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上巻極悪NHK日本軍と阿片で捏造洗脳軍命で犬死無駄死した愚民と英霊愚弄

2008/08/29 14:42

 

 

 

 

真実史観極悪NHK上巻日本軍と阿片で洗脳愚民化軍命で犬死無駄死した愚民と英霊愚弄

なぜNHKは執拗に日本軍冒涜なのか

 放送法三条は「報道は事実をまげないですること」とともに、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」だそうだが、NHKなどの仮想現実界は順法したことなど有るのか?・・・現実界の捏造は、消滅なのだ。

 異常ともいえる日本軍冒涜、なぜNHKは捏造してまでしつこく、63年間も続けたか。それは戦後の嘘WGIPから始まった。始めの嘘を隠蔽するため、さらに嘘を重ね国民を愚民化し続けた。それが63年間も続いた。なぜか、嘘がばれれば弾劾され、NHKが崩壊するからである。私利私欲わが身かわいさのあまり、国民の覚醒を恐れ嘘の上塗り「国民の愚民化」を、し続けた。結果遺族会までもが愚民化し、軍命で玉砕や特攻やバンザイ攻撃し、犬死無駄死した愚かなロボット、命令されれば死ぬ自意識無き愚民と戦死者を愚弄し、戦犯だ分祀だと叫ぶありさまだ。さらになんと沖縄では軍命で集団自決、自決者は命令で自決する愚かなロボット、命令されれば死ぬ自意識無き愚民愚弄だ。「戦死者は命令で自死する愚かなロボット、命令されれば死ぬ自意識無き愚民」と、洗脳されし愚民の大合唱、まさに極悪NHK、以下は、そのあくどい手口である。

 

反凶戦争の真実を隠蔽し捏造針小棒大偏向報道するNHK凶産工作員洗脳のあくどい手口

 下記のような史実を隠蔽し偏向捏造報道した(NHKは時代背景過程などの線を隠蔽し、結果だけの全て点報道だ)。これで国民愚民化され、確実に愚民が増加し、NHKは安泰となる。NHK目出度しめでたし。

 資源無き小国日本、国民が資源。愚民と化せば亡国。国が亡べばNHKなども無いのだ、なんと愚かなNHKだ。

 

NHKが意図的に報道しない時代背景と過程

1840年アヘン戦争 中国では、西欧諸国、特にイギリスによりアヘンがもたらされ、アヘン中毒者蔓延した。イギリスは交易にアヘンを用いて資産を獲得した。英国のアヘン密貿易を阻止し、通貨である銀の流失を防ごうとした清国と、英国の侵略戦争。清国からの茶、絹、陶器などの輸入超過のため、通貨の銀が不足した英国は、食民治インドにアヘンを栽培させ、清国とアヘンの密貿易をし、不足の銀を回収していた。

1842年8月敗れた清国は英国と屈辱的な南京条約を締結。これが中国食民治化の始まりとなった。この事件に驚いた日本徳川幕府は、異国船打ち払令を、天保の薪水供与令に改めた。

1842年8月英国虎門寨(こもんさい)追加条約で治外法権を獲得。

1844年フランスアメリカも条約を締結、治外法権を獲得。食民治主義中国食民治化に拍車がかかった。

 このように当時は、弱肉強食適者生存のため、敵味方アヘン虐殺何でも有りの、世界の戦国時代なので、法治下の現代の尺度での善悪判断は、間違いNHK朝日毎日などの工作員は、アヘン、虐殺何でも有りの、世界の戦国時代を隠蔽し、日本軍だけの悪行のように報道、極悪日本軍と捏造

 上記のようにイギリスによりアヘンがもたらされ、中国満州台湾ではアヘンの吸引が庶民の間で常習となっており、すでにアヘン中毒者蔓延していた。日本が蔓延させたのではない。

1879年(明治12年)5月1日には薬用阿片売買竝製造規則(阿片専売法)を施行。アヘン製造販売を独占し、購入者及び栽培農家は政府による登録制とした。

1895年、日清戦争の講和条約によって台湾は日本領土となる。後藤新平はアヘンに高率の税をかけ、吸引者を徐々に減らす、アヘンの漸禁(ぜんきん)政策を施行。

1904年~05年1905/8/20 日露戦争、日本勝利。日本の朝鮮における権益確認韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道満鉄を清国の同意を得てロシア、日本へ譲渡、南満州を勢力範囲とした。満州は侵略ではなく清国の同意を得て、占領していたロシアから譲渡されたもの。NHKや朝日毎日は史実を無視侵略と捏造。

