30年前の1979年5月5日、毎日新聞は1面に「じりじり減るこども人口」の見出しで少子化時代が近いことを報じた。当時15歳未満の人口は2768万人、全人口の23.9%を占めていた。それが、年々の出生数の減少で十数年後には20%にまで落ち込むだろう、と記事は危機感をにじませている。
事態は進んだ。15歳未満人口は現在28年連続して減り、1714万人。全人口に占める割合も20%を大きく割り、13.4%と35年連続して低下している。しかし、注目すべきはそうした数値だけではない。当時は想像できなかった変化や新現象が今、子供たちの環境に起きている。
一つは携帯電話で形成する世界。学力と「ゆとり教育」をめぐる学校教育の混乱。そして何より痛ましいのは、児童虐待の急増である。
携帯電話は急速に子供たちの世界にも広がり、文部科学省もやっと利用調査をしたが、実態はまだつかみきれない。例えば、トラブルや事件の原因にもなる自己紹介サイト(プロフ)について、子が利用していることを知らないばかりかプロフの存在を知らない親も珍しくない。閉ざされた世界になりがちだ。
閉ざされた密室で大人が起こす児童虐待は年間4万件を超える。子供が様子の変化などでシグナルを出しているのに、周囲が見落としたり、行動に出ないために最悪の事態に至るケースも後を絶たない。大阪市の小学生女児の死体遺棄事件もそれが悔やまれる例といえるだろう。
一方、子供を産み育てる社会条件も寒々としている。04年から少子化社会対策大綱を掲げる政府の最新少子化社会白書は「目標と現実の乖離(かいり)」を並べ、改善を強く求めた。例えば、男性育休取得率は目標10%に対し07年度実績1.56%という有り様だ。そこへ空前の不況、雇用不安というマイナス要因がのしかかる。
子は宝という。親だけでなく社会のだ。しかし、その現実や守り育てる仕組みは言葉からはほど遠い。児童虐待は端的にそれを物語るが、携帯電話や学力の問題にも共通した課題がある。おせっかいと言われようと、大人たち、地域社会が子育てに連帯する責任意識を持ち、必要な注意や対処をためらわないことだ。
携帯電話によるいじめなどのトラブル防止や察知、目先の点数アップにとらわれない真の学力育成での学校との協力や支援など“首を突っ込む”べき余地は多くある。
子は宝。もう一つ肝に銘じたいのは、子供たちは大人たちを映す鏡。子供たちの環境を改善することは、すなわち暮らしやすい社会を整えることにほかならない。こどもの日は「おとなが問われる日」である。
毎日新聞 2009年5月5日 0時19分