2005年12月23日

明石市の歩道橋事故と耐震強度偽装問題の共通点

明石市の歩道橋事故で、不起訴となった当時の明石署長と副署長について、神戸検察審査会は二十二日、再び「起訴相当」を議決した。議決には民事、刑事両判決で元署長らの責任に言及した事実認定などが反映され、遺族は「今度こそ起訴を」と訴えた。公訴時効まで残り約七カ月。神戸地検は事実上、最後の判断を迫られることになった。
神戸新聞 2005年12月23日

11名の尊い命が奪われたあの事故から4年、今は耐震強度偽装問題が社会問題になっています。

この二つの事件には共通点が多いですね。

歩道橋事故では明石市、警察、民間の警備業者が責任のなすり付け合いを行っていると批判されています。
耐震強度偽装問題でも責任のなすり付け合いは同じです。

そして、行政の責任が厳しく問われていることも同じです
行政が民間業者の業務上の瑕疵(問題)を見逃したということです。
明石市の歩道橋事故では「警備計画」という「設計図」の不備を、そして耐震強度偽装問題ではまさに「設計図」そのもの違法性を見逃したということでは両事件の構図は同じです。

しかしです。
もし・・・耐震強度偽装問題が明石市の歩道橋事故の前に発生していたら、歩道橋事故の判決は変わっていなかったでしょうか。私は変わっていたと思います。

今年の6月の神戸地裁での判決は明石市、警察、警備会社の三被告の怠慢を事故原因とし、軽重関係もないとしました。つまり、責任はそれぞれ3分の1ずつということです。

民間側である警備会社の刑が軽すぎますね。

もし、
耐震強度偽装問題の裁判で日本国、建設会社、コンサルタント会社、建築士の4被告の怠慢を原因とし、軽重関係もないとしたら・・・国民は怒りますよね。

確かに行政にも落ち度はあります。いいかげんな検査体制を許可する法案をつくったのは「国会」ですから。

それでも、誰が考えても国会や行政より民間業者が悪いですよね。たとえ悪法でもそれを守らなくてはいけないのですから。

被害者に対する見方も変わっていたかもしれません。耐震強度偽装問題では住民の「自己責任」が問われていますが、明石市の歩道橋事故の際にはそのような声は一切ありませんでした。

今だったらどうでしょうか。

もちろん11名の亡くなられた方々に事故の責任があるとは申しませんが、耐震強度偽装問題同様に「予測できなかったのか」という危機管理能力が問われたことだけは間違いないでしょう。

もしそうであったのなら、つまり、事故の原因を明石市、警察、警備会社の三被告の怠慢という視点から見るのではなく、市民や群集の危機管理能力の欠如という視点で見たのなら・・・真の犯人に近づけたのかもしれません。

明石市の歩道橋事故の「主演者」はいわゆる群集です。スロープである歩道橋で「後ろから押した人たち」が真の犯人であったのです。

そして「助演者」が警備会社です。耐震強度偽装問題同様に「いいかげんな仕事」で儲けようとした民間業者です。
雑踏警備(使いたくない言葉ですが)を請け負っておきながら、いいかげんな「イベント警備設計図」を提出し、いいかげんな「群集のコントロール」を行った警備会社が「助演兼演出者」なのです。

事故の調査を担当した学者さんも、裁判官も「脇役」しか見ていません。
結果的に主役である犯人を取り逃がすことになってしまったのです。残念なことです。

日本社会は「溶解」してきています。「やるか、やられるか」の弱肉強食社会に変貌してしまいました。

これからは個人の危機管理能力、危険予知能力の向上が求められていくことでしょう。

Posted by yonchoume_ at 16:32 │Comments(0)TrackBack(1)この記事をクリップ!

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ペタンコ小人チャンこれはいかがなもんですかいのぉパカッぁ
パッパカッぁあれあれ【ぷぷりぷりモンブラン】at 2005年12月26日 18:09