1906年後藤新平初代満鉄総裁。阿片中毒者蔓延の南満州でも台湾同様に、アヘンは漸禁(ぜんきん)政策。

1932/3/1 日本がバックアップし、清の宣統帝溥儀、満州国建国。日満議定書(満州における既得権益の尊重。日本軍の駐屯の2条を規定)NHKや朝日毎日の侮蔑表現傀儡ではなく、世界の戦国時代戦時下なので日本は補佐した。

1933年中国人の約8人に1人が阿片常習者。中国の「戦費の4分の3」は阿片で賄われていた。「阿片が現金」。

1935(昭和10年)/8/1中国共産党日本に宣戦布告 1935年のソ連コミンテルン第七回大会で、反ファシスト人民統一戦線方式が打ち出された。その結果「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」が発せられた。内容は中共がその革命戦術の中に対日戦争を採りいれて、「内戦停止・一致抗日」を訴え、所謂「救国」運動に変換し革命戦術を拡大させたのである。そしてそれは国民党軍に潜入していたコミンテルンの指令を受けた中国共産党工作員による、1937年7月8日の「盧溝橋事件」へと展開してゆく。

 八・一宣言(抗日救国のため全同胞に告ぐるの書。中国共産党が抗日民族統一戦線の結成を提唱)。蒋介石が追い詰め中国共産党軍の兵力は30万人から3万人に激減「最後の5分間」となったため、矛先を日本に替え宣言した。赤化戦争を抗日救国戦争にすり替えた。日本と蒋介石国民党軍と交戦させ衰えさせる、漁夫の利作戦を本格的に開始したのだ。以後日本との交戦はすべて中国凶産軍の仕業と考えて間違いはない。

1936/12/12 西安事件共産軍討伐のため西安に駐屯中の張学良の旧東北軍が、抗日救国(凶産党のばらまく美味な撒き餌。実体は、赤化戦争を要求し、南京から督戦に来た蒋介石を監禁した事件。共産軍を「最後の5分間」から蘇生させたのが、西安事件であった。蒋介石が西安で共産軍掃討戦を 行っている張学良を督励するために訪れた時、突如逮捕監禁された。8年前、父親・張作霖を日本軍に爆殺されたとされ、満洲から追われた学良は、抗日意識の盛り上がりに乗じて、共産党と通じ たのである(父親・張作霖の爆殺は、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、真実はスターリンの命令にもとづいてトロッキー暗殺に関与した、ナウム・エイティンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという)。 共産党がモスクワの指示を仰いだところ、スターリン蒋介石を釈放し、「連蒋抗日」を命じた。周恩来蒋介石に息子「蒋経国を帰国させる」とスターリンの条件を伝え、国共合作して日本軍と戦おうと説得した。蒋介石を殺せば、国民党軍により中共軍が壊滅せられ、汪兆銘がトップとなることを恐 れたものであろう。蒋介石を殺すべしと考えていた毛沢東は真っ赤になって怒ったと伝えられている。

 拉致された蒋介石は釈放の条件として、共産党討伐の停止、逮捕されていた抗日運動家の釈放、対日抗戦の早急な準備などの8項目を要求され、「抗日民族統一戦線」の形成に合意させられた。

 蒋介石釈放をめぐっての調停工作に当たっては、イギリスアメリカ、ソ連、中共の間で同一歩調がとられ、利害が一致する中で抗日統一戦線が形成されていった。

 この事件により対日・反共政策の見直しを迫られる。蒋介石は国共合作・抗日へと方針を急転換し、「最後の5分間」の段階に来ていた反共掃討戦を、中止した。事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免されるとともに、国民党から共産党に毎月50万元が支給されるようになり、国民党は次第に反日色を強めていった。

 西安事件の直後、ヨーロッパでの療養から帰国した汪兆銘は、国民党副主席の地位についていたが、戦いの陰で日中和平工作を進めた。「人々は、簡単に抗日を国内統一の手段にしようなどというが、抗日戦争で負ければ我々は滅亡するのだ。いちかばちかの賭けに出て、滅亡した場合誰がどう責任をとるのか」反共戦争(日中戦争)ふたたび準備

