2008年07月29日

ノウハウの継承と企業若返りの常道とは

今朝の朝日新聞の社説に大変興味深い「企業努力」が紹介されていました。


<引用開始>
兵庫県姫路市にあるダイセル化学工業の網干(あぼし)工場。液晶画面の部品の素材などを生産している。ここで96年から若返り作戦を進めた結果、生産性が3倍へと飛躍的に向上したという。


中堅の管理職がベテランから徹底的に聞き取り調査をおこない、継承すべき知識と捨ててもいい知識を整理分類した。その成果をコンピューターに入れ、だれでも簡単に引き出して利用できるようにしたのだ。


継承には膨大な手間がかかるが、その結果トラブルをこなし順調に操業できるようになると、現場に余裕もできた。業務の改善など創造的な仕事に取り組めるようになったほか、聞き取りをした中堅層ではコミュニケーション能力が格段に向上した。この結果、会社の組織が開放的になり、大幅な生産性の向上につながったという。


経験として暗黙のうちに組織に蓄積されたものを再認識し、IT(情報技術)を生かして全員の共有財産にするのがノウハウ継承の特徴だ。
<引用終了>


何が行なわれたのかを一言で表現することができます。それは「業務のマニュアル化」ということです。
本日は、業務のマニュアル化は生産性を確実に向上させるということについて書いてみたいと思います。


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ディズニーランドから連想する言葉の一つにマニュアルがあります。経済関係の雑誌で執筆する学者やコンサルティングを生業にする方々が「マニュアル通りの対応の弊害」とか「マニュアル教育の限界」とか、いわゆる「マニュアル悪者論」を展開しています。はたしてその通りでしょうか。


ディズニーランドには「標準作業手順書」というマニュアルがあります。「センター・オブ・ジ・アース」に一冊、「ガジェットのゴーコースター」に一冊というように各ロケーションごとにマニュアルがあります。東京ディズニーリゾート全体だと何百冊にもなることでしょう。

仮に500種類のマニュアルが使用されているとすれば、500冊分の知恵と工夫の集積・知恵と工夫の歴史が存在しています。ディズニーランドのマニュアルとは携帯電話の取扱説明書やゲームの攻略本のように「無機質」なものではありません。森や雑木林に生きている一本の樹木のように、変化し成長していく「有機的」なものなのです。


「すべてのゲストがVIP」東京ディズニーランドで教えるホスピタリティより
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経営の神様と言われたピーター・ドラッカー氏は、「知的労働で生まれる成果物(知識、アイディア、情報)はそれ単体では役に立たない 、他人に伝える必要がある」と説いています。


マニュアルをピーター・ドラッカー氏的に表現すれば、「マニュアルとは、知的労働で生まれた、他人に伝えるべき成果物(知識、アイディア、情報)の集合体である」と言うことができるでしょう。


そうです。職場にマニュアルという成果物が無いということは、知識、アイディア、情報が他人に伝えられていない、つまり職場で成果物が共有されていないということを意味するのです。


さて、ダイセル化学工業の大成果の報道を受け、日本全国の経営者の方々へ一言申し上げたいと思います。


経営者のみなさん、支払っている給料に「マニュアル作成料が含まれる」と従業員に訓示していますか。それとも組織内に「知識、アイディア、情報」を伝承するは必要ない、給料には含めない」とお考えですか。


もちろん従業員が業務を通じて得た「知識、アイディア、情報」など自社内に伝える必要が無いと考える経営者は、日本全国に一人もいないと思います


しかし、です。一昔前の仕事を思い起こしてください。ほとんどの企業では「技術やノウハウは教えてもらうものではなく、先輩から盗むものだ」と教えていたことを。そのような考え方であった会社が今、「団塊の世代のノウハウが継承されない」と危機感を募らせているのです。


経営者のみなさん、今からでも決して遅くありません。暗黙知である知識やノウハウを、マニュアルという文章化された形式知にして組織に伝承することは「大切な仕事の一つである」ことを全従業員に徹底して認識させるべきです。
そうすることにより、ダイセル化学工業のように大幅な生産性の向上を成し遂げることができるのです。


