ヒロシマ(2007年10月19日)
テーマ:お出かけ続きです。
市電を「原爆ドーム前」で降り、ゆっくり地面を踏みしめながら歩きます
もう夕方になっていて、人もまばらなこのあたり。平日だったけどまだ会社が終わる時間ではなさそうです。
電車の停留所からすぐ、原爆ドームはあります。
ここだけ時間が止まったような、
それでも多分高校3年生の時に来て以来(なんだかあんまり自信がなくなってきたけど)、
確実にドームの崩壊は少しずつ進んでいるようで、複雑
草木も生えないと言われていたこのあたり(実際には原爆投下わずかの月日で地面から芽が出て、
被爆者のかたを勇気付けたそうです)、今は緑濃いモニュメントパークになってます。
元安川のほとりを平和祈念公園に向かって歩きます。
中学時代に観た映画の影響をものすごく受けた私は、叔母がいたし、
中学3年間毎年8月6日あたりに広島に来て、
自分なりに学習したものを夏休みの自由研究として提出していました
高校生になっても大学生になっても、なんだか私にとっては身近な問題で。
そんなこともあってか、感覚がとても過敏になっていたようで、
元安川のほとりをあるいていたら、鳥肌がゾワーッ・・・。たくさんの犠牲者が水を求めて飛び込んだこの川。
・・・しばらくしたらスッと消えました。
「原爆の灯」あの日を忘れないという決意の表れのモニュメントです。
慰霊碑の前に着いて、早速お参り。
私は何にも役に立ってないけど、ヒロシマを知って学んだ者が生命を大切にして生き続けていくことは、
もしかして大事なことかもしれません。
ここからは原爆の灯からドームまで、一直線に並んで見えます。
さて、資料館に向かいましょう。まだ閉館にはなっていなさそうだけど・・・?
18時までだそうで、到着した時に17時だったため、
一番見たいところにポイントを絞ってというスタイルになりました
昔はただただ不気味で怖いイメージの資料館でしたが、こちらも大人になったし、
資料館もただ陳列物を見るだけ・のものではなく、実際に熱で溶けた瓦を触ったり(安全に処理されてます)、
3Dでのわかりやすい説明ブースが随所にあったりと、昔とはだいぶ変化してました。
あまりの悲惨さに気分が悪くなる人もいると聞きますが、今はそんなこともないかもしれません。
汗だくで資料館を走りぬけ(たような感覚)、外に出てきたら夕闇
また市電に乗って叔母の家まで行きたいので、来た道を戻ります。
ドームはオレンジ色のライトアップが施され、もっと夜になってから眺めたい気がしました。
このドーム・平和公園では、ホントに不思議な感覚をたくさんして、
時間はあの日から確かに流れているけれどそこだけ別世界だったり、流れている空気が違う。
生きていること、生かされてることの意味を考えさせられたひとときで、
珍しく日ごろの言動につき反省したりしました・・・。
広島に来たメインが、これで終わった感じ。
夜は叔母と保障の簡単な見直し?なぞして、契約もしてもらったり、5%だけ仕事しました。
翌日13日はお買い物~ そして宮島に連れて行ってくれた従姉のお家に招待されて晩御飯をご馳走に。
お店では名物お好み焼きは食べなかったけど、
18年ぶりに対面した従姉のお嬢が焼いてくれたのには感激しました
おばちゃん、年取る訳だわね。
14日。でかくて重い荷物は宅急便で自宅に送ってもらうようホテルにお願いし、市電で叔母と広島駅へ。
お昼を早めに食べて、新幹線口から出る空港行きリムジンバスに乗ります。
11日に到着してすぐ、空港で往復の乗車券を購入しといたので、往復だと2600円のところ、2360円になりました。かなり早めに空港に着いちゃったけど、その分ゆっくりお土産が選べてよかった。
お酒も買っとけばよかったな~
羽田空港に16時に到着。
宮崎からの親戚の送迎か、今回のようなことでも無い限り、滅多には来ない場所なので
またまたゆっくりしちゃいます
KIHACHIでソフトクリームとか食べちゃったり。自宅近くの駅までのリムジンバスに乗って(到着したら早めに買ってもよいかも・・・)、そして帰ってきました。
バタバタと出かけてしまって夫や娘には迷惑かけちゃったけど、
2人とも私がどこかに出かけることに対して嫌な顔もせず送り出してくれるので、ありがたいと思ってます
だから調子に乗って「今度はいつ行こうかな~」とか計画立てたりしちゃうんですけどねっ。