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【芸能・社会】

清志郎 “ロック葬”に110人 大音量でヒットナンバー

2009年5月5日 紙面から

悲しみの表情の(左から)長男の竜平さん、景子夫人、長女の百世さん、清志郎さん愛用のギターを手にする仲井戸麗市(右)霊きゅう車(左)に運ばれる清志郎さんのひつぎ(朝倉豊撮影)

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 2日にがん性リンパ管症のため58歳で死去したロックミュージシャン忌野清志郎さんの葬儀・告別式が4日、東京都内で営まれ、「RCサクセション」時代の同僚・仲井戸“CHABO”麗市(58)や新井田耕造(56)をはじめ、竹中直人(53)や大竹しのぶ(51)ら親交の深かった知人や関係者約110人が参列した。故人が無宗教だったため、読経や弔辞などのしめやかな雰囲気はなく、司会者の絶叫と清志郎さんのヒット曲の数々が大音量で鳴り響くライブ形式の明るい“ロック葬”となった。清志郎さんの一般の弔問を受け付ける告別式は、9日午後1時から東京都港区南青山2−33−20、青山葬儀所で。

 まるで亡くなったのがうそのよう。「どうしたんだ、ヘイ、ベイベェ〜」と、すぐにでも起き上がってくる気さえするような、ロックを愛し続けた故人の生きざまにふさわしい餞(はなむけ)だった。

 バラやコチョウランなど色とりどりの花に囲まれた祭壇の中央には、ピンクの額縁に収まった遺影が飾られた。2007年のクリスマスに撮影された写真で、緑色のジャケットで正装した清志郎さんがニッコリとほほ笑んでいる。

 献花台には、闘病中も手放さなかったギブソン社製のアコースティックギター「ハミングバード」と、愛用のオカリナが添えられ、バラの花びらがちりばめられたひつぎの中には、ギターのピックをはじめ、自転車愛好家として使っていたジャージーやパンツ、スクイーズボトルなどが納められた。

 正午。RCサクセション時代の名曲「ロックン・ロール・ショー」とともに、ファンクラブの会員で、ライブイベントでも活躍してきた高橋康浩さん(46)の司会のもと、まさに清志郎さんの最後の“ショータイム”が始まった。

 「大変今日はすばらしい日になるでしょう。盛大な拍手と喝采(かっさい)をお願いします。ミスター・キング・ゴッド、夢助、フォーエバー、忌野清志郎!!」。まるで格闘技のリングアナウンサーのようなテンションの高橋さん。続く黙とうの後は、名曲が大音量で流れる中、参列者による献花が始まった。

 そんな中、清志郎さんの遺作となった楽曲「Oh! RADIO」が初披露された。同曲は、大阪のFM局「FM802」の開局20周年キャンペーンソングとして、清志郎さんが今年2月末ごろに制作。「くるり」の岸田繁(33)やBONNIE PINK(36)ら7人のアーティストが歌っているが、清志郎さん自身が歌っている音源が公開されたのは初めてだ。

 そして午後1時25分、いよいよ出棺の時を迎えた。参列者全員が総立ちになり、「♪こんな夜に おまえに乗れないなんて」とRCサクセションの名曲「雨上がりの夜空に」を大合唱する中、ステージ用のマントがかけられたひつぎは、「RCサクセション」の仲井戸や新井田、「ザ・タイマーズ」のギタリスト三宅伸治(48)、「DANGER」の梅津和時(59)ら元同僚らの手によって運び出された。

 続いて、喪主で妻の景子さん(53)は遺影を抱き、長男の竜平(たっぺい=20)さんは位牌(いはい)、長女の百世(ももよ=17)さんは花束を手に、報道陣の前に姿を現した。

 ファン約100人も敷地外で見守る中、遺作となった「Oh! RADIO」を元気に歌う清志郎さんの歌声が再び流れた。参列者はフラワーシャワーや「清志郎〜!!」コールとともに、最後は大きな拍手で清志郎さんをお見送り。その中には悲痛な表情で涙を流す大竹しのぶをはじめ、必死で涙をこらえる竹中直人や「ウルフルズ」のトータス松本(42)の姿があった。

◆「もっと大きく」妻景子さん要望

 喪主あいさつに立った妻の景子さんは「本人も2回目の完全復活を目指していましたが夢はかないませんでした。もっといいことを言いたいんですが、気持ちが混乱しております。長い間ありがとうございました」と言葉少なめだったが、関係者によると、景子さんが「昨日(通夜)は流した音楽のレベル(音量)が低かった」と指摘したため、この日の告別式では外にも聞こえるほどの大音量に修正したという。「キング・オブ・ロック」の妻としてのプライドと、早すぎる夫の死への無念さがうかがえた。

 

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