第1講
建築の歴史と方法
―ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで―
6.
モダニズム以後の建築史学
2)
ポスト・モダニズムと建築史
ヴェントゥーリ/「ニュー・クリティシズム」/批評としての建築/「異化」と「非本来性」/アルド・ロッシの「都市の建築」/ロッシの「ラツィオナリズモ」と悲観主義
1950年代半ば頃を境として、モダニズムは色褪せはじめる。いまはこの間の事情に詳しく立ち入る余裕はないが、それまで世界のモダニズム運動をリードしてきたCIAMが1959年に解散してしまったことにもそれは表われている。進歩と合理主義を「歴史的必然」としてきたその理念が疑われ始める。やがてそれを支えてきた「巨匠たち」が次々と世を去ると、この趨勢は決定的なものとなった。懸命にモダニズムに随伴して、その意向に沿うような体系を創り上げることに入れあげていた「建築史」も、当然のことながら、批判の対象にされずには済まなかった。アメリカの少壮建築家ヴェントゥーリRobert Venturi (1925-) が1966年に発表した「建築における複雑さと矛盾」注)1と題する小冊子は、それまでの「モダニズム御用建築史」に対して向けられた痛烈な批判であった。もとよりこれは正面切った学問的批評ではなく、客気に満ちた建築家の眼で恣意的に捉えられた歴史の一端にすぎず、その思いつき的な批評の視点も、厳密な評価に耐えうるようなものではない。しかし建築をもっぱら合理的な「無矛盾」の様式の産物として解釈しようとしてきた従来の建築史の観方に、鋭い一撃を加えることとなった。¶
ヴェントゥーリの批評の視点は、彼自身が明記しているごとく、当時の文芸批評の中で起こりつつあった「ニュー・クリティシズム」New Criticism にヒントを得たものである。これは文学作品の解釈にあたって、もっぱらその作品の伝えようとする「正しい意味」を解明すべく、テキストそのもよりは作家像や作品をとりまく周辺事情の掘り起こしに熱中していたかつての文学研究に対し、テキスト自体のなりたちを、その矛盾や曖昧さをも含めて、再検討しようとするものであった。ときにはそれが極端に走って、文学作品の中に用いられている単語や音韻の数値統計的分類によって作品の構造を解明したとするような、滑稽さを通り越した悲惨な「研究」まで現われたが、この運動を通じて、特に「詩」や詩的文体の構造、あるいは「不条理文学」、「ナンセンス文学」などに対する理解が深められたことは、高く評価すべきであろう。実際のところヴェントゥーリ自身は、さほど深く「ニュー・クリティシズム」の理論的射程を見極めていたとは思われず、むしろ彼が最も頼りとしていたのは、この前衛的な文学運動が起こる少し前の、その前哨的役割を果たした批評家ウィリアム・エムプソンの「曖昧さの七つの型」注)2であったように見える。エムプソンはまことに洒脱なやり方で(題名自体がすでにラスキンの「建築の七灯」注)3のパロディである)、有名な文学作品の中に見られる曖昧表現を型に分類して見せ、逆にそこから文学表現の奥深さを暗示しているのであるが、ヴェントゥーリもそれに倣って、「多義性」、「内と外」というような幾つかの側面から、歴史上の著名な建築に見られる曖昧さ、あるいは矛盾を取り出し、建前的に整合性を装ってきた建築解釈を揶揄している。そこからは何ら明確な建築的指針や理論が生み出されているわけではない。しかしそうした曖昧さ、あるいは明らかな矛盾が、何かしら不明な対象(それがどのような歴史的状況であるのかまではヴェントゥーリは明らかにしていない)に向けての「批評」となっていることだけは読み取ることができるのである。¶
ヴェントゥーリのこの著作が必ずしも彼自身の皮肉に満ちた作品を解読するための明快な手引きになっているとは言い難いし、なおのこと、これがその前後から現われ始めていた「ポスト・モダーン」Post-Modern的風潮の発信源であったわけでもない。「ポスト・モダーン」の芽はこうした知的認識とは別次元の、ある種の反動的な情緒の中から発生してきていたと見るべきである。しかしこれの中に含まれる既成の秩序への反逆ないし揶揄の姿勢が、怯懦なポスト・モダニストたちを勇気付けてしまったことは否定できない。ただしここで評価したいのは、そうしたファッション・リーダーとしての役割ではなく、それがアカデミックな建築史研究に与えた方法的衝撃の方である。それは私見によれば、建築にそなわる批評的機能の再認識ということであるように思われる(ヴェントゥーリがそのように言っているわけではない。これは私の解釈である)。多義性、あるいは表面的な矛盾は、抵抗感のない「本来的」な形姿とは違って、いわゆる「異化」注)4効果をもたらすのであるが、そうした「非本来的な」注)5異化作用は必ずや事物の本来的あり方に対する批評的意味を帯びるからである。少なくとも建築批評の領域に関する限り、その非本来的表現(この場合に「表現」という言葉が適切かどうかやや疑問だが)に着目したのは、ヴェントゥーリをもってはじめとするのである。この視点がどのような成果をもたらすかは、この後、様々なケースについて見て行くこととしたい。¶
