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2004/12/17 09:01 更新
ITは、いま──個人論
オン・ザ・エッヂを創業した彼女が歩いてきた道 (2/5)
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彼女は直接、堀江さんから授業を習ったことはない。その塾のおかげで、偏差値が上がったのかどうか、実際のところはよく分からない。ただ、その学生たちとの出会いが、その後の彼女の生活に影響したことは間違いない。
その塾の学生講師たちは、かなりの安月給でやとわれていた。だからみんな、かけもちのバイトをしていた。当時、流行の兆しがあったインターネット関連のバイトに携わる講師もいた。
ある日、ある企業のインターネットデザイナーが、辞めることになった。PCを扱えて、絵心のある人間はいないか――。そんな条件に合う学生として、彼女に話がまわってきた。
「その頃の私は、Photoshopを触って3カ月ぐらい。その人間に企業のホームページ作成を頼む、そんな時代だった」
これが、彼女の初アルバイトだった。バイトに行った初日、いきなり徹夜作業。女の子なのにかわいそうだから……と、職場の人間が寝袋を持ってきてくれた。梱包材をまるめて、枕にすればいいと言ってくれる“優しい”人間もいた。世間を知らない彼女は、「働くというのはこんなものか」と思いながら眠りについた。
それから半年ぐらい、アルバイトにいそしむ生活が続いた。合格した大学には、全く行かなくなった。ついたあだ名は、「大学のヤンバルクイナ」。めったに見かけない、希少生物にたとえられた。
やがて、バイト先の上司が変わった。新しい上司は、正社員でないと信用してくれないような種類の人間だった。自然に、その会社を辞めて自分達で仕事をしようという話になった。
会社を立ち上げるには、資本がいる。出資してくれたのは、彼女の父親だった。ただし、父親は自分の前で事業計画を説明をしてみせろと要求した。これぐらいの仕事を、これぐらいのペースでこなせば、売上はこうなる。今となっては具体的な内容を覚えていないが、なんとか納得がいくようなプレゼンをすると、父親はポンと600万円を出してくれた。――「大学はちゃんと卒業すること」という交換条件をつけて。
こうして、有限会社オン・ザ・エッヂはスタートした。彼女は取締役で、総務兼、経理。簿記は、経営するならそのぐらい必要だと父親から言われて勉強した。社長は、堀江貴文さん。ほかに東大生が2人加わって、4人で会社を始めた。
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[杉浦正武,ITmedia]
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