なにやら「お先真っ暗派」のオンパレードです。先日の池田さんのブログ・エントリー、「希望を捨てる勇気」も引金になっているようです。
しかし、池田さん初め 、池田さんのブログ・ファンをここしばらく続けてきた方々にはご同意いただけると思うのですが、池田さんは別に全く新しい見解を披露しているわけではありません。従来の論旨と現状把握の上に描かれた延長線上の結論/論理的帰結として近未来の予想をし、返す刀で現時点における政府の甘い「前提」を切って捨てているわけです。早い話、日本経済の下降傾向など、昨日今日始まった話ではありません。
古人曰く、本当の「占い」とは、突拍子もない未来のことを言い当てることではなく、現在すでに目の前で起こっているのに誰も気がついていない事を、当事者にこっそり教えてあげる事、だとか。
それにしても、ブログ界を散見するに、気の早いご仁たちは日本の未来を、「良くて低成長・高文化・メシが旨いフランス型、悪くて乱発国債の債務に喘ぐアルゼンチン型、最悪の場合は軍国主義の復活」などと論じていますが、それこそ下手な占い師のようです。
尾籠な例えで恐縮ですが、私は個人的に今の日本の問題の根本は、日本の社会が「便秘」状態におちいっている事だと思っています。古い価値観と、それにとらわれた人材が代謝されず、次世代の抬頭を妨げているのです。
以前、私個人のブログで弓月光さんのマンガ「エリート狂走曲」にひっかけて述べたのですが、高度成長が終わりをつげた70年代の終わりから80年代にかけて育った世代は、すべからく、奇跡の復活を遂げた日本経済にいかにタダノリするかという事を命題に生きてきました。いささか乱暴な一般論である事は承知していますが、ようするに大多数の人々が「いまガマンして受験勉強すれば、いい大学に入り、大企業に入社してあとで楽ができる」、「いまガマンして公務員やっていれば、後で楽ができる」、「いまガマンしていれば...」という言葉を信じ、その価値観に準じた人生設計をしてきたのです。そして、こうした競争に勝ち残った人たちが、いまの日本でエリートと言われている人たちの大部分であると断じて、当たらずとも遠からず、でしょう。もっとも「勝ち残った」というよりは、「満身創痍ながらかろうじて土俵に足が残っている」といった方が当たっているかもしれません。
いま、こうしたエリート諸君は、システム/胴元そのものが破綻/手仕舞してしまう前になんとか手持ちのチップをキャッシュ・インして勝ち逃げをきめこもうとしているのです。そうした人たちを相手に、現状を直視する事を促し、痛みを伴う「改革」を論じても、所詮馬耳東風。気の毒なのは、こうしたエリート集団の渦中にあって、「志」があり、下手に先が見えている人ほど先行きに絶望せざるをえないという現状です。こうした人たちは結局「憂国の士」という甚だ精神衛生上、好ましからざる生き方を強いられることになります。
都合で現在海外に身を置く私は、幸か不幸か日本の「エリート」といわれる方々との交流が比較的すくないので、皆無とはいえなくともそういった「憂国」フラストレーションがたまらない生活を送らせてもらっています。また個人的に努めて「憂国の士」にならぬよう気をつけています。のべつまくなしに「お先真っ暗」なことばかりを口にする「憂国の士」なんて、あまり一緒にそばにいて楽しい人じゃないですからね。
結局、人の考え方が変わるのには時間がかかる、ということです。「いまガマンすれば...」という生き方をしてきて、定年キャッシュ・インを目前に控えている人たちに、いくら「さぁ、新時代です」、「そのシステムは行き詰まっています」、「その価値観は時代遅れです」といっても聞く耳もたないのが当然でしょう。しかし、こうした人たちはやがて表舞台を去ります。時がたてば、自然と彼らは少数派になるのです。すでに時代の潮流は変わり始めています。いまこうして「お先まっ暗派」が大量発生していることはとりもなおさずその証左でしょう。しかし、新しい潮流が本流となるには、日本人の大多数の考え方が変わるには、ようするに「便秘が治る」のには、個人的にはまだあと5年10年ぐらいはかかるのではないかと思っています。