次に、マニュアルを活用して成長している企業を紹介します。
京都に「山本精工株式会社」というアルミニウム加工会社があります。この企業のマニュアルに対する考え方は私のマニュアル論に大変近いものです。


「良いところは学び、参考にする。個人のノウハウをデータ化する、マニュアル化する、人伝えして共有し、一度自分の仕事をなくして、新しい仕事にチャレンジする時間を生み出す。このサイクルを企業内に根付かせ、中身の濃い厚みのある企業になる。」
山本精工株式会社 山本常務談


新しい仕事にチャレンジする時間を生み出すためにマニュアルを活用する。
いかがでしょう、素晴らしき創造性を持つ人たちの集まりであることが容易に推察できます。
「中身の濃い、厚みのある」とは何でしょうか。私は、それは人の「知の結集」と考えます。


●私のマニュアル論の一部を紹介します。


◇マニュアルは企業の体質を改善し企業を発展させるものです。マニュアルは個人知識から組織知識へ英知を結集させたものです。
マニュアル作成によって「知識、ノウハウは盗むもの」という組織体質から「知識、ノウハウは教えあうもの」という前向きでオープンな組織体質へ改善させることができるのです。


◇マニュアルは人間の能力を発揮させ無限の可能性を引き出します。一人ひとりの能力を最大限に発揮してもらうにはマニュアルの力が有効です。マニュアルという「決めごと集」があるからこそ、人間は安心して可能性にチャレンジすることができるのです。


◇現場力の低下に伴う苦情や不祥事の発生は「結果、現象」であり、会社や組織が正常でないというメッセージなのです。そのままでは倒産か崩壊につながってしまいますが、そうならないようにするメカニズムを明確に記したものがマニュアルです。
マニュアルは現場力を向上させ、苦情や不祥事を防ぐ役目を持っています。


◇コンプライアンス(法令順守)だけでは会社は存続できません。法令は社会の最低限のルールであって、法令さえ守っていれば何をやってもいいというのではありません。そして、より会社のルールを明確にするために役立つのがマニュアルなのです。


◇マニュアルは決めごと集です。会社全体に関わる大きな決めごとや、最小単位の職場での小さな決めごとを集大成させたものがマニュアルです。


◇野球にもサッカーにもゴルフにも「ルール」があります。ビジネスも同じですが、チームワークを必要とする組織活動の場合「ルール」を守らないと他者に迷惑をかけるだけではなく、組織全体の浮沈にも関わる大問題に発展してしまうこともあります。


◇マニュアルがないということは、準備ができていないということです。問題点が見つけられないということです。
「準備ができている」といことは、「用意ができている」「仕度ができている」ということであり、「準備ができていない」ということは「手抜きをしている」と換言することができます。


「ホスピタリティの創造にはマニュアルが必要」


「夏の虫氷を笑う」ということわざがあります。見たこともないものを笑うという意味であり、「井の中の蛙大海を知らず」と同じ警句です。
ディズニーランドのマニュアルは最高のマニュアルです。ダイセル工業のように生産性を大幅に向上するためには、最高のマニュアルについて学ぶ必要がある、私は経営者の方に、このことを強く進言したいと思います。


最後に
私は昨年、ダイセル化学工業の東京本社で講演をさせていただきました。講演の演題は「ディズニーランドに学ぶ品質管理とステークホルダー・リレーション」でしたが、前回の講演では、不祥事を起こした雪印乳業から多くのことを学んだと聞き、他社から学ぶ企業の成長力は強いと改めて再認識いたしました。
(ダイセル化学工業は、タバコのフィルター製造部門では日本におけるオンリーワン企業です。)

2008年07月28日

テント飛ばされ死傷事故と「知らないのに知っていると思いこんでいる症候群」

 

27日午後零時50分ごろ、福井県敦賀市港町の敦賀港で開催されていたイベントの会場で、テントが突風で飛ばされ、巻き込まれた男性1人が死亡、8人が軽傷を負った。
(時事通信)


