地デジPRは、鹿でなく草なぎで十分では
GET 500pt | コメント数: 1 件 | アクセス: 3193件 | 05月06日13時58分配信 |
日本民間放送連盟(民放連)によると、2011年7月の地上デジタル放送への移行促進PRに、降板した草なぎ剛(34)の後任として「鹿」(キャラクター、地デジカ)が当てられたという。
民放連の会長曰く、これまでの草なぎの活躍に感謝すると共に、「新しいキャラクターと、地デジの普及に一層の拍車をかけたい」とか。たしかに話題作りにはなった、しかしそこまでの必要があるのかと僕は疑問に思う。人間性除外の金銭感覚で彼らの“損害”を考慮しても、企業・政府側に今一つ納得はできない。
今回の草なぎへの同情論は強く、当日夕方の調査(TBSラジオ)によればそれは8割方であった。多数派が常に正しいと言えるものではないが、しかし多数の傾向なるものには一定の価値はあるだろう。なら、地デジの普及について言えば、あえて新キャラなどでPRする必要があるのか?このためのCM、また総務省主導のPRのために膨大な税金が使われるのは気分が悪い。
各家庭に無料でチューナーを配布するなどは、資本主義の発想からはあり得ないことなのだろうが、チューナーがあっても地デジ電波の受信感度が悪いなどの地域にどう向き合うか?また、例えば年配者だけの世帯には、切り替えの認知も含めてどうサポートするか。公務員が直接家に出向きサービスするなどというのは、行き過ぎだろうか。
見え見えではあるが、あぁ、やはり人間とは企業の道具でしかないのかと僕は感じる。
「家電業界が、自らをどう潤すことができるか」
「そのためには、広告塔として誰に動いてもらおうか」
瞬間的に考えれば、当座はイメージダウンとなるゆえに、草なぎへの拒否反応は企業・政府側としてわからなくもない。公然わいせつの犯罪者がキャラクターとは考えられないという見方もある。もっとも法律上の解釈からすれば、そうもなるのだろうが―ただ今回の草なぎの“罪とその後の会見”を考えるときに、そこには人間味=温かさの視点=なるものが欠けていると僕には思われてならない。こうした集団は、素早く降板やら活動停止させるやらの“感性”がありつつも、結果的には「失敗」するのではないか。
企業なら、彼のままで済んだものをあえて拒んだことによる“損害”は、様々な意味でi以前より大きくなるかもしれない。政府なら、国民からの尊敬はまず得られないだろう。国民にとっては、税金の無駄遣いのゆえに結局は自らへのサービスの低下を招くだろう。
もっと、大きな視点で物事を眺めることはできないものか。架空の存在ならたしかに“不祥事”は起きないだろうが、しかし草なぎを「最低の人間」と称した鳩山邦夫総務相(60)=のち撤回=が主導している限り、地デジへの好感度がUPするとは思えない。それに、国民には選択の余地がなく2年後のその日にはすべて地デジになるのだから、少なくとも政府としては熱心な宣伝の意義は薄れるというものだ。国民のために注ぎ出されるエネルギーは、もっと適切なところになされるべきではないか?これだから、世界水準の指針に倣うはずのデジタル化も政府と業界との癒着として見られるのだ。
僕が考えるには、そもそもCMは不要である。だがそれでもPRを狙いたいというなら、草なぎの余りのポスターは使えるではないか。真面目な意味で。
“僕と一緒に 新しくなりましょう”
こんなフレーズのゴム印を作り、職員があのポスターに順次押していけばいいではないか。「申し訳ありませんでした」の文言も必要かもしれないが、新キャラ普及や新ポスター作成の費用と比べればどうだろう。なお、応用でCMにもこの手法は利くだろう、全体的に見ればプラスにならないか?あの石原都知事も怒ったワッペン騒動「バカじゃねえか」問題の教訓は、何も活かされないのだろうか。
人間とは、単なる誰かの利用価値の存在ではない。だが、仮にそうだとしても、この件に関して言えば草なぎは十分“使える”。それがそうならないのは、すべてとは言わないが、上に立つ立場の人間性があらゆる意味で貧困だからだろう。便利になるなると騒ぐ一方で、その分肝心な「質」は退化しているようだ。
民放連の会長曰く、これまでの草なぎの活躍に感謝すると共に、「新しいキャラクターと、地デジの普及に一層の拍車をかけたい」とか。たしかに話題作りにはなった、しかしそこまでの必要があるのかと僕は疑問に思う。人間性除外の金銭感覚で彼らの“損害”を考慮しても、企業・政府側に今一つ納得はできない。
