中国海軍が4月23日、山東省青島沖で観艦式を挙行した。海軍力の増強を世界に見せつけた。なかでも注目されたのはミサイル搭載の原子力潜水艦だ。
4月23日は中国の海軍記念日である。今年は1949年の創立から60年。戦前の日本では、日本海海戦に勝利した5月27日が海軍記念日だった。中国ではなにを記念しているのか。
話は第二次大戦の直後にさかのぼる。英国が軽巡洋艦「オーロラ」を蒋介石国民党政権に供与した。艦名は「重慶号」になる。48年8月、英国で2年間の訓練を終えた鄭兆祥艦長以下、士官水兵600人が上海に艦を回航してきた。
当時、国民党軍と共産党軍の内戦は、共産党軍優勢になっていた。共産党軍は、49年1月、北平(今の北京)を無血占領、国民党軍が阻止線とする長江に向かって南下していた。長江渡河に成功すれば勝敗は決する。
重慶号は2月17日、渡河を阻止するため長江に入るよう命令を受けた。その日の未明、水兵のなかの地下共産党員が決起した。通信室を封鎖し士官を監禁した。「革命軍に参加するか、艦とともに全員爆死するか」と艦長に迫った。艦長は沈思し舵(かじ)を切った。重慶号は反転北上し、全速力で共産党軍支配下の山東省煙台に入港した。
ロシアの10月革命では巡洋艦「オーロラ」が冬宮を砲撃した。中国革命でも、旧名「オーロラ」が共産側に寝返った。喜んだ毛沢東は3月24日、重慶号に電報を打ち、電文のなかで「陸軍のほかに、空軍、海軍が必要である」と指示した。
本当ならこの日が海軍記念日でもよかったろう。だが、怒り狂った蒋介石は、B29で重慶号を爆撃して大破させてしまった。だから海軍設立命令は出たが、旗艦がなかった。鄭艦長以下、重慶号の乗組員は、遼寧省丹東にできた海軍学校の教官になった。
長江では4月、共産党軍が敵前渡河に成功し、23日に南京を占領。同じ日、華東軍区に「海軍領導機構」が設置された。それで、この日が海軍記念日になったが、重慶号がなくてはストーリー性のない無味乾燥な記念日だ。
中国軍の本流は陸軍で、海軍は長く傍流の時代が続いた。だが、96年、台湾海峡危機で米国の第7艦隊の実力を目の当たりにした江沢民総書記(当時)が海軍増強にのめり込んだ。その結果が今回の観艦式だ。ついに中国海軍の国際デビューである。(専門編集委員)
毎日新聞 2009年5月7日 東京夕刊
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