1937/7/7 反凶(日中)戦争開始。盧溝橋事件(日本軍が北京郊外盧溝橋で夜間演習中、弾丸が飛んできたことを理由に翌朝交戦。盧溝橋事件は、排日事件を頻発(ひんぱつ)させ、西安事件によって抗日戦線を形成してきた中国共産党が、日本との戦争を行うべく、戦略的な突出を行い、国共一体となって、抗日戦を切り開いて行く状況を作ろうとして起こした事件と見るべきである。蒋介石が再び親日反凶掃討戦に戻らぬようクサビを打つため、「最後の5分間」の段階の凶産党が、抗日戦争を仕掛けたのだ。

 

中国の阿片状況(1933年)

「当時、中国人の約8人に1人が阿片常習者であり、このような状況下では、中国のあらゆる政府や軍隊が税収や軍事費などを阿片で賄わざるを得なかった。支那では、国民党政府も、地方政府も凶産党も、阿片を主要な財源にし、交易に使用。中国の「戦費の4分の3は阿片で賄われていた。南京中央政府、またの名を国民党というやくざ集団。満州国は三千万の中国人には天国である。南京虐殺は国民党に潜む共産勢力の仕業。

 政府や軍隊が農民にケシ栽培を強制し、金を巻き上げる手口などについても、詳細な説明がなされている」『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1931年から1933年まで上海と福建省の副領事。「アメリカは極東に手を出さず、日本に任せよ」という持論はアメリカの極東政策への厳しい批判となり、真珠湾攻撃後には反米活動をした罪で1年間投獄された)1933年にアメリカで出版されたものの完訳。芙蓉書房(2004/07)

 郷に入っては郷に従え。日本も、当時の中国に関与すれば、政府の財源や軍費が阿片によって賄われている支那の経済の現実、「阿片が現金」を、取り入れ得ざるを得なかった。

 

日本のアヘン政策

専売制度

 国家が特定商品の販売または製造販売を独占する制度。財政収入が主目的の財政専売(アルコール)と公益上の見地からの行政専売(アヘン)とがある。日本では1879年(明治12年)5月1日には薬用阿片売買竝製造規則(阿片専売法)を施行。アヘン製造販売を独占し、購入者及び栽培農家は政府による登録制とした。1898年の葉タバコ専売、タバコ、塩、樟脳(しょうのうは1961年度限りで解除)アルコール、アヘン(特別会計)について実施されてきたが、タバコの専売は廃止され1985年民営化。塩も1996年度専売廃止。アルコール、アヘン(特別会計)は現在でも専売品。

 1895年、日清戦争の講和条約によって台湾は日本領土となる。明治31(1898)年台湾第4代総督として任命されたのが、後に日露戦争 でも活躍した児玉源太郎である。児玉は、後藤新平(後の東京市長)を民政長官に起用。民政長官後藤新平はもともと医師であり、社会衛生を重視した。アヘン中毒者蔓延の台湾では、アヘンを厳禁としない漸禁「ぜんきん(緩やかに禁止)」政策台湾阿片令を、明治31(1898)年発令した。台湾総督府専売局により専売制のアヘンは、アヘン中毒者への販売が許可された。同時に台湾におけるケシ栽培が禁止されたため、内地におけるアヘン製造が活性化した。後藤新平はアヘンに高率の税をかけ、吸引者を徐々に減らす、アヘンの漸禁(ぜんきん)政策と共に、その税収を衛生改善に当てた。阿片を専売制にし、阿片吸引を免許制とし、段階的に税を引き上げ、新規の阿片免許を発行しないことで阿片を追放することに成功。1897年には台湾阿片令当初16万9千人もいたアヘン吸引者は、50年後の日本敗戦時には皆無となっていた。

 以後、アヘン中毒者蔓延の地、関東州、満州、中国においてもアヘンを厳禁としない漸禁「ぜんきん(緩やかに禁止)」政策をとった。民間(密売)より高純度で安価な阿片を必要悪として提供するのは、一種の公共政策でもあった。1915年にはモルヒネの国内生産が成功し、アヘンの需要は高まった。関東州、満州においてもアヘンは製造された。