この事故の行方が気になります。
恐らくマスメディアや警察は、この事故の真の原因にたどり着くことはないでしょう。自然災害として片付けられるに違いありません。

マーク・トウェインの警句です。
災いを引き起こすのは知らないことではない。知らないのに知っていると思いこんでいることである。


11名の尊い命が奪われた明石市の花火大会歩道橋事故同様に、今回のイベントでの災いも、実は「知らないのに知っていると思いこんでいること」から発生したものなのです。


先日起きた八王子の無差別殺傷事件同様に、この事故でも一人の方が亡くなっています。人の命が奪われたということでは全く同じ「事件」です。
遺族の悲しみも同じでしょう。日本社会は、そしてマスメディアは、この事故を自然災害として片付けるのではなく、日本の大問題として取り上げるべきなのです。


ではなぜ私が大問題と考えるのか、それは次の問いかけで明らかになることでしょう。


それは、「この事故がディズニーランド内で起きていたら、マスメディアはどのように反応するか?」という問いかけです。


誰が考えても、ディズニーランドを無罪放免にすることなどあり得ないでしょう。
遺族も「自然災害だから仕方なかった」と許してくれるはずはありません。死亡者がお客様でも従業員でも、イベント運営の責任者は業務上過失致死罪に問われることでしょう。


それではひるがえって、今回の事故は「誰が」責任を取るべきなのでしょうか。
「強風で支えきれなくなり全員で一斉に手を離したが、1人だけ離さなかったという。」と報道されていますが、手を離さなかった被害者の自己責任なのでしょうか。それとも手を離した人が加害者なのでしょうか。


私はどちらでもないと考えます。加害者は実行委員会という「組織」です。「組織」がプロとしての仕事ができていなかった。つまり、マーク・トウェインの警句のように、正しいイベント運営方法を知らなかったことが、この災いを生んだのです。


ディズニーランドでは、今回のイベントで使われたような簡易テントを使用することはありませんが、仮に使用したとしても、突風や強風を想定した対策を事前に構築しておきます。そして、実際に突風の発生が予想される場合には、簡易テントを片付けたり、来場者や参加者を非難させたりするなどの安全対策を実行に移すのです。(有料の気象情報を24時間収集しています。)


これがプロの仕事です。
お分かりになられたことでしょう。安全対策のキーワードは「予測」なのです。
このキーワードで今回の事故の責任問題を考えてみます。


今回の事故の原因となった突風が予測できたのか、できなかったのかということはあまり重要な問題ではありません。より重要なことは、実行委員会という「組織」が突然の気象状況の変化を予想していたのか、していなかったのかということです。


換言すれば、気象状況は「変化しないだろう」と考えていたのか、それとも「変化するかもしれない」と考えていたのかということです。


プロの仕事とは、常に「かもしれない」を考えることです。「起きるかもしれないこと」を知っておくことなのです。
イベントの主催者である実行委員会には、このプロの仕事ができていませんでした。その結果が死亡事故の発生です。つまり、この死亡事故の加害者は実行委員会という「組織」である、これが私の出した結論です。


それでも、です。私は実行委員会の会長など、「個人」の責任を問うことは間違っていると思います。
なぜならば、「個人」は誰からも正しいイベント運営に関する教育を受けていないからです。突風を予測するなどという業務は、イベント運営には含まれないことが、日本では社会通念になっているからです。


さらに、です。明石市の花火大会歩道橋事故では、主催者である明石市の責任が問われ、市の担当者に有罪の判決が出された結果、花火大会を主催する自治体がもしもの事故を恐れ、花火大会の開催に消極的になってしまったと聞いています。


今回の事故で、イベントの実行委員長が起訴され有罪にでもなったらどうでしょうか。
誰も地域のイベントやお祭りの責任者などやらなくなってしまうことは火を見るより明らかです。


日本社会にイベント開催時の安全思想が定着するまでは、イベントを開催する「組織」の責任は問われても、個人の刑事責任は問われてはならない、イベントと安全管理に関するプロである私はそのように考えます。


