第十八話
無事に雨雲の杖を手に入れた俺達は、湖畔の街へとやってきた。
ここは、なんといっても竜王の城にもっとも近い街だ。
王城も近いといえば近いのだが、海を越えられないので却下。
そういう理由で、この街に雨と太陽が交わる場所を探しに来たのだが……。
「大丈夫ですか? 勇者さま……」
俺は、問題ないとばかりに、姫に手の平を向ける。
でも、本当は全然大丈夫じゃない。
頭はガンガンするし、足はフラフラする。
「湯上りに、あ、あのような事をするからじゃ」
いや、ホント面目ない。
「アリシアさまが羨ましいですわ。後で、私にもしてくださいね」
考えときます。
「もし、そこの旅のお方。……大丈夫かえ?」
突然、老婆に話し掛けられた。
俺は、顔の前で右手を左右に振る。
「気にするな、とおっしゃってますわ」
通訳ありがとう、姫。
「それで、何用じゃ?」
シアちゃんが俺の代わりに返事をする。
「わしは予言者をしておる。おぬし達に少々気になる物が見えての」
「気になる物、ですか?」
「ずばり、おぬしは勇者であろう!」
何故、姫を指差す?
まあ、確かにこの面子を見て、俺が勇者とは思うまい。
姫は、老婆の指差す手をとると、俺の方に向ける。
「勇者さまは、こちらですわ」
自称予言者の驚く顔が見える。
「ふむ、わしも年のせいか、精度が衰えてきたようじゃ」
本当に、年のせいか?
老婆は俺を指差したまま、さらに言い募った。
「勇者よ! 聖なるほこらへ行くが良い。そこにおぬしの求める物があるじゃろう」
俺の求める物……風邪薬か? それとも、平穏な生活か?
熱で濁った頭は、当初の目的を忘れていた。
「聖なるほこらとは、どこにあるのですか?」
「南じゃ。この街を出て、南に進めばよい」
姫の問いに、老婆はそう答えた。
「ありがとうな、婆さん」
俺は気力を振り絞って礼を言い、その場を離れようとした。
だが、そんな俺たちを婆さんはさらに呼び止める。
「待たれよ、勇者よ。何も言わずとも、わしにはわかる」
俺は、もう喋る気力も無い。
そんな俺に、婆さんは告げた。
「ずばり、おぬしは風邪を引いておるであろう!」
見たまんまじゃねーか。
「わしの孫が宿をやっておってな。そこでゆっくりと養生するがよい」
しかも、客引きかよ。
こんな訳の判らん婆さんの相手なんてしてる暇は無い。
俺は振り返り、一歩踏み出そうとした。
「アレ?」
地面が迫ってくる。
ルーラなんて唱えた覚えはないんだけど。
「勇者さま?!」 「あるじ?!」
地面にぶつかる痛みと共に、俺は意識を失った。
次に目が覚めたのは、ベッドの上だった。
「知らない天……」
そこまで口にした途端、濡れタオルを被せられた。
息が詰まる。
次の瞬間、タオルは取り払われ、目の前にシアちゃんの顔があった。
「おお、目が覚めたか? あるじ」
えーと、今なにを言おうとしてたっけ?
思い出そうとしたが、熱で朦朧とした頭は、考えることを許さない。
途端に、鈍い頭痛と悪寒、関節痛が襲ってくる。
「疲れているのですわ。ゆっくりなさっていて下さい」
思わず起き上がろうとした俺を、姫がそっと押し戻す。
そして、身を横たえた俺の額に、シアちゃんが濡れタオルを乗せる。
冷たさが気持ちいい。
「ありがとう」
俺は、再び眠ることにした。
次に目が覚めた時、辺りは暗くなっていた。
頭痛は幾分ましになっていた。
ゆっくり眠ったおかげだろうか?
「気分はどうじゃ?」
シアちゃんの声がする。
そっと額に手が乗せられる。
ひんやりとして、心地よい。
「ふむ、熱は下がったようじゃの」
「……姫は?」
俺の問いに、シアちゃんは何も言わずに俺の足元に目を遣る。
……居た。
椅子に座ったまま、ベッドに寄り掛かるように眠っている。
「夜通し看病すると聞かぬのでな。眠りの呪文を使わせてもらった」
姫にまで倒れられてはかなわんとシアちゃんは笑う。
「シアちゃんは?」
「わらわは、闇の眷族ぞ。一日二日の徹夜なぞ、どうということもないわ」
ああ、そういえばそうか。
元魔王だっていう話だし、夜に弱い魔王なんて笑い話にしかならない。
そういえば、ご先祖様の事がうやむやになってたな。
いい機会だから聞いてみるか。
「シアちゃん」
「なんじゃ?」
「俺のご先祖様ってのは、どんな奴だったんだ?」
「……アルスの事かの?」
そう、アルス。
自分では気付いてないだろうけど、その名を口にする時のシアちゃんはとても寂しそうに笑う。
「わらわが初めて奴と会ったのは、わらわが7つの頃じゃ」
齢7才にして、魔法の天才と言われていたシアちゃんは、幼い頃から勉強漬けの毎日だったらしい。
そんなシアちゃんを外の世界に連れ出したのが、当時11才のアルスだったそうだ。
「本当の所、誘拐されたんじゃがな。身代金目的じゃと言っておったぞ」
とんでもない悪党に聞こえるんだが。
しかも、11才で誘拐犯かよ。
「家の外に出たのは初めてだと言うたら、街での遊び方を教えてやるというてな」
一日中連れまわした挙句に、兵士に見つかって御用になったそうだ。
「結局、色々、政治的な理由もあってお咎め無しとなったようじゃが、それから何度連れ出されたことか」
なかなか行動的なお子様である。
「で、なんで勇者なんかに?」
「父親が勇者じゃったからの。しかも、おぬしと同じ体質であったしの」
ご先祖様も、血筋と能力で選ばれたらしい。
因果な家系だ。
