余録

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余録:作家の半藤一利氏は1942年4月のドーリットル空襲を…

 作家の半藤一利氏は1942年4月のドーリットル空襲を小学生で体験した。突然の空襲警報が出て映画館から家に逃げ帰った。見上げた空に五つ六つ白い綿アメがあった(「隅田川の向う側 私の昭和史」創元社)▲「ポカンとするな、破片が落ちてくるぞ」と警防団員に怒鳴られて、空の綿アメが応戦の高射砲弾の炸裂(さくれつ)と気付く。敵機の爆弾だけではない。味方の高射砲弾の破片が当たっても危険だ。だから空襲警報が出ると防空壕(ごう)に退避するのだ▲映画館を出たときに「頭に何かのっけ」ていたと半藤氏は記憶している。当時の小学生にはそれくらい常識だった。幸いにも日本人にとって戦争が遠い世界のできごとになり、戦時下の常識を知る人は少なくなった▲北朝鮮の発射したテポドンが秋田、岩手の上空を飛び越すというので大騒ぎをした。自衛隊が迎撃ミサイルを待機させた。もし燃えがらが落ちてきたら撃ち落とす段取りだった。撃ったら当たるか、外れるか、関心はそこに集まった。だが、いまになって考えてみると、ポカンと見ていたようなものだ▲ほんとうになにか落ちてきて、迎撃ミサイルが見事命中していたらどうなったか。落ちてくるテポドンは空中で飛散し、迎撃ミサイルの破片といっしょに降ってきたろう。それに備えて住民に総員退避の指示を出す用意はあったか▲迎撃ミサイルは敵ミサイルが軍事目標に当たらないようにするための兵器だ。住民の頭上に落下物が落ちてこないようにする安全装置ではない。さてこんどは新型インフルエンザ警報だ。豚肉を食べないといったピンぼけの反応がある。落ち着いて防疫の常識を思い出そう。

毎日新聞 2009年4月30日 東京朝刊

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