい深いエッセーをはじめ、ニュースコラムに多くの読者を持つ。ニューヨーク・タイムズのコラムニストでもあった。「諸君!」の巻頭を飾った「紳士と淑女」は徳岡コラムとささやかれていたものの、匿名を貫いた。
「雑誌が終わるし、もうそろそろ白状するかとね。行雲流水のごとし。ま、さらっとしたもんです。引き受けたのは、ときの編集長が、うちの雑誌は後ろから読む雑誌と評判が立っている。前から読まれるために軽い、短いのを書いてくれ、と。断ったら丸谷才一さんにお願いするらしい。うーん、頼むんやったら頼んでみい、原稿料は僕の3倍やぞって言って。ハハハ」
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後ろから読む雑誌とは、辛口で知られる山本夏彦さんの人気コラムが巻末に控えていたからだった。「えらいことになったと思いました。夏彦さんのコラムは不動の岩が時流に立っている感じでね。それに昔、芥川龍之介が『文芸春秋』巻頭コラム『侏儒の言葉』を書いている。<なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?>。研ぎすましたあいくちのような文章ですよ。とてもじゃないが、まねできない」
で、「紳士と淑女」、そのさわりをいくつか--。
左の二の腕に、大きい種痘の跡。真っ白いマイクを舞台に置き、ほおをしとどに濡(ぬ)らしながら「一億人の娼婦」は去った。泣かないと評判だった二十一歳。オイル・ショック以後の暗い日本の象徴。娼婦のほおに涙を見たとき、男はサイコーに感動するものだ。(80年12月号、山口百恵さんの引退コンサート)
なおしばらくは「コンピューター付きブルドーザー」について人々は語り続けるだろう。ヨッと上げた右手と、あのダミ声と浪花節調で迫った弁舌と、あの実行力とスピードは、まだしばらくは人々の記憶に残る。だが、やがて、そういう追憶の通じない世代が出てきて、湖面は元の満々たる静寂に戻る。(94年2月号、田中角栄元首相死去)
昭和天皇は聖戦が終わったあとで「実は朕は人間だった」と言われた。それを三島由紀夫が『英霊の声』で怒った。村山トンちゃんは、非武装中立国家への長く聖なる闘いの後で「実はわしは常識的な人間だったのじゃよ」と言った。などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。などてトンちゃんは人間となりたまひし。(94年10月号、村山富市首相=当時=が自衛隊は合憲と発言)
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昭和ヒトケタ。保守派。左翼嫌い。たっぷり皮肉をきかせ、世にあふれる偽善を容赦しなかった。ベトナム戦争を取材した経験が大きかったらしい。よって社会主義をうたう北朝鮮の金日成(キムイルソン)・正日(ジョンイル)父子をも徹底批判した。コラムが単行本になったとき、心境を書いた。<それは川岸にカンテラを置き、そっと「時の流れ」の中に踏み込んで一本の竿(さお)を暗闇の中に差し出すのに似た作業だった>。もちろん格好の獲物が食いつけば、少年のように小躍りもした。
「まあね、小沢一郎(民主党代表)のこともコテンパンに書いたからなあ。しょっちゅう。僕、東京地検と何の関係もないけど、西松建設の事件で、黒幕かと勘ぐられたかもしれんな。小沢、憎んでないですよ。毛嫌いですな。田中角栄に近かったし、金丸信にも近かった。彼はカネのあり場を知っとるね」。あと官僚、それも東大法学部卒を目の敵のようにこき下ろした。
「そらそうや。僕は(旧制)三高やで。打倒一高でやってきたさかい。ずっと続けてやっとるんです。官僚がらみのニュースがあれば、人事興信録ひっぱっては学歴をチェックして。こいつも東大法学部ちゃうかいな、と。でも、この国が急速にそういう(東大を頂点とする)社会でなくなりつつあるのは面白いね。心がけてきたこと? 日本人は自己陶酔好きでしょ。一生懸命! 僕、あまり尊敬しないんや。あほらしいな、と思ったら、あほらしいと書いた」
古巣の毎日新聞にも厳しかったが、大阪社会部でサツ回りをしていたころを懐かしんだ。「副署長のところへ行って、なんかおへんかー、なんもないでー。あの土着性、なんともいえんかったなあ」
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それにしても、書きも書いたり。マナイタにのせた著名人の数、限りなし。「まだまだ書きたいけどな」。ぽつんと口にした。徳岡さんが闘っているのは血液がんの一種「悪性リンパ腫」。「諸君!」の休刊の知らせと前後して宣告を受けた。「(市川)団十郎も血液のがんでしたけど、見事、病魔に勝ってパリのオペラ座で勧進帳を演じましたやろ。僕とは年齢が違うから参考にならんけど」。そして、看護師を呼んだ。「おーい、山本富士子!」。なんのことかと思えば、小便のSOSだった。
憎まれ口をたたき続けたコラムニストが孫ほど若い女性に甘え、たしなめられている様子に、くすっと笑った。病院食が運ばれてくると、ぼそっと。「ああ、大阪のすし萬のすし、食いたいなあ」
窓に夕暮れが迫っていた。「日本の文学は肝心のところで鐘がでてくる。『平家物語』は祇園精舎の鐘ではじまり、おしまいは京の寂光院の鐘や。近松門左衛門の『曽根崎心中』もな。この世のなごり夜もなごり……、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞きおさめ……」
小さな声でそらんじた。
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■人物略歴
1930年、大阪市生まれ。京大文学部英文科卒。毎日新聞では社会部、「サンデー毎日」編集部などに在籍。著書に「五衰の人-三島由紀夫私記」(新潮学芸賞)、「舌づくし」「『民主主義』を疑え!」など。86年に菊池寛賞受賞。
毎日新聞 2009年5月7日 東京夕刊