最後にもう一度マーク・トウェインの警句を記します。

災いを引き起こすのは知らないことではない。知らないのに知っていると思いこんでいることである。


明石市の花火大会歩道橋事故然り、富士スピードウェイのF1グランプリ開催による集団訴訟然りです。
正しいイベント運営方法を知らないのに知っていると思いこんでいたからこそ、災いが引き起こされたのです。


日本社会には今、「知らないのに知っていると思いこんでいる症候群」があふれています。そして、このことこそが今回の事故の真の原因でもあり、日本中で多発している多くの事故や事件の真因でもあるのです。


亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、この9人の死傷事故を教訓に、日本社会に蔓延する「知らないのに知っていると思いこんでいる症候群」が改善されることを願ってやみません。

2008年07月22日

東北楽天イーグルスの「ディズニーランドのような」を叱る

 

東北楽天ゴールデンイーグルスは、本拠地である県営宮城球場を「ディズニーランドのようなベースボールパークにする」と宣言していましたが、この来場者への対応はいただけません。ハッキリ申しあげて「無礼極まりない」としか言いようがありません。


<引用開始>
プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、仙台市のクリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)で行われる東北楽天の試合で、飲食物の持ち込み規制が強まり、観客から不満の声が出ている。外で買った食べ物だけでなく、手作りの弁当やおにぎりも締め出す徹底+ぶり。球団は「売店の売り上げを確保するために仕方ない」と理解を求めるが、一部のファンは「もうけ主義が強すぎる。手作り弁当ぐらい大目に見てもいいのでは」とぼやいている。(7月20日 河北新報)
<引用終了>



確かに宮城球場同様に、ディズニーランドでも園内へのおにぎりや、お弁当の持ち込みをご遠慮いただいているのは事実です。しかしながら、ディズニーランドは、売店の売上を確保するために持ち込みをご遠慮いただいているのではありません。あくまでも「ディズニー・テーマパークとしての価値を維持する」という目的であり、売上云々という「下心」は一切ありません。



少しだけ想像してみていただければ分かります。
日本人は「花見好き」な民族です。もちろん私もです。そして、昔から家族で行く花見には、手づくり弁当を持って行くことが当たり前のことであり、レジャーシートの上で「家族団欒」を楽しむのも当り前のことです。


東京ディズニーランドの成功は、まさにこの日本文化を「封じ込めた」ことにあると言っても過言ではないと私は考えます。


シンデレラ城の前や、スペース・マウンテンの前、ジャングル・クルーズの前で、家族がレジャーシートの上で車座になり、おにぎりやいなりずしを食べていたら・・・高い入園料を支払っているゲストは、それを見てどのように思うでしょうか。ディズニーの世界を満喫できるでしょうか。


ディズニーランドではほとんどのゲストが、6〜8時間ディズニーの世界を楽しまれます。お弁当を持ってこられたご家族は、園外のピクニックエリアにおいて、プライベートな雰囲気の中でお弁当を食べることもできます。


すべてのゲストにハピネスを提供することを第一に考え、身勝手な「席取り」も含めた一部ゲストによる公の場所での「自分勝手」を決して許してこなかったからこそ、ディズニーランドは「顧客満足度が高い」と評価されているのです。


残念ながら東北楽天イーグルは違います。経営者の思考の根底にあるのは「経済第一」です。「お弁当は球場外で」と観客に説明しているそうですが、東北楽天イーグルスの対応は、明らかに観客のハピネスより自社の経済性を優先させています。これでは顧客は満足してくれないでしょう。


そもそも、です。ゲームというエンターテイメントが行なわれている時に「球場外で」と考えること自体が間違っているのです。
ディズニーランドでは、ゲストは入園している時間内に好みのエンターテイメントを「選択」できますが、野球というエンターテイメントは「一つ」であり、観客にとっては「選択」の余地が全くないのです。


映画や舞台と同じです。上演中に「外で」とは、「映画や舞台の一部は見なくていい」と言っているのと同じです。「不完全なものを見せてもしっかりと入場料はいただく」と言っているのと同じことなのです。