宮沢改造内閣で郵政大臣に就任した小泉純一郎が郵政民営化を主張して政界の変人扱いされ、総スカンくらったのが1992年。郵政解散で小泉自民党が衆議院296議席獲得して大勝したのが13年後の2005年です。「派遣切り」でさわぐ今から約10年後には、日本の雇用労働者の大多数が契約労働者で、それで幸せ...なんて時代がきているかもしれません。
こうした時代の流れの中で、いま私たちにできるのは、その5年後、10年後に向けて今からどれだけ、どのような準備をしておくべきかという事でしょう。そして、そうした我々の今の努力が、5年後10年後における日本の将来を決するのではないかと思います。今後数年間の日本経済のさらなる凋落はすでに不可避ですが、その後日本が方向転換し、再び頂点を目指す位置につけるのか、それとも長期低落傾向に身を任せざるをえないのか。最近のどこかの雑誌の見出しにでていたような「不況に強い資格/検定」などを追っかけているようでは、ふとした事で頭についていたプラグがはずれて、今までの人生がコンピューター・プログラムによる幻像であり、自分は実は巨大AIコンピューターの電池の一つだったと気がついた「マトリックス」のネオ君が、あわててプラグをもう一回頭に差し込もうとしているようなものです。どうした準備をするべきなのか。個人レベルではそれはとりあえず中国語を学ぶ事かもしれません。企業レベルでは、海外拠点で「ものつくり」をする「ひとつくり」ができる人を育てる事かもしれません。国レベルでのそれは、とりもなおさず、自らの判断でリスクがとれる、よりたくましい日本人を育てていく事でしょう。
これも以前、私の個人ブログで紹介したのですが、鄧小平は揮毫を頼まれた時、好んで「楽観」の二文字を書いたそうです。来年の事を言えば鬼が笑いますし、たしかに今後日本経済は今までにない困難な時代が続くでしょう。しかし遠く未来を眺望する時、そこには眼前の厳しい現実にへこたれず、「憂国」に流れず、あえて「楽観」するたくましさが必要とされるのではないかと思うのです。
幕末、徳川幕府という「古い価値観」の死に水をとった勝海舟は言っています、
「やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。」
古人曰く、本当の「占い」とは、突拍子もない未来のことを言い当てることではなく、現在すでに目の前で起こっているのに誰も気がついていない事を、当事者にこっそり教えてあげる事、だとか。
それにしても、ブログ界を散見するに、気の早いご仁たちは日本の未来を、「良くて低成長・高文化・メシが旨いフランス型、悪くて乱発国債の債務に喘ぐアルゼンチン型、最悪の場合は軍国主義の復活」などと論じていますが、それこそ下手な占い師のようです。
尾籠な例えで恐縮ですが、私は個人的に今の日本の問題の根本は、日本の社会が「便秘」状態におちいっている事だと思っています。古い価値観と、それにとらわれた人材が代謝されず、次世代の抬頭を妨げているのです。
以前、私個人のブログで弓月光さんのマンガ「エリート狂走曲」にひっかけて述べたのですが、高度成長が終わりをつげた70年代の終わりから80年代にかけて育った世代は、すべからく、奇跡の復活を遂げた日本経済にいかにタダノリするかという事を命題に生きてきました。いささか乱暴な一般論である事は承知していますが、ようするに大多数の人々が「いまガマンして受験勉強すれば、いい大学に入り、大企業に入社してあとで楽ができる」、「いまガマンして公務員やっていれば、後で楽ができる」、「いまガマンしていれば...」という言葉を信じ、その価値観に準じた人生設計をしてきたのです。そして、こうした競争に勝ち残った人たちが、いまの日本でエリートと言われている人たちの大部分であると断じて、当たらずとも遠からず、でしょう。もっとも「勝ち残った」というよりは、「満身創痍ながらかろうじて土俵に足が残っている」といった方が当たっているかもしれません。