今回の草なぎへの同情論は強く、当日夕方の調査(TBSラジオ)によればそれは8割方であった。多数派が常に正しいと言えるものではないが、しかし多数の傾向なるものには一定の価値はあるだろう。なら、地デジの普及について言えば、あえて新キャラなどでPRする必要があるのか?このためのCM、また総務省主導のPRのために膨大な税金が使われるのは気分が悪い。
各家庭に無料でチューナーを配布するなどは、資本主義の発想からはあり得ないことなのだろうが、チューナーがあっても地デジ電波の受信感度が悪いなどの地域にどう向き合うか?また、例えば年配者だけの世帯には、切り替えの認知も含めてどうサポートするか。公務員が直接家に出向きサービスするなどというのは、行き過ぎだろうか。
見え見えではあるが、あぁ、やはり人間とは企業の道具でしかないのかと僕は感じる。
「家電業界が、自らをどう潤すことができるか」
「そのためには、広告塔として誰に動いてもらおうか」
瞬間的に考えれば、当座はイメージダウンとなるゆえに、草なぎへの拒否反応は企業・政府側としてわからなくもない。公然わいせつの犯罪者がキャラクターとは考えられないという見方もある。もっとも法律上の解釈からすれば、そうもなるのだろうが―ただ今回の草なぎの“罪とその後の会見”を考えるときに、そこには人間味=温かさの視点=なるものが欠けていると僕には思われてならない。こうした集団は、素早く降板やら活動停止させるやらの“感性”がありつつも、結果的には「失敗」するのではないか。
企業なら、彼のままで済んだものをあえて拒んだことによる“損害”は、様々な意味でi以前より大きくなるかもしれない。政府なら、国民からの尊敬はまず得られないだろう。国民にとっては、税金の無駄遣いのゆえに結局は自らへのサービスの低下を招くだろう。
もっと、大きな視点で物事を眺めることはできないものか。架空の存在ならたしかに“不祥事”は起きないだろうが、しかし草なぎを「最低の人間」と称した鳩山邦夫総務相(60)=のち撤回=が主導している限り、地デジへの好感度がUPするとは思えない。それに、国民には選択の余地がなく2年後のその日にはすべて地デジになるのだから、少なくとも政府としては熱心な宣伝の意義は薄れるというものだ。国民のために注ぎ出されるエネルギーは、もっと適切なところになされるべきではないか?これだから、世界水準の指針に倣うはずのデジタル化も政府と業界との癒着として見られるのだ。
僕が考えるには、そもそもCMは不要である。だがそれでもPRを狙いたいというなら、草なぎの余りのポスターは使えるではないか。真面目な意味で。
“僕と一緒に 新しくなりましょう”
こんなフレーズのゴム印を作り、職員があのポスターに順次押していけばいいではないか。「申し訳ありませんでした」の文言も必要かもしれないが、新キャラ普及や新ポスター作成の費用と比べればどうだろう。なお、応用でCMにもこの手法は利くだろう、全体的に見ればプラスにならないか?あの石原都知事も怒ったワッペン騒動「バカじゃねえか」問題の教訓は、何も活かされないのだろうか。
人間とは、単なる誰かの利用価値の存在ではない。だが、仮にそうだとしても、この件に関して言えば草なぎは十分“使える”。それがそうならないのは、すべてとは言わないが、上に立つ立場の人間性があらゆる意味で貧困だからだろう。便利になるなると騒ぐ一方で、その分肝心な「質」は退化しているようだ。
[ 記者:しろ馬の王子 ]
記事ID 38120
前の投稿記事 | 次の投稿記事 |
---|---|
|
|
関連記事
この記事へのコメント
コメント 1件中 1件~1件 を表示 | 最初 | 前 | 次 | 最後 |
- 1.投稿者 : YASS
- 投稿日:2009-05-07 19:19:46
個人的には、ジャニーズは
「剛が戻って来るまで、残りの4人が代わって、
地デジPRという社会的な責任を果たす」と
SMAPメンバーに言わせて、4人でPRすれば
PR効果は草なぎ起用以上のものがあるだろうから
総務大臣も文句言えないだろうし、役所やテレビ局には
恩を売ったことになっただろうにね。
ということを思います。
ま、拙速な地デジ化やそれに関わる利権の組織化とか
悪政のひとつとしか思えませんが。
この記事へコメントをする
-
コメントをするにはMy Tsukasa ID(登録無料)が必要となります。
My Tsukasa IDをお持ちでない方はこちら。 - ご入力頂いたコメント内容は、逐次公開されます。
- 記事に関係のない内容、不愉快な発言、誹謗中傷、違法行為などは掲載しない場合があります。