自閉症マニア・自閉症アスペルガー症候群研究所本部

自閉症・アスペルガー症候群を取り巻く本当の話

私Chipの自己紹介

東京都より頂いた貴重な精神障害者手帳

「この子トールとそっくり。」
「ほんとだ。トール君自閉症ナンじゃないの」 頑固で意固地な私を家族が、からかった。

それは、昭和42年、カナー型の少年の日常を写したドキュメンタリーだ。
自閉症という言葉もこのとき初めて聞いた。日本中の人も多分初めてだったと思う。

「重い子供がいるんだから、軽い子供だっているにちがいない」私は画面を見つめ確信した。

番組では、始めは耳が聞こえないのかと思ったこと。
呼びかけても向かないが、でんでん太鼓の音にはきちんと反応すること。
小学高学年になった今でも、写真撮影の時はこちらを見ようとしないこと。
など、その特徴的な事柄について、淡々と事実だけ、よけいな推測を交えず報じていた。
(当時の作り手は、まともだったね)

実は写真撮影の時、困らせるのは私も同じ。
目玉が強い意志を持って、さらにレンズを通し巨大化してこちらを見つめるのだ。
気持ち悪いっちゃあない。

別に写真に撮られるのが嫌いなんじゃない。
あの強い目を見なければいけない事が嫌いなのだ。

もちろん、そんなことが出来ないのは、4才ぐらいまで、5才になると嫌々従うようになる。
そんな私と、その子供に家族は無意識に共通点を感じたのだろう。

我が家は、西は博多から東は札幌まで、全国の主要都市を転居して歩いた。
それに伴い、小学校3校、中学2校、高校2校、さらには中学予備校迄含めると、
高校を卒業するまで、延べ8校を転々とした。

同じ地域に住んでいたなら、高校以外はだいたい似たような顔ぶれの持ち上がりだが、
私は、実に多くの異なる同年代(延べ2000人)と机を並べた事になる。

しかし、それでも話が合う(同じような思考回路を持つ)人間に巡り合うことは無かった。

大学を5年で卒業後、就職。 転職した先で妻と出会った。
彼女も一風変わり者。何とも変わっているのは私と話が合うことだ。

付き合いだした頃、彼女が怒り出すのを覚悟してこう言った。
「ねえ、厳密に言うと、あなたは自閉症の軽いタイプだと思うよ。」
意外にも彼女は怒ることなく、それどころか
ほとんどの人が知らない自閉症について詳しいことに驚いた。

そして、自身のことについては、否定も肯定もする事は無く、
その後も何度か同じ話が出たが、いつも同じ態度だった。

ところが、その時蒔いた種は結婚15年後、突然芽を出す。

結婚して15年。私は鬱になっていた。
もちろん自分でうつ病だなんて自覚もないし、そのうち気も晴れると思っていた。
しかし、気が晴れる日は来ない。

異変に気付いたのは妻だった。
彼女の異常なほどの答えを求める執念は、最新の自閉症研究資料の収集にねらいを定め、
新設のクリニックになんとか診察の予約を取り付けた。勿論二人分である。

私は、私が自閉症か自閉症でないかはどうでもいいことだった。
ただ、かつて見たカナー型の子供と私は繋がっていると強く感じ続けていたのだ。

妻は、診察の予約だけでは飽きたらず、講演会などにも出席していた。
その時、ある噂を聞きつけてきた。「ニキリンコと言う自閉症で、翻訳家の女性が居るらしい」

自閉症の翻訳家と言うことには別に驚かなかったが、それで食っている話を聞いて驚いた。
自閉症でそんなに世渡りが上手く出来る人が居るんだ。

しばらくしてNHK教育テレビにんげんゆうゆうにて「ニキリンコ」が登場した。
私は驚愕した。「こんな自閉症居るわけない!」
かつて、「太鼓と少年」と言う自閉症を紹介した真面目な番組を作った、同じNHKが
こんな「偽物」をまことしやかに放送するなんて。

その後、なんとNHKの取材と女性自身の取材を一度にコーディネートをし、さらに、
NHKでは言葉より筆談の方がコミニュケーション出来ると、パソコンのディスプレーを介して
会話する一方で、女性自身の取材では大いにしゃべり、打ち上げは、小料理屋で
話は大いに盛り上がり延々4時間に渡ったと言うのだ。

妻が申し込んだ自閉症の診察は、当日嫌ならキャンセルすれば良いと考えていたが、
そこで私の考えは変わった。
こんな偽物が大手を振って歩いては、今までの自閉症の環境は一気に壊れてしまう。
それを警告出来るのは、同じ当事者しか居ないだろう。
私は、怒りの勢いで、診察日にクリニックに向かった。

そして私は、日本では数少ない専門家の診察を受けることができ、
「アスペルガー症候群」と診断された。遅れて、妻もきっちり「アスペルガー症候群」と診断された。

「軽い自閉症」の自覚があった私にとって、診断や診断名など、どうでも良いことだったが、
現実は違った。
なぜなら、アスペルガー症候群は「脳機能薬」の感受性が一般の人と違うことがある。

私は少量の抗うつ剤の適用を受け、今では安定した日常を過ごしている。

もしこれが何の知識も無い一般の精神科だったら。
生活費の苦労の上に、抗鬱薬の副作用に悩む日々であったなら、考えるだに恐ろしい。

私はこんな大人。 山岸 徹 52才 自営(2009年)

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