−−嫁ぐ日を待つ淑女たち−−
進化するダッチワイフ事情(1)

日本製ダッチワイフの父

 上野アメ横の裏通り。真新しい雑居ビルの2階に日本で、いや世界で最も進化した女性型人形を生み出す小さな工房、『オリエント工業』はある。

 白い扉を空けた瞬間、ずらりとイスに座った女性たちが目に飛びこんでくる。

 無言で微笑する女性たちはすべて精巧に造られた実用ダッチワイフだ。代表の土屋日出夫氏が特殊ボディー専門メーカーである同社を創業して、既に20年が過ぎた。

 「以前はポルノショップをやってましてね。あるとき、ハンディキャップを持つお客さんからオーダーメードのダッチワイフが作れないか、と相談があったんです。それがすべてのキッカケですかね…」

 マイルドな口調から温和な人柄が伝わってくる。彼こそ《日本のダッチワイフの父》といわれる人物だ。

 当時のダッチワイフは、現在でも一般的に連想される口をポッカリ開け、空気を注入する人型の浮輪。このスタイルのものは約25年前にアメリカで発売され、商品名が《ダッチワイフ》だったことから、現在でもその名前が定着している。

 ダッチワイフのそもそもの語源はオランダの抱き枕。(余談だが日本でも夏に涼を取るために抱いて寝る竹製の抱きカゴを竹夫人と呼ぶ)

 だが、当時日本で製造されていたアメリカ製類似品には問題点も多かった。

 「体重がかかりますね。するとすぐに破裂するような代物ばかりでした。顔もビニールの上に単に書いてあるだけ。それでも当時で一体2〜3万円はしたかな」

 前記のオーダーメード依頼を受けて製造元や問屋に相談したが対応が悪く、全く人形が進化する気配は感じられない。

 「もう、これは自分で作るしかないと思ったんです。最初は腰の部分だけにウレタンを使用したモデル。でも、まだ腕や脚にはエアを使っていましたね」

 これが昭和51年に生まれた《微笑》という日本初のオリジナルモデル。等身大ダッチワイフとしては画期的で、“2000人”がまたたく間に世に嫁いでいった。

進化する“花嫁”たち

 その後、さらに改良を加えた等身大モデル《面影》を53年に開発した。「彼女にはモデルがいるんです。モデルクラブの女性から全身の型を取って形成しました」。これは、ラバーとラテックス素材を使って皮膚感覚を再現したものだった。

 その後は58年に《影身》(かげみ)、63年に《影華》(えいか)と次々と改良モデルが生み出される。新素材を使い皮膚感覚はますますリアルになっていく。

 「日本の住宅事情を考えて収納しやすいように当初から手足は取り外しができるようにしてるんです」。ショールーム内にはバラバラにされた女体が置かれていた。そのリアルさには人形と分かっていてもドキッとさせられる。

 現在は、顔立ちがそれぞれ違うマグネットジョイントシリーズ・グラスティクアイ《鈴》《春》《咲》《ローラ》、ウインクアイ《彩華》《優華》《美華》《麗華》(各定価28万円)をリリースしている。

 本体部は四層構造。コンドームの原材料でもあるラテックスを約1万2500個分使っている。120キログラムまでOKの重量耐久と弾力性を実現した。

 また、頭部の接合には強力なイギリス製の磁石を使用し多方向への稼働が可能だ。さらに眼球にはガラスを使い、まつ毛一本一本が植え付けられている。ウインクアイに関しては振動により瞬きをするほど。

 その精巧さはポッカリと口を空けていたダッチワイフとは全く別のモノだ。

 「開発に関してはお客さんからの意見が一番の参考になっています。試行錯誤の20年でしたね。でも、お陰さまでね、このコたちの評判はすごくイイんですよ」

 目を細める土屋氏の隣で、身長154センチ、B86・W60・H87、体重約9キロの花嫁たちは、だれかに嫁ぐ日をじっと座って待っていた。



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