2009年4月29日 10:00
2009年4月28日筆
国会議員の世襲制限が総選挙の争点の浮上しようとしています。その是非を論じる前に、社会がエスタブリッシュメント(既成階級)によって支配され、日本社会から活力が奪われている、その原因について考えてみたいと思います。
戦後64年、大空襲の廃墟から立ち上がり、わが国が世界第2位の経済大国にのし上がったのは、官僚がしっかりしていたからでも政治家が優れていたからでもありません。経済人、ひいては市民、労働者が優れていたからだと私は思っています。この優れた経済人と市民・労働者を育てた装置が、誰でも社長になれる、誰でも学者になれる、誰でも官僚・政治家になれるという「機会の平等」の社会装置だったと私は考えてきました。
崩れた「機会の平等」という社会装置
平等には「機会の平等」と「結果の平等」があることを皆さんも良くご存知だと思います。いま盛んに求められているのは、所得格差の是正をはじめとする「結果の平等」です。「結果の平等」を求め過ぎると、怠けものが税金で救われる、いわゆるタックス・イーター(税金のただ食い人)を産むという批判もあります。たとえば、外車を乗り回しているのに生活保護費を貰っている人たちや働く気がないのに仕事先を変えて何回も失業給付費を貰っている人たちのことをタックス・イーターといいます。
しかし、いま起きている所得格差などの「結果の不平等」は、どうやら怠けた結果ではなさそうです。タックス・イーターたちの問題でもなさそうです。いまの所得格差は、経済学でいう「所与の」所得分配の格差から生じる「所得獲得機会の不平等」によってもたらされているといえます。たとえば、親に資産・所得がないために子供が勉学の機会が得られない、成績が良くても進学できない。その結果、まともに就職できない、職を得ても短期の単純労働でスキルが身に付かず正式社員になれないという不平等です。
親に資産・所得があるか、ないか、は子供にすればどうしようもない「所与の」問題です。その所与の所得分配格差で生涯所得が決まるとすれば、こんな理不尽なことはありません。よく指摘されることですが、東大、京大、一橋、早慶などエリート大学の学生の親の平均年収は、それ以外の大学の親の平均年収よりはるか高いというではありませんか。親に資産・資力がなければ、入試学力を身につけることができず、エリート大学には入れない時代になりました。
私の学生の頃は、親が貧乏でも子供が優秀であれば親類縁者が学資を出し合うような助け合いもあって、教育機会が子供たちの間で平等に与えられていたように記憶しています。貧乏人の息子・娘でも勉強ができれば最高学府に入学でき、官僚・政治家あるいは経営者、学者になれたのです。親の資力とは別に親類縁者の支援や奨学金で学び立身出世できるという「機会の平等」の社会装置があったから、誰もが夢を持つことができ、努力を重ねることもできたのです。その市民・労働者の努力と一所懸命さが日本に活力をもたらしたのです。
まるで貴族院のような衆議院
しかし、それも遠い昔のことになりました。いまや「機会の平等」は薄れ「機会の不平等」がどんどん膨らんで来ているように思えます。その膨らむ「機会の不平等」の典型例が世襲議員の跋扈です。世襲候補は親族から地盤(後援会)、看板(知名度)、鞄(金脈)を与えられ最初から有利な選挙戦を戦うのです。親族から譲られるものが何もない対立候補者よりずっと有利であることは疑う余地がありません。それでも落選するとすればよほどのぼんくらなのでしょう。
世襲議員支配には、眼を覆いたくなります。麻生内閣の閣僚17人中12人、つまり7割が世襲議員です。現職の自民党衆議院議員303名のうち107名、つまり3人に一人が世襲議員で「石を投げれば世襲に当たる」という状態です。野党(現職)にも16人と少数ですが世襲議員がいます。民主党代表の小沢一郎をはじめ党幹部には鳩山由紀夫、横路孝弘、赤松広隆、羽田孜と世襲議員がたくさんいます。国民新党代表の綿貫民輔も世襲です。少ないからといって胸を張れる状態ではありません。
世襲議員はさらに増殖しそうです。300の衆院小選挙区には、与野党含め実に184名もの世襲議員及び世襲予備軍がひしめいていると「週刊ポスト」(5月8/15日号)は指摘しています。大変な数です。次の総選挙で彼らがすべて当選するようなことになれば衆議院が戦前の華族世襲の貴族院のようになってしまいます。「機会の不平等」によって選出された貴族のような世襲議員が、教育や就業の「機会の平等」を守り「機会の不平等』から生じる所得の格差を是正するというのですから、なんとも滑稽、面妖ではありませんか。
世襲新人も世襲現職も「お国替え」
かといって世襲現職は放っといて、小泉進次郎さんのような世襲新人の立候補だけを禁止するというのも公平さを欠きます。どうせやるなら世襲現職も世襲新人もすべて国替えさせたらどうでしょう。イギリスでは、「下院議員は親子が同じ選挙区から出馬することを規制している」「政治家の子供が立候補する際、親と違う選挙区に送り込む」(「週刊ポスト」同号)そうです。小泉進次郎さんを小泉純一郎さんの神奈川11区からではなく小沢一郎さんの岩手4区から出馬させたらどうだろうとも「週刊ポスト」は言っています。
確かに名案です。世襲だからといって世襲新人の立候補を禁止すれば、25歳以上であれば誰にでも与えられる被選挙権を奪い、職業選択の自由を侵す憲法違反になりかねません。しかし、党が所属候補者の選挙区を変える、つまり「お国替え」をさせれば、地盤も看板も鞄もない対立候補との機会の不平等はなくなります。選挙区世襲が地域利権世襲に直結する弊害もなくなります。何より立候補禁止による憲法違反が避けられます。
残る問題は世襲現職の取り扱いです。総理経験者、閣僚、与党の派閥領袖、野党のリーダーなど日本の統治を担う政治指導者のほとんどが世襲現職です。世襲現職がとぐろを巻いて日本の政治を支配しているのです。彼らは、選挙区に利益を誘導するのを民主主義と勘違いしている利権民主主義者たちです。彼らの利権政治が日本国民に莫大な借金を残しました。そのざんげの気持ちがあるなら、この際、彼らに利権民主主義からの離脱を宣言させ、その証しとして党主導のもといっせいにお国替えをさせることです。
残念なことにこの名案は、世襲現職たちによっていとも簡単に葬り去られるでしょう。われわれのできることは、唯一、世襲新人、世襲現職問わず、「世襲候補者」には投票しないことです。ですから、選挙区世襲と地域利権世襲の関連を断ち切る覚悟さえ選挙民にあれば、世襲政治家は次の総選挙から直ちに消えてなくなります。これまで世襲を許してきたのは選挙民ですから。
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