浮き世に未練の金持ちはゴールドコーストに引退する
史記を語る (岩波文庫) 価格:¥ 693(税込) 発売日:1996-04 |
で、司法ジャーナルのMS氏なんだが、さる、大物ヤクザの余生について、です。
オーストラリアのゴールドコーストには故宅見組組長が買ったペントハウスがある。ビザは、オーストラリア本国でも取れるんじゃないかな? ところでMS氏は
昭和バブルの頃、ゴールドコーストは光進の小谷光浩氏、伊藤寿永光氏、高橋治則氏など多くの有名人氏が集う社交場だった。
亡くなられた方も多いが刑務所に行った方も多い。
そのゆかりのオーストラリアに永住権を得て移住できるとは、やはり歴史に残る山口組関係者である。
勝ち組として永遠に名が残るであろう。
永住ビザは日本のオーストラリア大使館で申請していない模様だ。
天道是か非か
というので、「天に期待しても資本の論理は強し」と書いているんだが、さて、ここからは漢文のお勉強です。
この世の秩序や運命は果たして正しい者に味方しているのか。この世にはほんとうに正しい道理があるのか。「天道」は、人間をつかさどる人力を超えた宿命。宇宙を支配する力。「是か非か」は、正しいのか、まちがっているのかということ。運命に対する基本的な疑問を表した句である。古い中国語というのは、意外にとっつきやすいです。白文(素の原文)ではとっても読めないが、レ点とか「一、二」とか付けただけでもずいぶん理解できるし、送り仮名付ければ、ほぼ理解できます。まぁ、おいらに限らず、日本人でちょっとしたインテリだったら当然なんだが、考えてみりゃ、凄い事だ。いかに、日本文化が中国古典の影響下に成立しているか、とともに、中国の「漢字文化」というのが優れていたか、思い知らされる。まぁ、共産党中国は、その「漢字」文化を自分で捨ててしまったんだが、今は、大陸の書き文字は簡体字なので、駄目ですね。で、MS氏が引用しておられる史記、伯夷列伝です。
武王巳平殷乱天下宗周。
武王ぶおう已すでに殷いんの乱らんを平たひらげ、天下てんか、周しうを宗そうとす。
而伯夷叔斉恥之、義不食周粟而
而しかるに、伯夷はくい・叔齋しゅくせい、之これを恥はぢ、義ぎもて周しうの粟ぞくを食くらはず。
隠於首陽山采薇而食之。
首陽山しゆやうざんに隠かくれ、薇びを采とりて之これを食くらふ。
及餓且死作歌。
餓ゑて且まさに死なんとするに及び歌を作る。
其辞曰、
其の辞に曰はく、
登彼西山兮、采其薇矣。
彼の西山せいざんに登り、其の薇びを采とる。
以暴易暴兮、不知其非矣。
暴を以もって暴に易かへ、其の非を知らず
神農・虞・夏、忽焉沒兮。
神農・虞・夏、忽焉こつえんとして沒をはる。
吾安適歸矣。
我安いづくにか適てき歸せん。
于嗟徂兮 命之衰矣。
于嗟ああ、徂ゆかん、命めい之これ衰おとろへたり、と。
遂餓死首陽山。由此観之、怨邪非邪。
遂ついに首陽山に餓死す。これに由よりてこれを観みるに、怨うらみたるか非か。
或曰天道無親常与善人若伯夷叔斉可謂善人者非邪。
或あるひと曰いわく、天道親しん無し、常に善人に与くみす、と。伯夷・叔斉の若ごときは善人と謂いうべき者か、非か。
・・・・・行不由径非公正不発憤、
行くに径こみちに由よらず、公正に非あらざれば憤りを発せず、
而遇禍災者不可勝数也。
而して禍災かさいに遇あえる者、数うるに勝たうべからず。
余甚或焉。
余甚はなはだ惑う。
儻所謂天道是邪非邪。
儻(も)しくは所謂(いわゆる)天道是か非か。
