原告意見陳述書


長谷川 正安   


私は憲法研究者の一人として、本訴訟の原告となり、被告国が自衛隊をイラクに派遣している行為を差し止める判決を裁判所に求めていますが、その理由を、次に述べます。


1 日本国民の平和的生存権について

 日本国憲法の前文は、その第一段落で「主権が国民に存することを宣言」し、第二段落で日本国民が自らの安全を平和的に維持する決意を述べた上で、「われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」としています。全世界の国民の平和的生存権の確認の前提となっているのが、主権を持つ日本国民の平和的生存権であることはいうまでもありません。
 日本国民の平和的生存権は、なによりもまず日本国憲法第2章戦争の放棄、第9条の規定によって保障されています。国が「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄するだけでなく、「陸海空軍その他の戦力」の不保持を宣言し、「国の交戦権」も否認したことは、日本国民の生活がすべて平和的になり、戦争と無縁になったことを意味しています。
 その結果、第三章国民の権利及び義務では、国民の「兵役ノ義務」はなくなり、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」(憲法第18条)ことになりました。徴兵制によって強制される兵士の兵営生活が奴隷的拘束ではないとしても、その意に反する苦役であることは、大日本帝国憲法(明治憲法)の「兵役ノ義務」(第20条)にもとづき、二年間(1943ー45)現役で戦闘に従事した私自身がよく知っていることです。
 日清戦争・日露戦争・第一次欧州大戦・シベリア出兵・「満州事変」・中日戦争・太平洋戦争と戦争に明け暮れていた時期の明治憲法と、この半世紀以上一度も戦争をしなかった日本の現行憲法を比較すれば、国家の基本組織と国民の人権のあり方がまったく異なることは明白です。天皇を主権者とし、軍人と官僚が運用していた明治憲法の軍国主義の反省にもとづいて現行憲法の平和主義が実現したのですから、両者の規定がまったく異なるのは当然です。
 国民の平和的生存権は、「兵役ノ義務」を免かれるという消極的な面だけでなく、平和を実現するため、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第21条)を積極的に行使する所にもあらわれています。
 私は日本国民の一人として、この平和的生存権を行使し、自衛隊が違憲の戦力であることを主張し、小泉内閣による自衛隊の戦地イラクへの派遣の違憲・違法性を指摘して、その国の行為の差止めを裁判所に求めているわけです。憲法第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定しています。私は、国民の平和的生存権を侵害する国務大臣(内閣)の違憲・違法の行為を差止める、裁判官(裁判所)の、憲法を尊重し擁護する判決を期待しています。


2 自衛隊の違憲性について

 1954年、自衛隊法・防衛庁設置法の制定以来、憲法学界では、解釈論の構成に若干の差異はありますが、自衛隊が憲法第9条で、保持を禁止した戦力に当たるという学説が圧倒的多数を占めてきました。
 憲法違反の自衛隊が創られ、それが今日まで維持・強化されてきた経過には二つの側面があります。その一は、占領終了時に効力を発するようになる日米安全保障条約、そしてその後は、1960年に改定された「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」にもとづく駐留米軍との協力関係が問題であり、その二は、日本資本主義の高度成長に伴う軍事力強化の傾向です。
 平和主義に徹した日本国憲法と、戦争遂行を目的とする日米安保条約をふたつの基本法としてもつ日本の国家体制を、私たちは「安保体制」とよんできましたが、この体制の矛盾を象徴しているのが自衛隊です。冷戦時代は、米軍と協力して対ソ戦争に備え、湾岸戦争以降は、米軍の世界戦略に協力してきました。現在は、アメリカが強行したイラク戦争に追随して、戦闘の激しくつづくイラクの現地に自衛隊を派遣するまでになっています。アメリカのイラク戦争が日本の自衛に関係ないことはもちろんですが、日本政府は日本国憲法では集団的自衛権は認めないという立場をとりながら、今日の自衛隊は明らかに戦地で米軍を補強しており、国連の多国籍軍ができれば、その一員になることさえ予定されています。この米軍と戦地で協力する自衛隊の違憲性は、第二期目の開始がきまったブッシュ大統領の強行策の下でますます強くなる恐れがあります。
 国内政治では、自衛隊の組織と行動があまりにも憲法第9条の規定とかけはなれてきたため、自衛隊の実態と第9条の矛盾をなくすため、政府与党=自民党が先頭に立って、第9条の「改正」の必要が強調されるようになりました。「改正」の動きは政党の次元に止まらず、衆議院・参議院にそれぞれ設置された憲法調査会でも具体的に取り上げられています。このことは、だれの目にも、自衛隊と第9条が相容れないことがはっきりしたことを意味しています。第99条で憲法を尊重し擁護する義務のある国務大臣、国会議員なら、まず自衛隊の違憲性を問題にすべきですが、それを問題にする政党は日本共産党と社民党しかないのが現状です。
 すでに他の原告(天木直人)が述べているように、小泉内閣の対米追随外交の弊害は大きく、それがイラクに派遣された自衛隊のアラブ人によるマイナスの受けとられ方によくあらわれているようです。日本の外交官、一般人の犠牲者もそれとは無関係ではありません。自衛隊派遣がつづけばつづくほど、反日感情が強くなる可能性があり、自衛隊の犠牲者が出ないうちに、派遣を中止すべきであると私は思います。この訴訟では、自衛隊の憲法論・法律論が大切ですが、イラクと日本における自衛隊の実態を明らかにすることが、同じくらい大切ではないでしょうか。
 私は1940年に東京商科大学(現一橋大学)に入学し、43年、在学中に「学徒出陣」で船舶砲兵部隊に入隊し、45年の敗戦まで第一戦での軍隊生活を経験しました。敗戦後復学し、1946年に卒業しました。1950年に名古屋大学法学部で憲法を講義するようになり、1986年の定年まで在職しました。その後は今日まで名古屋大学名誉教授として、憲法の研究をつづけています。
 私の憲法研究と青年時代の戦争体験が、私を本訴訟の原告としたことを述べて、陳述を終わります。

以上   

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