公明党 実績物語<完>
公明新聞:2007年3月2日
将来ともに安心した老後を約束する画期的な「年金制度改革」、多くの中小企業を倒産の危機から救った「資金繰り円滑化借換保証制度」誕生のドラマを紹介する。
【文中敬称略、肩書は当時】
年金改革制度
「老後の生活の柱」を守れ
積立金活用し「100年安心」確保
厚生労働相の坂口力(公明党)は2003年初頭から、日に日に高まる切迫感と闘っていた。
年金制度の抜本改革案づくりで「保険料を将来も月収の20%以下にとどめ、現役世代の平均所得の50%台の年金給付は確保しなければ。しかし、このままでは2050年以降の年金財政がもたない」と、思案に暮れる日々が続いた。
7月下旬。書道をたしなむ坂口は、張り詰めた気持ちを転換するため都内の宿舎で筆を走らせた。その瞬間、脳裏に「年金積立金」が浮かんだ。約147兆円。保険料徴収額がゼロでも5年分の年金給付が賄える額だ。
「これだ! 積立金は100年先に1年分(25兆円)もあれば十分。取り崩して次世代の給付に充てても、国民の理解は得られるはずだ」
党政調会長の北側一雄も、坂口の説明に「これなら100年先まで50%台の給付はいける。『年金100年安心プラン』ですね」と頷いた。
9月4日。坂口は「坂口試案」を携え、党年金制度調査委員会で改革への思いを披歴した。党も、坂口試案に、党マニフェスト(政策綱領)原案で示した定率減税廃止などの基礎年金国庫負担引き上げ財源案を組み込む形で「公明党年金改革案」とすることを決め、直ちに発表した。
抵抗は激しかった。政府の経済財政諮問会議では、民間議員が「20%の保険料上限は高すぎる」と牽制。「15%が限界」とする財界代表に、年金給付を抑えたい財務相、企業の負担増による経済活動への影響を懸念する経産相も同調した。
坂口は孤立した。だが一歩も引かなかった。「年金の給付額は年間40兆円。これが消費に回る効果は大きい。高齢者の生活水準を維持してこそ経済の安定も保てる!」と全力で応酬した。
北側も与党協議で奮戦。「年金制度の抜本改革」を公約に掲げた11月の衆院選で過去最高得票の大勝利を収めるや、一貫して与党協議を主導。翌04年2月、公明党案をベースにした法案提出にこぎ着けた。
公明党は国会論戦でも野党を圧倒した。負担と給付の数字も示さず5年間も現状放置する民主案を「改革先送り法案であり、数字のないごまかし法案。さらに消費税大増税法案、お年寄り・自営業者いじめ法案」と論破し、勝負を決めた。
6月5日、ついに「英断は賞賛に値する」(堀勝洋・上智大学教授)などと識者も太鼓判を押す年金改革法は成立した。
堅調な日本経済のもとで年金財政は今、積立金を取り崩すどころか逆に積み増しているほど、想定以上に安定している。
逆に民主年金案はどうか? 06年末にまとめた基本政策では財源の「年金目的消費税3%」が突如、消滅。この無責任ぶりには、マスコミも「従来との整合性をどう説明するのか」(1月17日付 東京)などと、あきれ果てている。
どちらが「責任ある政治」を実行する党か、それは明々白々だ。
資金繰り円滑化借換保証
「中小企業を救わなければ」
100万件、15兆円に迫る利用多くの蘇生のドラマ生む
「もう悔しくて。あんなに頑張ってきた町工場を営む友人が自ら命を絶ってしまうなんて。月々の返済を何とかしようと走り回っても、資金繰りのメドがたたずに・・・・・・」「もう少し、返済が緩やかだったら、店を閉めなくても済んだのに」
相談を受けた各地の公明党議員は皆、「必ずやりますから」と相手の手を握るしかなかった。
2002年。バブル崩壊から10年以上がたち、大手企業は、すでに泥沼から抜け出そうとしていた。しかし、不良債権の処理に追われた金融機関は中小企業に対し、極端な「貸し渋り」を続けていた。このため中小企業の倒産は当時、年1万8000件ぺースが続き、経営に行き詰まった事業主の自殺も後を絶たなかった。
公明党の「中小企業活性化対策本部」は直ちに動いた。本部長の参院議員・森本晃司を先頭に、全国の国会議員、地方議員、壮年党員までもが参加し、02年7月から3カ月間、全身汗まみれで実態調査を展開した。
中小企業主らの訴えは共通していた。「資金が借りられない」「借りても返済が厳しくて、とても返せない」。少しでも返済が難しいと思われる企業に対し、金融機関が貸し出しを渋っていることが大きな原因だった。
「中小企業を救わなければ、日本経済に未来はない。何とかして資金繰りを楽にしなければ」。森本らが思い悩んだ末に出した結論は、多くの中小企業主が抱えている複数の債権を一本化し、返済期限を延長する借換保証制度の創設だった。
森本は10月10日に平沼赳夫経済産業相に対し、「まじめに働く中小企業の資金繰りを支援できる仕組みを一刻も早くつくるべきだ」と、自らの思いをぶつけた。さらに12月4日には、政務調査会長の北側一雄が塩川正十郎財務相に対し、02年度の補正予算の柱として、この資金繰り円滑化借換保証制度の実施を迫った。公明党の矢継ぎ早の要求に、塩川財務省は「確かにこの問題は放置できん。対策を考えなければ」と応じた。
公明党の粘り強い取り組みによって、資金繰り円滑化借換保証制度は翌03年1月に成立した02年度補正予算に組み込まれ、2月10日から受け付けがスタートした。
申し込みは殺到した。わずか2カ月で、その数6万2000件。融資額は1兆円を超えた。そして約4年、同制度の利用は06年末現在で100万件に迫り、融資額も15兆円近くに上っている。
このほかにも中小企業活性化対策本部の取り組みは、事業承継に対する減税、起業・創業者支援制度などとして次々に実を結んだ。
「まさに暗闇に灯を見た思い。やっぱり公明党はやってくれた」。ギリギリの局面から活路を開いた中小企業は今も続々と生まれている。蘇生の喜びに輝きながら――。
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