 

当時中国人の約8人に1人が阿片常習者のため密売が横行したアヘン

 関東軍総参謀副長から敗戦直前に内閣総合計画局長官となった陸軍中将池田純久は「陸軍葬儀委員長」(1953年)のなかで、つぎのように書いている。
 「・・・.[支那]事変当時、日本で喰いつめた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、アヘンの密売に従事しているものが多かった。かれらは治外法権を楯に日の丸の国旗を掲げて公然とアヘンを売っているのである。だから中国人のうちには、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。時々日本の国旗陵辱事件がおこり外交問題に発展することがあったが、よく調べてみると、中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった。

 戦前にある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸の旗が翻っているのをみて,「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか」と随喜の涙をしたという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって涙をしたであろうか。」『日中アヘン戦争』江口圭一著1988年岩波新書

 

 平和時非合法なのが、戦時下では人殺し、アヘン、原爆など、合法となる。戦時下合法のアヘンを、平和時での極悪断定報道は、罵倒のための悪意報道でしかない。

 アヘンは医薬品、アヘン中毒者の治療方法、アヘン中毒者を根治した台湾統治の実績、野放しにせず統制品にし国の専売とし管理した、捏造が党是の中国凶産党が全面協力した番組み、戦争とはアヘン殺し合いなんでもあり、NHKが捏造し軍人罵倒を続ける理由等予備知識無き人がこれを見たら「軍人=アヘン=悪」と確実に洗脳される報道だ。予備知識があれば、捏造を随所に発見できる。以下巧妙なNHKの捏造を検証して見よう。

2008年7月17日21時NHKスペシャル調査報告「日本軍と阿片」

あらすじ

戦争の負の遺産日本の戦争と深い関わりを持つ阿片。日本の薬用植物研究施設の映像。大量の阿片を採取できる品種は日中戦争の前の年日本で開発された。強い依存性をもつ麻薬を利用して日本は戦争を行っていた

日本で開発された麻薬を利用して日本は戦争を行っていたかのように錯誤する。アヘンは専売品なので税収の一部ではあるが、それで戦争とは飛躍もはなはだしい針小棒大だ)

日本軍と阿片の関係が明らかになったのは東京裁判である。A戦犯として死刑となった東条英機元総理大臣、そして板垣征四郎元陸軍大臣。二人の起訴理由に国際条約に違反中国に蔓延させたことが挙げられていた。

Aを捏造し侮蔑。国際条約に違反は、批准していないので違反ではない。阿片を中国に蔓延させたのは英国、は史実。日本ではない。前述のようにアヘンは専売品として、国民は皆知っていた、「明らかになったのは」と捏造。また、戦時下なので軍関与は当然である)

「陸軍の命令で莫大な量の阿片を売買した」と里美甫)(1896~1965)(さとみはじめ)が検察側の証人として出廷し証言した。阿片をめぐる罪は、アメリカ中国側の証拠と証言によって裁かれた。

(里美が米軍と取引しての証言は、史実。東京裁判は裁判ではなく、リンチは定説である)

日本軍が阿片で戦費をまかなった事実が浮上、海外の資料から、日本軍の阿片売買が明らかになってきた。日本軍は阿片を使って何をしたのか、徹底追跡をした。

海外の資料とは捏造が党是の中国凶産党と反日アメリカ。専売品の利益で戦費をまかなうのは当然のことである。)

日本の戦争と阿片の関わりをさぐるため、中国東北部瀋陽、かって日本が創った満州国傀儡(操り人形)国家の一部奉天に向かった。日本が造った巨大な阿片工場の跡があるという情報を得たからだ。研究者から情報を集め可能性のある場所を尋ねた。満州国政府の記録によれば年間30トンの阿片を製造していた。

(捏造が党是の凶産党の一方的な情報。満州国政府の記録なるものも開示なし。)

満州国は民族が手を取り合う五族協和、理想の国家を目指す王道楽土をスローガンに掲げていた。満州国防衛を担当したのが日本の関東軍。関東軍は、傀儡(操り人形)国家満州国の建国に大きく関与していた。

(無検証で傀儡(操り人形)国家と以後何度も侮蔑表現)

