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[BUREAUCRACY]
今度こそ公務員制度は変わるのか
ジャーナリスト 白石 均 Shiraishi Hitoshi

官僚内閣制から議院内閣制へ――。
長年求められてきた大改革が、ようやく一里塚に辿り着いた。
だが、抵抗勢力の反抗は激しい。戦いは佳境に突入する。
今度こそ公務員制度は変わるのか
>>本誌8ページ
 日銀総裁人事、ガソリン税率と政権の不手際が続く中、四月四日、「国家公務員制度改革基本法案」が閣議決定された。政官接触規制、キャリア制度廃止などの柱からなるが、最大の焦点となったのは内閣人事庁構想だ。霞が関の各省庁は、それぞれ独立した企業のようなもので、それが省益重視、国益無視の行政を生んできた。人事も当然に別々だが、それを改め、審議官・部長級以上の幹部人事は省の垣根を越えて一元化し、実質的に人事権を召し上げようというのだから、官僚らが必死で抵抗したのも無理はない。
 その結果、当初法案に盛り込まれるはずだった「縦割り行政の弊害が生じないよう」という文言は削除され、内閣人事庁に所属するはずだった省庁幹部は、人事庁と省庁の両方に籍を置くことになった。閣議決定前後の新聞報道では、渡辺喜美行革相の奮戦むなしく、町村信孝官房長官ら「親霞が関」派に抑え込まれ、骨抜き法案になったとの論調が目立った。
 だが、法案の細部をつぶさにみてみると、決して「骨抜き」とばかりは言えない。人事庁について、町村氏が当初「助言・情報提供の役割にとどめる」と明言したのを覆し、法案では人事原案(候補者名簿)の作成や適格性審査など、強力な人事権限を人事庁に与えることを定めている。たとえば厚生労働省に人材がいないとなれば、局長候補として他省の人材をずらり並べて閣僚に提示できるわけだ。法案がこのまま成立すれば、各省縦割り人事の温存はもはや不可能だ。
 幹部の籍について、確かに、渡辺大臣の当初案では「内閣人事庁に本籍、各省に併任」だったものが、政府最終案では各省への配慮から「内閣人事庁と各省に所属」と曖昧にはなった。衆議院内閣委員会で民主党の馬淵澄夫氏が暴露した政府内部文書によれば、渡辺大臣の頭越しに「官房長官が総理と相談した結果」なのだという。自民党の会合ではこの妥協案に対し「両方に所属というのは重婚罪だ」(塩崎恭久元官房長官)など、渡辺案に戻すべきとの一斉反撃があったが、結局修正には至らなかった。とはいえ最終案でも、どちらを本籍にするのかは今後の検討に委ねられ、人事庁に籍を置くことまでは確定した。各省が絶対的存在である現状からすれば、かなりの前進だ。
 また、今回の法案はいわゆるプログラム法であり、例えば内閣人事庁設置法案の提出は法律施行後一年以内とするなど、具体的な措置は今後だ。したがって作業過程で骨抜きが起きる可能性は否定できない。
 しかし法案を見ると、プログラム法としては異例なほど細部まで書き込んでいる。普通のプログラム法ならば、たとえば「内閣一元管理のための措置を○年以内に講ずる」と書く程度のところを、候補者名簿の作成や籍の置き場所まで決めてしまい、骨抜きの余地を極力排除している。渡辺大臣が当初描いた構想から後退があったとはいえ、「かなり高い合格点」と大臣本人が言うのも理由のないことではない。内閣人事庁構想は、中曽根行革の頃から浮かんでは必ず潰れた、決して実現しない大改革の代名詞。その人事庁の創設が決まったこと自体が、霞が関の「敗北」を意味するのである。
 では、「親霞が関」政権といわれる福田内閣で、なぜこんな改革案がまとまったのか。ターニングポイントは三月五日だった。この日、財務省の丹呉泰健官房長と経済産業省の松永和夫官房長が、揃って官邸の二橋正弘官房副長官を訪ねる。人事庁構想潰しの作戦を相談に来た二人に、二橋氏はいきなり「総理は内閣人事庁を作る意向だ」と言い渡す。二橋氏はもともと公務員制度改革に強硬に反対してきた“超守旧派”。福田康夫首相はその二橋氏のマインドコントロール下にあるというのが霞が関の共通認識だったから、この発言は驚天動地だった。霞が関はパニックに陥ったという。
 前政権と違って「親霞が関」を売り物にしてきた福田首相だが、筆者が前号で紹介した外資規制や公務員制度改革などへの取り組みを見ても、ようやく官僚と距離を置き始めたのは明らかだった。しかし公務員制度改革は前政権が崩壊に追い込まれた、いわば鬼門だ。安倍晋三前首相が霞が関の意向に真っ向から反し天下り規制を掲げたため、霞が関が社保庁スキャンダルなどを次々にリークして政権を崩壊させたというのは政界の常識。だからこそ福田首相は政権発足以来「霞が関との融和」路線を堅持してきた。その方針を変更したのは、支持率低下が続く中、「親霞が関」の限界と弊害を悟ったからなのかもしれない。
“変節”した福田氏はもはや用済みということなのか、すでに霞が関の報復が始まったとの見方もある。

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