「そのかわり、旅に出る際に条件を付けおったんじゃ」
その条件が、仲間を自分で選ぶ事。
その内の一人がシアちゃんだったらしい。
「あるじは、おそらくアルスとリィネの子孫であろうな。どこか、面影がある」
「リィネ?」
「アルスの婚約者でな。賢者の家系じゃ」
アルスとリィネとシアちゃんとあと一人。
それが、勇者ロトのパーティらしい。
シアちゃんは、昔を懐かしむように空を見上げ、そっと目を瞑る。
泣いている様にも見えたが、こちらを向いた時にはいつものシアちゃんに戻っていた。
「さあ、もう眠るが良い。まだ治ったわけではあるまい」
そう言って、俺に布団を掛け直す。
「なあ、シアちゃん。アルスの事、好きだったのか?」
ずっと胸につかえていた事を吐き出した。
シアちゃんは、手を止め、じっと俺の目を見つめる。
そして、コクンとうなずいた。
「ありがとう」
「何故、あるじが礼を言う?」
「さあ、なんでだろう?」
何だか気恥ずかしくなってきたので、俺は目を瞑った。
「じゃあ、お休み。シアちゃん」
「お休み、あるじ」
目を瞑ると、途端に睡魔が押し寄せてくる。
その時、唇にやわらかい感触を感じたのは、気のせいだったかもしれない。
目が覚めると、そこは戦場だった。
「あっ、こら! 力の入れすぎじゃ。まな板まで斬ってどうする?」
「思い切りやれとおっしゃったのは、アリシアさまですわ」
おそらく、台所からだろう。
けたたましい喧騒がひっきりなしに聞こえてくる。
「ふむ、王女にしては上手いもんじゃな」
「アリシアさまの口出しがなければもっと早くに終わっておりましたわ」
シアちゃんと姫の言葉の後、静寂が辺りを支配する。
これは、夢だ。
俺は自分にそう言い聞かせ、布団をかぶった。
「ほう、わらわは、おぬしが料理を作った事が無いというから、指南してやったのじゃが?」
「知識ばかりで、実践したことがなければ、私と同じですわ」
再び静寂に戻る。
これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。
俺は、もう一度眠ることにした。
再び目覚めた俺を待っていたのは、それぞれの料理の器を持った2人の姿だった。
「勇者さま、私の料理を選んでくださいますよね?」
「あるじ、もちろんわらわの料理じゃろう?」
いつの間にか、料理対決の様相を呈していた。
「私の創ったのは、野菜などがたっぷりのスープですわ」
『創った』って字が気になるんですが。
普通は、『作った』では?
あと、『など』って具体的に、何が入ってるんです?
「わらわのは、薬膳スープじゃ」
薬膳って、まずそうだな。
でも、死にはしないだろう。
やばそうな材料は入ってないと思われる。
「「どっち?」」
どっちか選ばないといけないらしい。
見た目は、比較的まともだ。
匂いは、鼻が詰まってるので良く分からない。
無難なところでシアちゃんの料理を試食してみた。
まずは一口。ん? 味が無い。
さらに一口。でも、味が無い。
そして、三口目でそれはあらわれた。
痛い、痛い、痛い、痛い。
舌が痛い。喉が痛い。唇が痛い。
スープが触れた、全ての場所が痛い。
「み、水、水をくれ……」
姫が慌てて、水を入れた桶を差し出す。
タオルを浸していた桶だろうが、そんな事は関係ない。
俺は、勢い良く顔を突っ込み、何とか事無きを得た。
落ち着いた俺は、シアちゃんを問いただす。
「香辛料を入れすぎたかの?」
彼女から出たのは、その一言だけだった。
そして、次に姫の料理を口にする。
ん? 意外と美味しい。
野菜にも火が通ってて軟らかい。
何かの出汁がよく効いている。
俺は、姫の料理を完食した。
そして、この瞬間、姫の勝利が確定した。
「シアちゃんのは、論外。姫のは、出汁が効いてて美味かった」
「あるじ……、中身を聞いても、同じ事が言えるかの?」
中身? そういえば、『など』の内訳を聞いてない。
「アリシアさま! 負け惜しみは見苦しいですわ。勇者さまは私を選んだのです!」
何故か、急に焦りだす姫。
妙に、怪しい。
「中身って、何?」
そう問いかける俺に、シアちゃんはレシピの書かれたメモを渡してくる。
開こうとしたメモを、姫が一瞬の早業で取り上げる。
「乙女の秘密を覗くだなんて、いくら勇者さまでも許しませんわ」
一瞬見えた文字列は、『鉄のサソリ』だった気がするが、まさかそんな事はないだろう。
幸い、俺の風邪は2日間で何とか治癒した。
これも、2人の献身的な看病のおかげだったに違いない。
あれ以上寝ていたら、命にかかわる事態になると考えた、俺の回復力のなせる業かもしれないが。
そうだったとしても、2人のおかげではあるのだが。
あの自称予言者の婆さんが言ったとおり、聖なるほこらなる所に足を運ぶ事にした。
他に、手がかりが無かったためだ。
だが、そこで俺達を待っていたのは一人の老人だった。
「そなたが真の勇者ならば、その印を持っておるはず。愚か者よ! 立ち去れぃ!」
見も蓋も無い言葉を一方的に投げかけられ、その場をあとにするしかなかった。
「なあ、シアちゃん、ロトの印って何?」
「さあ、わらわもそのような物は知らんが?」
これからどうしよう。
「お父様なら、何か知っておられるかもしれませんわ」
姫の言葉に従って、俺達は王城へ戻る事にした。
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