周の武王は、殷の紂王の無道を平らげて、天下は周を宗主とするようになった。伯夷と叔斉は、おのが君主を討った武王に仕えるのを恥とし、正しい道を守って、周の国の粟(あわ)を食べることを潔しとせず、首陽山(しゅようざん)に隠れて薇(わらび)を採り、これを食べていた。西山とは首陽山をいう。陝西省にある山である。その山中で伯夷・叔斉は薇をとって命をつないでいる。周の武王は紂の暴力を倒すのに、自らも暴力を用いてその非を悟らない。だから我々はこのように姿を隠しているのだ。神農虞夏は次々と没して聖人の世は去った。我々はどこに住めばよいのだろう。正義のない世の中は住みがたい。と、そう嘆いて、「もうおしまいだ」と言い残して、首陽山で餓死してしまった。このことから考えるに、かれらは怨みを抱いていたのであろうかいなかったのであろうか。ある人はこう言っている。「天の道は決してえこひいきはしない。いつも善人の味方だ。」と。伯夷・叔斉などは善人というべきではないか、そうではないのか。どんなときでも大道を歩み、正しいことにかかわることでなければ怒りを発することをしない者、そういう人が、災いに遭っている例は数えきれないくらいだ。わたし(=司馬遷(しばせん))はこうした現実の世にたいへん迷わずにはいられない。果たして天道というものは正しいものなのか、そうではないのか。
短い文章なんだが、実に味わい深いですね。いい言葉が幾つも出てくる。
義不食周粟而周しうの粟ぞくを食くらはず
殷の時代、周の武王は、周囲の批判も聞かず、父である文王の葬儀もそこそこに、主君にあたる殷の紂王を討ち、天下を周のものとした。武王の家臣である伯夷と叔斉は、武王に仕えるのを恥とし、遠く山に隠れ住み、周の国に行けば粟があるのに、周の粟を食べることを潔しとせず、薇(わらび)をとって食べていたが、とうとう餓死してしまった。人々は、その筋の通った行いを、大いに称えた。天道是邪非邪天道是か非か
筋を通して、眼前の不正な利益を放棄する、という意味。義理を立てて、それをつらぬくこと。
操行のおさまらないままに世の中の秩序をみだし、しかも、一生逸楽して、富を子々孫々に伝えるものも少くないし、その一方では、また、つねに恭謙に身を持し、正しい道のみを歩みながら、災禍のとりことなるものも、数えきれないほどである。それやこれやを通観してみると、ここに重大な疑問が残る、「天道是か非か」と。まぁ、世の中には「不条理」なんてモノはいくらもあるわけで、それを今さら嘆いても始まらないんだが、この文章の中では、おいら、
以暴易暴兮、不知其非矣。というのが好みですね。色々と考えさせられるモノがあります。
暴を以もって暴に易かへ、其の非を知らず
2ちゃんねるみてたら、MSとは、不動産ブローカーで事件ものに関わる佐藤正人のことだとわかったが、大物?
投稿 不動産業 | 2009/05/06 02:18
>以暴易暴兮、不知其非矣。
これは周恩来の言葉だとばかり思っていました。戦後、満州鉄道で帰国する日本人めがけて、馬賊が発砲を繰り返した。その時、周恩来は「暴をを以て暴に報いるな」と命令をしたその日から、満鉄襲撃はピタリと止んだ。
日本人で周恩来に感謝する人は多いですよ。うちのオヤジもそうでしたが。
投稿 阿井卯栄男 | 2009/05/06 02:27
>武王の家臣である伯夷と叔斉→
紂王の家臣である伯夷と叔斉
の間違いでは?
投稿 Apple君 | 2009/05/06 02:38
なんていうか変に日本人にゆかりのある場所って怪しいですよね、、、
オーストラリアとかブラジルとかアメリカとか。
なにが怪しいかって??それはに、、、ん?携帯がなってるけど場所がわからない(汗 まぁいいか
古い中国語はいいですよね。最近は頑張って唐詩なんかを読んだりしています。俗っぽいのになぜか背筋がぞくぞくするんですよね(笑
行ったこともないのに中国の景色が浮かんでくる。すごい表現力です。
今の中国が漢字を捨てようとしているのは共産党が漢人政権じゃないからでしょうか?西域を核爆したり文化に乱暴なやつらですね。オリンピックなんかよりやることがあるだろうに、、、
ところで最近いやな予感がします。全然関係のない点が繋がって厄介なことが起こりそうな。。。杞憂だといいのですが
投稿 ジュリアン | 2009/05/06 02:50