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2009/05/05

昔話-その14-

時期的には、アクロバンチの後…ゴッドマーズの作業と平行していた時期かもしれませんが、ある日電話がかかってきて、いまタツノコで準備している新番組のメカデザインをやってみないかというお誘いがありました。

確かアクロバンチをやっていた頃、国際映画社にいらっしゃって、その後タツノコに移籍された制作の方からだったと思うのですが、申し訳ないけれど、良く覚えていないんです…

もちろん行きましたよ。
タツノコプロダクション。
15歳の時に門を叩こうとして、叶わなかったあのタツノコです。

プロデューサーと監督にお会いして、内容を説明していただきました。
キャラクターは、なかむらたかしさんと、井口忠一さんと、加藤茂さんがコンペをされているとのことでした。
世界感としては、ブレードランナーみたいイメージとのこと。
もう、お解りかと思いますが、監督とは真下監督。
作品は、後の未来警察ウラシマンです。

発注は主人公の乗る車のデザインをとのことでしたが、結局僕にはどうしても描けませんでした。
デザインのあるものをアレンジして描くことは出来ても、オリジナルでデザインを生み出す才能は僕にはなかったんですね。

ラフは何点か描いたものの全く使い物になるレベルのものではなく、気づくとご存知のように、ベテランの大河原さんによる、監督の要望された世界観に的確に答えた素晴らしいメカが出来上がっていました。
いや、そもそも無理に決まっているんですよ。
自分に出来ない仕事は、ちゃんと断らなければいけないということを学びました。

この一件とほぼ平行していたと思うのですが…
タツノコ…正確には、アニメフレンドから演出をやらないかとのお声がかかりました。
思い返せば、この時に連絡をくださったのも、ウラシマンの時と同じ方だったかも…

で、アニメフレンドまで話を聞きに行ったのですが…
僕はてっきり、コンテからやらせてもらえると思っていたのですが、いわゆる演出(処理)だけという話だったので、折角のお話だったのですがお断りしました。
その作品のタイトルは…ご存知マクロスです。

その後、今度は原画をやってくれないかとのご連絡もいただきました。
板野一郎さんが、原画として声をかけるように制作さんに進言してくださったようでした。
ただゴッドマーズの作業とかぶっていたので、この時もお断りしてしまいました。

これ以降、僕はタツノコ作品とは一切かかわりのないままになってしまいました。
吉田竜夫さんの絵は今でも本当に好きで、去年八王子の美術館で開催された展覧会にも足を運びました。

上京後しばらくして、絵の基礎を学ばなければならないと思い立ち、美大を受験する生徒が通うようなデッサン教室に通ったりしたのですが、結局石膏像のデッサンもそこそこに、教室の端で吉田竜夫さん筆のキャシャーンの設定などを模写ばかりしていましたっけ…

映像も、ガッチャマン三部作・テッカマン・ゴーダム・キャシャーンはDVDで、ポリマーはLDで全話揃えています。
中でも一番好きなのは、やはり一作目のガッチャマンですね。
いつか、タツノコ作品を描かせていただける機会に恵まれることを願っています。

それで…ゴッドマーズの後は、レインボーマンだったと思うのですが、その間にモーションコミックも始まっているんでしたっけ?
モーションコミックは、確か創刊2号から連載をさせていただいたと記憶しているのですが…
これがまた、慣れないこともあって手が遅く、編集部には大変なご迷惑をおかけしました…
だって、漫画なんて一度も描いたことなかったんですから…

そういえば、連載初回はかがみあきらさんにもお手伝いしていただいたんですよ。
考えたら、なんてもったいない…
若くしてお亡くなりになったのを知った時にはショックでした…

初回の原稿は、慣れないペンとインクで描いたのですが、時間がかかりすぎて大変だったので、確か二回目からは鉛筆で描いていると思います。

ある月、業を煮やした徳間の編集の島田さん発案で、締め切りの問題児3人を集めて、伊豆で合宿をやることになったんですね。
民宿に一週間缶詰になって、とにかく原稿を上げろと…
このときのメンバーが、金田さんと、僕と…そして美樹本さんの三人でした。
ああ、奇しくもここでマクロスつながり。。。(苦笑)

美樹本さんとは初対面でしたが、長身で聡明な印象の方でした。
学生の頃は体操をやっていらっしゃったそうで、散歩で立ち寄った地元の小学校のグラウンドで高鉄棒を披露してくださり驚きました。
夕暮れ時に、民宿の畳に寝転がりながら、頑張っていいアニメを作りましょうねとエールを交換したのですが、美樹本さんはそんなこともう覚えていらっしゃらないだろうなぁ…

編集の島田さんのお知り合いで、当時小田原に住んでいらっしゃった夢枕獏さんとお会いしたり、美味しい魚をいただいたりと、実に楽しい合宿でした。

ただ…恐ろしいことに…この合宿では…
誰一人として、肝心の原稿を一ページも描かなかったのです…!!!

後で、原稿が上がらなかったために合宿費を経費として落とせず処理が大変だったという話を聞いて、本当に申し訳なかったなぁと…反省いたしました…coldsweats01

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