ヴェントゥーリの著書が出たのと同じ年、イタリアの若手建築家アルド・ロッシAldo Rossi (1931-97) は「都市の建築」注)6と題する著書を刊行している。これはその名のごとく都市論であるが、それは同時に都市を成り立たせる要素として建築を見るという、新しい視点からの建築論でもある。そしてその過程で、モダニズムの主導理念であった「機能主義」Functionalismを批判し、都市の歴史と永続性を重視するのであるが、その永続性を保証する要素として、クァトルメール・ド・カンシィの唱えた「タイプ」としての都市建築のあり方を再評価し、また都市の歴史を保存し伝えるものとしてモニュメント(歴史的建造物)の役割を強調しているという点で、モダニズムの素朴な進歩主義に対する根底からの重厚な批判となっている。この本は欧米ではギィーディオンの「空間・時間・建築」以後、最も広く読まれる建築書となり、多くの版を重ね、またほとんどの西欧言語に訳されて、現在に至るまで欧米の建築学生の必読書とされているものである。¶
ロッシのモダニズム批判は、ヴェントゥーリの場合のような真っ向からの(しかしややおどけた)「建築史批判」ではない。むしろそれらの軌跡を、その救いがたい過誤をも含めて、すべて歴史的経過として受け入れ、その余韻を楽しんでいるかのように見える。そのことは本書中に引かれているヴィオレ・ル・デュクやギィーディオンの文章、あるいはマルクスの文章などに対する、やさしさと共感に満ちたコメントからも見て取られる。しかしそのようなやさしさは、裏返せばある種の諦め、ないし絶望感の表われと見ることもできる。ロッシにとっての歴史は、もはやモダニストたちにとってのそれのような、ユートピア社会実現に向けての創作意欲を鼓舞するようなものではない。歴史は取り返しのつかない過ちと失敗の記録であり、それを隠蔽したり粉飾して大衆を欺いたりすることもまた、同じ過ちを繰り返すだけのことだという諦念が働き、突き放しているのである。「都市の建築」全体を貫いているのは、奥深い西欧的教養に培われた、都市と建築への限りない愛情であるといえるが、しかしそこには同時に、第二次大戦による破壊の悲惨な記憶があり、それがある種の悲哀に満ちた通奏低音のように、表面上はきわめて前向きな、都市と建築の可能性に対する信頼感に満ちた叙述の底に、癒しようのない悲観主義となって流れている。¶
ロッシの建築理論そのものは、いわゆる「ポスト・モダニスト」たちのふざけた大衆迎合とは一線を画し、知的な「ラツィオナリズモ」razionalismo注)7(=rationalism 「理性主義」の意)を標榜するのであるが、実際に造られた作品には常にある種の悲哀をこめた諧謔性、ないし自己韜晦が顔をのぞかせており、モダニズム後世代の痛ましい喪失感を代表するものとなっているという意味で、やはり「ポスト・モダニズム」の流れの中にあると言わざるを得ない。こうしたロッシの悲観主義をどこまでわれわれが共有できるか、あるいは果たしてそれを共有すべきものなのかどうかについては、様々な議論があり得る。しかし確かなことは、どのように「楽観主義」ないし「現状肯定主義」を装ったところで、ロッシの悲観主義の原因となっている歴史的事実を隠蔽することはできないということである。そしてこうした悲観主義のなかでもなお、ロッシが建築を造り続け、また過去の建築が造られて来たすべてのプロセスに限りない共感を寄せていたことこそが重要なのであって、建築創作とその歴史を軽蔑するところからは、何物も生み出し得ない。¶
Complexity and Contradiction in Architecture, New York 1966, 77 (邦訳あり。題名は訳者によって「複合と対立」とか、様々に訳されているようであるが、私はこの訳が最もヴェントゥーリの意図に近いと考えている。)
William Empson, Seven Types of Ambiguity, 1925.