関東軍と阿片を語る元関東軍特務機関(諜報工作が任務)員木村明(86)証言。特務機関金庫には現金と官営の工場で製造された阿片が入っていた。現金が底をつくと阿片を換金して活動の資金にしていた。親指と小指を立て(阿片の記号)、「要不要(ようぷよう)」(要るか要らんか)とたずね、換金していた。暴力団が資金源にするのと一緒である。特務機関もそういうことを・・・。官給品の阿片は飴玉ほどで10粒で一月分の給料に相当した。

(途切れる証言。「・・・せざるを得なかった。戦争だからね」と続いたのではないのか。戦時下紙切れの現金よりもアヘンが通用したことは納得できる)

満州国時代のアヘン窟とされる映像が海外の映像会社に残されていた。横たわりアヘンを吸う映像。満州国では政府指定のアヘン窟があった。政府の説明では、急にアヘンを禁止すると、中毒者が禁断症状に苦しむので、少しづつ与えて救済するためとしていた。

(徐々に離脱させるのが唯一の治療方法である。台湾統治にも用いられ根絶した実績がある)

実態は中毒者以外でもアヘンを自由に吸える状況だった。アヘンを売った金は政府が吸い上げていた。昭和12(1937)年の満州国の記録にはアヘン麻薬の中毒者の数110万人と記されている。一つの都市に4000軒のアヘン窟が乱立したというデータもある。

(満州国の記録の開示なし。満州国建国昭和7年1932年からの統治なので、日本が蔓延さしたのではない)。

満州国警務総局の内部資料(昭和16年)の写真。映像は痩せこけた裸の男性の死体。報告書には、ハルビンのアヘン窟地帯で、年間2000を越す死体が路上に放置されているとある。

(報告書の開示なし。写真が事実なら英国が持ち込んだ麻薬の被害が正解。日本ではない)

満州国を潤したアヘンマネー、それが関東軍と深く結びついていたことを、私たちは知った。大耗公司(だいもうこんす)は関東軍の下で、軍事物資の調達を行っていた会社でアヘンに関する業務の担当を命じられた。中国の現地から東京の本社への報告にも、アヘンに関する関東軍参謀副長板垣征四郎の指示も残されていた。板垣征四郎と関東軍参謀田中隆吉は、、新たな計画を練っていた。内蒙古の親日政権を造ろうという計画だった。

(国が管理する専売品、戦時下なので国直轄の軍管理は当然であり、指示も当然である。中央の方針とは反する証拠開示無し)

資金源として注目されたのがアヘンだった。アヘンの収売に関しては内蒙古チャハル盟9軒の農家に栽培させると、板垣は指示した。河北省張北の60代農民らしき人が「ここが昔ケシ畑だったところです。1.6ヘクタールに栽培し、採取したアヘンは、日本人に渡していた」と証言映像。

(専売品なので栽培させた。1932年満州国建国時10歳でも86歳、若すぎる証言者だ。捏造見え見えだ)

 関東軍の内部資料に昭和9(1934)年の時点で内蒙古の一部だけでケシ畑3万ヘクタール従事者人口100万人に上るとしるされている。

(資料開示なし。ケシで満杯のケシ畑イメージ映像)

昭和12(1937)年日中戦争勃発すると関東軍は、内蒙古チャハル盟に武力侵攻。軍中央の意向を無視して戦線を拡大した。北京北部第五師団長板垣征四郎と関東軍参謀長東条英機は三つの傀儡政権を造った。

(意向を無視しの資料開示無し、戦争は陣取り合戦、戦線を拡大は当然である。三つの陣地を味方にしたが正解だろう、それを傀儡政権を造ったとは。NHKは終止悪意に満ちた表現をし軍罵倒目的は明白だ)

昭和12年12月関東軍極秘文書記載(複写)、このとき東条英機が出したアヘンに関する指示。「阿片、塩務政策の確立に方りては特に蒙彊方面の財源捻出に留意」アヘンを傀儡政権の財源とし、敵に奪われることを阻止するように東条は念を押していた。

(「アヘンを傀儡政権の財源とし、敵に奪われることを阻止するように東条は念を押していた」とは書かれていない。捏造である)