いま、こうしたエリート諸君は、システム/胴元そのものが破綻/手仕舞してしまう前になんとか手持ちのチップをキャッシュ・インして勝ち逃げをきめこもうとしているのです。そうした人たちを相手に、現状を直視する事を促し、痛みを伴う「改革」を論じても、所詮馬耳東風。気の毒なのは、こうしたエリート集団の渦中にあって、「志」があり、下手に先が見えている人ほど先行きに絶望せざるをえないという現状です。こうした人たちは結局「憂国の士」という甚だ精神衛生上、好ましからざる生き方を強いられることになります。
都合で現在海外に身を置く私は、幸か不幸か日本の「エリート」といわれる方々との交流が比較的すくないので、皆無とはいえなくともそういった「憂国」フラストレーションがたまらない生活を送らせてもらっています。また個人的に努めて「憂国の士」にならぬよう気をつけています。のべつまくなしに「お先真っ暗」なことばかりを口にする「憂国の士」なんて、あまり一緒にそばにいて楽しい人じゃないですからね。
結局、人の考え方が変わるのには時間がかかる、ということです。「いまガマンすれば...」という生き方をしてきて、定年キャッシュ・インを目前に控えている人たちに、いくら「さぁ、新時代です」、「そのシステムは行き詰まっています」、「その価値観は時代遅れです」といっても聞く耳もたないのが当然でしょう。しかし、こうした人たちはやがて表舞台を去ります。時がたてば、自然と彼らは少数派になるのです。すでに時代の潮流は変わり始めています。いまこうして「お先まっ暗派」が大量発生していることはとりもなおさずその証左でしょう。しかし、新しい潮流が本流となるには、日本人の大多数の考え方が変わるには、ようするに「便秘が治る」のには、個人的にはまだあと5年10年ぐらいはかかるのではないかと思っています。
宮沢改造内閣で郵政大臣に就任した小泉純一郎が郵政民営化を主張して政界の変人扱いされ、総スカンくらったのが1992年。郵政解散で小泉自民党が衆議院296議席獲得して大勝したのが13年後の2005年です。「派遣切り」でさわぐ今から約10年後には、日本の雇用労働者の大多数が契約労働者で、それで幸せ...なんて時代がきているかもしれません。
こうした時代の流れの中で、いま私たちにできるのは、その5年後、10年後に向けて今からどれだけ、どのような準備をしておくべきかという事でしょう。そして、そうした我々の今の努力が、5年後10年後における日本の将来を決するのではないかと思います。今後数年間の日本経済のさらなる凋落はすでに不可避ですが、その後日本が方向転換し、再び頂点を目指す位置につけるのか、それとも長期低落傾向に身を任せざるをえないのか。最近のどこかの雑誌の見出しにでていたような「不況に強い資格/検定」などを追っかけているようでは、ふとした事で頭についていたプラグがはずれて、今までの人生がコンピューター・プログラムによる幻像であり、自分は実は巨大AIコンピューターの電池の一つだったと気がついた「マトリックス」のネオ君が、あわててプラグをもう一回頭に差し込もうとしているようなものです。どうした準備をするべきなのか。個人レベルではそれはとりあえず中国語を学ぶ事かもしれません。企業レベルでは、海外拠点で「ものつくり」をする「ひとつくり」ができる人を育てる事かもしれません。国レベルでのそれは、とりもなおさず、自らの判断でリスクがとれる、よりたくましい日本人を育てていく事でしょう。
これも以前、私の個人ブログで紹介したのですが、鄧小平は揮毫を頼まれた時、好んで「楽観」の二文字を書いたそうです。来年の事を言えば鬼が笑いますし、たしかに今後日本経済は今までにない困難な時代が続くでしょう。しかし遠く未来を眺望する時、そこには眼前の厳しい現実にへこたれず、「憂国」に流れず、あえて「楽観」するたくましさが必要とされるのではないかと思うのです。
幕末、徳川幕府という「古い価値観」の死に水をとった勝海舟は言っています、
「やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。」
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