ディズニーランドの考え方とは180度違うこの東北楽天イーグルスの考え方では、エンターテイメント・ビジネスは決して成功しないでしょう。


最近よく思います。日本人は接客がなんて下手なんだろう、と。
接客とはお客様の期待に応えることです。野球で言えば、観客の楽しい野球観戦をしたいという期待に応えることこそが球団関係者の責務なのです。

東北楽天イーグルスも含め、接客をもっと勉強して欲しい、そう願ってやみません。


最後に一言。

東北楽天イーグルスには二度と「ディズニーランドのようなベースボールパークに」とは言っていただきたくない。ディズニーランド出身者としてこのように申し上げたいと思います。

2008年07月19日

みんなのミッキー 独り占め「家族に東京ディズニーシー貸し切り…開園25周年記念」

みんなのミッキー 独り占め
「家族に東京ディズニーシー貸し切り…開園25周年記念」


皆さんはこのニュースを聞いてどのように感じたでしょうか。
私は正直「ディズニーはすごい、進化している」と思いました。今日はその理由について簡単に書いてみたいと思います。

「すごい」理由とは、「なぜ、こんなことができるのか」という問いに答えることです。反対に言えば「こんなことをして批判されないのか」という問いに答えるということです。

「売名パフォーマンス」「一家族の独り占めはディズニーランドのポリシーと矛盾する」と批判するマスコミが必ず現れることをディズニーランドは知っていますが、それでも実行に移したのは、ディズニーにはある確信があるからに他なりません。

その確信とは「ディズニーランドでは、ゲストにはいつでもディズニーを独り占めしていただいている」という確信です。

確かに今回の東京ディズニーシー貸し切りは、全面的な貸し切りでした。このように全面的貸し切りを行なったのは前例がありません。(マイケル・ジャクソンの来園時のことはこちらの過去ログをご覧ください)


しかしながら、全面ではなく場面、場面においては、すべてのゲストは常にディズニーと名のついた「何か」を貸し切っているのです。それはレストランのテーブルかもしれません。アトラクションの座席かもしれません。


おもてなしを提供するキャストやミッキー達キャラクターがゲストと接する場面では、常に一家族や個人の貸し切り状態なのです。

つまりこういうことです。キャストもキャラクターも「大勢」を相手にした接客をしているのではないのです。一人ひとりのゲストに対し、貸し切り型の個別接客をしているということなのです。


今回の全面的貸し切りは、日々ディズニーランド内で行なわれている場面的貸し切りの延長線上にあるものに過ぎないということを、ディズニーやディズニーランドを運営する(株)オリエンタルランドの社員は理解しているからこそ、批判など恐れずに実行に移すことができるのです。


スペース・マウンテンやホーンテッド・マンションなどの待ち時間が長いアトラクションでも、決して他人との合い席はお願いしません。効率的運営より、ゲスト個人の幸福感を優先させるからです。


このような、小さな、小さな「個人へのおもてなし」を積み上げてきたからこそ、ゲストの顧客満足度も高まり、今日のディズニー・テーマパークの繁栄がもたらされたのです。


「同じ料金をもらっているのだから、同じサービスが当たり前」の時代は終わりました。これからは、一人ひとりのお客様へ質の高いおもてなしを提供できない企業が生き残っていくことは、難しい時代になって行くに違いありません。

そう確信したディズニー・テーマパーク貸し切りのニュースでした。

2008年07月05日

アグロフォレストリー(混農林業)が日本社会を救う

アグロフォレストリー・システムが日本の食糧問題、環境問題、エネルギー問題を解決します。

5日の環境問題を特集した読売テレビの番組でアグロフォレストリーという用語を知りました。
早速、インターネットでその意味を調べたところ、農業、林業、畜産業、水産業を組み合わせた山村地の土地活用システムであることが分かりました。混農林業とも呼ぶそうです。