愛知大学森久男教授

 「軍中央の意向に従わない関東軍にとってアヘンは機密費となっていたと見ている。関東軍の内蒙工作は、途中から陸軍中央部の承認を得ない独走状態となってくる。正規の予算請求できないので自分たちで機密費を調達する。機密費を勝手に捻出するのは非合法。出先軍部に対して陸軍中央部の統制が取れていなかった」(意向に従わない、アヘンは機密費、独走状態、資料開示無し。アヘンは国管理の専売品、それを軍管理で、二人がさも私物化したような報道だ)

アヘンマネーで暴走する関東軍。私たちは、そのことによって日本が国際的孤立に追い込まれていった事を知った。スイスジュネーブにあった国際連盟。戦時中の日本と阿片にかかわる文書がはじめて公開された。日中戦争が始まって一年(1938年)、国際連盟では日本と阿片とのにかかわりが問題となっていた。日本が占領した中国各地からの報告が多数を占めていた。アメリカの報告書は、満州国のアヘン収入が、前年よりも28パーセント増加する見込みと、警告を発していた。日本と阿片とのかかわりは世界から徹底的に監視されていた。この5年前日本は満州国承認されなかったことを不服として、国際連盟を脱退していた。しかし完全な孤立を避けたいと、その後も重要な委員会に協力を続けていた。その一つがアヘン諮問委員会。アヘン戦争以降植民地支配にアヘンを利用してきたヨーロッパの列強国、非人道的だと言う声が高まり国際的な規制へと舵をきっていた。アヘンで不当な利益を得ると言う国を厳しく監視していた。

(1927年田中義一首相の東方会議の上奏文といわれる署名の無い文書で、対満蒙、対世界政策を記したものといわれている。内容はなんと、世界を征服するには、まず中国を征服しなければならぬから始まり、日本が満州と蒙古を手に入れ、次に中国、そしてついには全アジア、全世界、全地球を、征服する征服物語なのだ。全世界征服計画という荒唐無稽な話が日本の野望として、1929年12月、南京で発行されていた月刊誌『時事月報』に、『田中義一上日皇之奏章』と中国文で発表された。1930年代には、米国で英文パンフレットとなり、大量に配付され、田中上奏文は、さらに翻訳され、世界中に「世界征服を目指す日本」というイメージをばらまかれた。

1933/1 ルーズベルト政権発足し、昭和8(1933)年8月に米国農務省が8千万ドルの小麦と綿花借款を南京の国民政府に与え、さらに昭和9(1934)年2月に中国広東軍司令部と米航空公司との間で米軍の援助による空軍3年計画契約交渉を行い、米軍用機購入と米海軍予備将校の指導をもとに、福州およびアモイに米国は飛行場を建設している。すでに食民治主義者は日本潰しを開始していた。征服者植民地主義対唯一の非干渉独立国日本の対立である。この時点では日本も蒋介石も共に反凶戦争にまい進中)

昭和13(1938)年6月日本の外交にとって大きな打撃となった第23回のアヘン諮問委員会が開かれた。
下巻につづく

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2008/09/06 21:21

Commented by ikumi1977jp さん

はじめまして。とても勉強になりました。都合の良いところだけ利用する「つまみ食い」は虚報ですね。カラクリがわかりました。これからもぜひ教えてください。

 
 

2008/09/10 19:05

Commented by 真実史観 さん

ikumi1977jp さんへ
鵜呑みせず検証の結果、我々が委託した仮想現実界(NHK朝日毎日、映画監督、作家、教師、教授、議員、役人)は、検証の職責も果たさず努力もせず、63年間もWGIPの嘘を撒き散らし、金をだまし取った詐欺集団です。識者呼称など、とんでもない、輩の正体は、極悪詐欺師集団です。だまされてはいけません。ikumi1977jp さんのように鵜呑みせず、立派な先人、親から授かった自分の頭脳で考えれば皆、詐欺に気付きます。鵜呑みせず自分の頭脳で考える、これが覚醒の鍵です。子孫に真実(先人のレジスタンスの姿)を残しましょう。
真実史観

 
 
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2008/09/04 00:30

日本軍と阿片・NHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」8月17日放送(8月30日再放送)に質問状を [正しい歴史認識、国益重視の外交、…]

 

&lt;font size=5,color=blue&gt;8月30日、8月17日放送のNHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」の再放送を見た。 かなり狡猾な印象操作なのでツッコミ難かったが、NHKは支那事変以前の支那におけるアヘンの実態…