六本木ヒルズ回転扉死亡事故から2年
大阪府吹田市の溝川涼ちゃん(当時6歳)が自動回転ドアに挟まれて死亡した事故から2年、今日26日は溝川涼ちゃんの命日だ。
涼ちゃんの父光一さんが昨年6月、報道各社に談話を寄せている。
「事故から時間がたったこともあり、以前より少しは心が落ち着いてきたとは思います。しかし、息子と同年齢の子供たちを見ると涼のことを思い出し、胸が締め付けられ苦しくなってしまいます」
「回転ドアの事故以降も、企業が安全を軽視していたと思われる事故が発生しています。JR西日本の事故で表面化した『支社長方針 第一目標 稼ぐ』は、企業が安全より利益を優先にする姿勢を明確にあらわした例ではないでしょうか」
「企業は、安全対策のための投資を惜しまず、安全性をもう一度点検・評価し、問題が見つかれば対策を講じてほしいと思います」
事件の責任問題は結局どうなったのだろうか?
新聞の報道によると、
業務上過失致死罪に問われた森ビル(東京・港)元常務、多田雄三(62)ら三被告の判決公判が三十日、東京地裁であった。村上博信裁判長は「抜本的安全対策を取るべき立場にいながら、危険性を見誤り、扉の使用を続けた」と述べ、多田被告に禁固十月、執行猶予三年(求刑禁固十月)を言い渡した。2005/09/30日経新聞より
森ビルの森稔社長については、事件を予見できなかったとして立件さえされなかったのだ。
死亡事故発生当時の新聞報道は違っていた。
六本木ヒルズではオープン以降、手動も含めて回転扉の事故がほかにも三十二件あり、今回の事故と同型の回転扉事故は十二件。森ビルによると、うち七件が二歳から八歳の子どもが首や足などを挟まれた。三件は病院に運ばれた。
けが人が出たケースでは、業務上過失致傷の刑事責任が発生する可能性があったが、事故当時、警察への届けはなかったという。この点だけでも森ビルの安全に対する意識を疑わずにはいられない。(3月31日掲載) 山陰新聞
事故自体がショッキングだったが、その後明らかにされた事実は、さらに大きな衝撃だった。まず事故はそれ以前からあったということだ。オープン以来、ほかにも三十二件の回転扉の事故があり、うち十件が救急車で搬送された。今回事故と同型の回転扉では十二件で七件は八歳までの子どもが挟まれ、三件が病院に運ばれている。
この事実には驚かされた。救急車で搬送されるような事故は、日常的にあるものではない。どうみても異常事態と受け止めるのが一般的だ。それを一年間も放置した。この対応はどうしても理解できない。その先にどのような結果が待っているかは、容易に想像できるはずだ。(3月31日掲載)琉球新聞
繰り返すが、社長であり運営本部長であった森ビルの森稔社長については、部下から事故発生の報告を受けていたにもかかわらず、事件を予見できなかったとして立件さえされなかったのだ。
それではこの事故後の日本社会では「責任問題」がどのように扱われたか?
JR福知山線の脱線事故では「社長は引責辞任せよ!」の大合唱ではなかったか。
この事故で垣内社長は「事件を予見できなかった」のか「事件を予見できた」のかで引責辞任を迫られているのではないことは明白だ。
回転扉に殺された涼ちゃんの父光一さんが語っているように、
「企業としての安全対策を怠った責任」が問われているのだ。
私は回転扉事故で示された判断「予見できなければ社長には責任なし」、この考え方は社会のモラルハザード(倫理崩壊)を引き起こすものと考える。
昨今、コンプライアンス(法令順守)の必要性が叫ばれているが、法令は最低限のルールを決めたものであり、法令さえ守れば後は何をやってもいいということではない。
社会人としてのモラルが必要なのだ。
「予見できなければ社長には責任なし」も同じだと考える。
規定や基準さえ守っていればそれでよい、ヒューマンエラーや「万が一」のイレギュラー、社員の不祥事など予見する必要がないという考え方に陥ってしまうからである。
もう一度書く。
森ビルの森稔社長は、事件を予見できなかったとして立件さえされなかった。最高責任者としての責任は問われなかったのだ。
この司法の判断は本当に正しかったのだろうか。
私は今でもそうは思っていない。100%間違っていると考えている。
さて、
涼ちゃんの命日である今日の六本木ヒルズ・・・はたしてどうなっているのだろうか。
献花ぐらいは行われたのであろうか。
森ビルはこの事件を「すでに終わったもの」と考えていることだけは容易に推察できるが・・・・
Posted by yonchoume_ at 16:09
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