もともと農業、林業、畜産業、水産業の組み合わせですから、組み合わせの仕方は実に様々です。したがって、この用語をあまり難しく考えない方が良いと思います。


「日本の農家は、農業経営のなかに森林を組みこんで利用してきました。農用林といわれますがこれもアグロフォレストリーの一つといえます。武蔵野では、化学肥料が普及する前は、畑作を持続させるためには、屋敷林や雑木林の落ち葉から作った堆肥が利用されていました。
里山での炭焼や放牧もアグロフォレストリーの考え方に含まれます。」
東京農工大学の報告書より引用>


この番組では、破壊されるアマゾンの森林問題の対策にこのシステムが生かされていると報じていました。
荒廃した日本の森林への対策や疲弊した農業への対策も同様に「待ったなし」の状態です。
私は日本社会が永遠に存続していくためには、国家レベルでこのアグロフォレストリー・システムを導入するべきであると考えます。


今の日本はまるで、大海原で進むべき方向が見えずに立ち往生している巨大船のようです。この国に住む多くの人々が、行き先の見えない日本社会に閉塞感と不安を感じています。
日本は今、食糧自給率の問題と原油高の問題で大きな「ピンチ」に陥っていますが、このピンチを「大チャンス」に変えるのが、このアグロフォレストリー・システムの導入であると私は確信しています。


私は以前から、日本の国土の3分の2を占める森林を開発して、膨大な農林エネルギー(食糧エネルギーと燃料エネルギー)を生み出し続けるエネルギー産地につくり変えていくべきだと提言しています。
日本をエネルギー輸入国から輸出国へ転換させるこの仕組みづくりの基本は、まさにアグロフォレストリー・システムそのものなのです。

ブラジルにできて、日本にできない訳がありません。技術の開発も終了しているといっても過言でないくらい、この分野での日本の技術力は高まっています。


残された問題は、国民のパラダイム(ものの見方、考え方)転換です。今朝の読売テレビの番組で小池百合子元環境大臣は、「今までの文化から、これからの文化を築くというパラダイムへの転換が必要」というような発言をされていました。全くその通りであると思います。


環境問題に関し、ニュースキャスターの古舘伊知郎氏は、「昨年、オーストラリアの干ばつやスイスの氷河を訪ねたそうですね。」と問われ、このように答えています。
<5日の朝日新聞紙面より引用>

「異変の現場に立つことで、自分が『加害者』なのだと気づいた。先進国を中心に長年出してきた二酸化炭素が各地に影響している。つまり、私たちは『間接殺人』を犯しているな、と。


古舘氏の「自分が『加害者』なのだと気づいた。」発言は、全国民が真摯に受け止めるべきであると思います。
なぜならば、渋滞問題でもほとんどの人は「自分が『加害者』なのだ」とは考えていないからです。

渋滞に巻き込まれたドライバーは一見被害者のように見えますが、実は渋滞を構成し、温暖化ガスを排出している「加害者」であるのは紛れもない事実なのです。
そのことに気づかずにいるのは「間接殺人」を犯していることと同じである、私もそう思います。


さらに、古舘氏はこのようにも発言されています。


「(慶応大学の)安田教授からは日本人が『森を大切にする心』を持ち、江戸時代まで循環型の社会をつくっていたという話を聞きました。テレビは大反省すべきですね。森というとスタジオジブリだけに任せてきたわけですから(笑)
欧州はかつて森を破壊し尽くしたが、日本は森に蓄えられた水で稲作を営み、生態系を守っていた。『日本のこうした精神性を世界にもっと紹介していい』」


日本の環境問題や食糧問題を解決させ、日本社会を希望社会に生まれ変わらせるためには、私が提言する森林開発システムに全国民がベクトルを合わせることが必要です。この森林開発システムは、ゴミ問題や高齢者のコミュニティ問題、地方社会の疲弊問題など、日本社会が抱える様々な問題を解決させます。

この森林開発システムは、多くの方に理解はしていただいているものの、なかなか推進できないことに苦悩しています。あきらめずに伝えていくしかない、いつも私はそう考えています。


私が提言する森林開発システムについてはこちらのブログをご覧ください。(いくつか記事を一つにしたものであり、かなり長いです。)


地球温暖化防止「ごっこ」はもうやめよう