John Ruskin, The Seven Lamps of Architecture, 1849. ラスキンについては第6講で触れる。
「異化」 Verfremdungen とは、劇作家ブレヒト Berthold Brecht (1898-1956) が自分の作品の特質を説明するために用いた言葉で、批評家ベンヤミーンWalter Benjamin (1892-1940) の「叙事的演劇とは何か」によって明確に位置付けられた、現代芸術を理解する上で重要な概念である。この概念をめぐる興味深いエッセェとしては、エルンスト・ブロッホ Ernst Bloch (1884-1977) の「異化」(船戸満之他訳、白水社。原著は Verfremdungen, I, Bibliothek Suhrkamp, Frankfurt am Main 1962; Verfremdungen, II, Id., 1964)を奨める。
「非本来性」 Uneigentlichkeit とは、20世紀ドイツの思想界を代表する社会科学者アドルノ Theodor W. Adorno (1903-69) が好んで用いた概念である。「異化」の原因を作り出すような事物のあり方を指す。この概念をベースとした見事な音楽評論「楽興の時」(Moments musicaux, Frankfurt am Main 1964. 三光長治・川村二郎訳、白水社、1969, 79)を参照されたい。またこの概念と、上の「記号論」の項で述べた「脱構築」的契機との関連を考察してみることも興味深い課題となろう。
Architettura della Città, Padova 1966 (1966, 70, 73: Milano 1978, 87. 大島哲蔵・福田晴虔訳、「都市の建築」、大竜堂 1991)
この言葉は1973年のミラーノ・トリエンナーレでロッシが企画した建築展 «Architettura razionale» から出ている。なおロッシの作品はこの福岡県内に2つ(福岡市内、春吉の「ホテル・イル・パラッツォ」と、北九州市門司区の「門司港ホテル」。ただしこれらのいずれも、ロッシは基本設計に関与したのみで、実施設計は他の建築家たちに委ねられており、どこまで彼の「作品」といいうるか難しいところである)存在しているので、いつでも見ることができる。
ロッシの建築の「諧謔性」は、実は彼が称揚する建築の「タイプ」としての価値をどのように表現するかということと関わっている。「タイプ」の意義が全面的に見失われている(「差異」、「差別化」の蔓延!)現代において、この主張はある種の「オブセッション」(こだわり)の形でしか表わしえない(とロッシは考えていたように思われる)のであるが、そうしたオブセッションは必然的に「差異」化に走る現代の建築風俗とのあいだに、奇妙な軋みを生じさせずにはいない。このことはかつての建築における「タイプ」のあり方への彼の憧憬を半ば裏切り、一種のカリカチュアのごとくに見せてしまうのである。この悪循環をどのように断ち切ることができるかを示さないまま、彼は世を去ってしまった。