2009年5月3日

空に向かって、まめにはげめ!!

初めて訪れたつもりなのに、、、「天保の締め切り跡」が既知の場所でしたが、一番利根川に近い部分がどうなっているのかは確認しませんでした(^^;)
久しぶりの自転車での遠出なので、お尻と言うか足の付け根が痛くて、自転車をころがしながら歩くか、立ちこぎで進むかしないと痛みを我慢できない状態になってました。それでも次は何年先のことになるかも分からないので、いくつかのお気に入りポイントに寄りながら帰ることにしました。
少し遠回りになってしまうのですが、まずはオニバスの自生地へ。種子が発芽するのが6月、花が咲くのは8月くらいらしいので、まだなにもない状態でした。
利根川に架かる埼玉大橋は、自転車での走行をまるで考慮していないのではないかという構造でした。道の駅・童謡のふる里おおとねでは、特にお買い得値段ではありませんでしたが、良質そうなのでソラ豆を1袋買いました。このところ毎晩のように塩ゆでにして食べています(^^)
庚申塔などをみつけては、写真を撮りつつ休憩しながら進みます。
玉敷神社には国学者の河野省三邸跡がありますが、建物はなくて門しか残っていません。やはり門だけで、建物があったところは荒れ放題(?)の公園となっているのが、洋画家・斎藤与里生家跡です。加須駅から歩いたら1時間では着かないでしょうし、近所の人が犬の散歩で通るくらいなのかもしれません。何度か来ていますが、今回はすぐ近くに墓をみつけました。このあたりの風習で、墓石は家の近くと菩提寺の両方にあったりします。(写真は斎藤与里生家跡にて。井戸跡か、単なる放置土管かは分かりません)
最後は、「浮野の里」というクヌギ遊歩道・水路・葦原・花菖蒲などなどのある場所で、、、お昼寝してゆきたい感じでした、、、。

2009年5月2日

いつの世も締め切りはちょっと辛い!?

先日、館林の田山花袋記念文学館にて、板倉町教育委員会・発行「みずば絵巻~川と道~」という無料の配布物を入手しました。折りたたみ地図のような体裁で、板倉町にある歴史的石造物や水にまつわる風景などが分かりやすく纏められている内容です。そのなかのひとつが「天保の締め切り跡」というもので、、、”天保12年に利根川の東遷事業によって締め切られますが、それ以前より本川ではなくなっていたようです。利根川流域で、締め切り跡や水路が残るのは、本地域のみで、とても貴重な国土遺産です”と書かれていました。
騎西の玉敷神社で1時間ほど藤の花を見た後で、そこへ行ってみることにしたのですが、、、肝心の利根川には、いくつも橋が架かっているわけではないので、騎西町からだと国道122号で北上して利根川を超えたら東へまわるか、先に大利根町にある埼玉大橋まで引き返すかするわけですが、地図も持っていなかったので、いつ目的地に着けるかどうかも分からない旅路となりました(笑)
ちょうど締め切り跡あたりを横切る道路が工事中だったせいもあって、知らずに通り過ぎてしまい、以前「群馬の水郷」をめざして歩いたあたりまで行ってしまってから、引き返しました。
旧利根川だった部分は、両岸に土手が残っていて、ほとんどは田畑と釣り堀くらいで、のどかな田園風景そのものです。行ってみて「なんだぁ、ここだったの?!」と、、、今までに何度か車では通ったことのある場所なのでした。片側の土手は車が通れますが、もう片方は、散歩やサイクリングに良さそうでした。
群馬と埼玉の県境は、この締め切り跡の真ん中あたりになっています。利根川より北側なのに北川辺町が埼玉県なのは、このような歴史的経緯(?)が関係しているのかもしれません。注意深く見れば、グーグルアースなどの写真や普通の地図でも、かつては川であったことが読み取れそうですが、知識より先に風景を見て「ここは普通とちょっと違う!!」という風にはなかなかなれそうにありません、、、。

2009年5月1日

今日も藤色玉簾

埼玉県内の三大ヒーリングスポットを勝手に決めてしまうと、、、さいたま市(大宮)・氷川神社、騎西町・玉敷神社、鷲宮町・鷲宮神社(順不同)ということになります。
今日は、自転車にて午前6時出発で騎西町の玉敷神社にある推定樹齢400年という藤の花を見にでかけることにしました。
通り道なので、先に鷲宮神社に寄りました。ここは近年、マンガ「らき☆すた」の聖地と化してしまったようなので、お久しぶりになってしまいました。出雲系・関東最古の大社です。絵馬掛けはもう9割以上「らき☆すた」関連のようでした。3羽ともオスのクジャクが飼われていましたが、オスだけでも羽根を広げたりするのでしょうかね?
鷲宮神社から1時間弱で玉敷神社へと着きました。こちらは703年と創建年がはっきりしていますが、現在の場所になったのは江戸時代の初め頃のようです。藤の花は、ちょうど見頃な感じでした(^^)
あと藤の古木があるのは、越谷の久伊豆神社ですが、見に行けるかどうか微妙になってきました。例年ですと、玉敷神社から菖蒲町(菖蒲神社に樹齢約300年の藤がある)へと回るのですが、今日は別件で、北へ……。

2009年4月30日

お天気お姉さんと千二百年物の蜜の味

昨年5月1日のブログタイトルは「筆誤りて、、不死を藤と書く!?」でした。今年は一日早く、樹齢1200年余、弘法大師お手植えだという話もある特別天然記念物・牛島の藤を見に行きました。が、、、昨年よりも花房が長くないような印象がありました。しおれて終わりかかっているところもありで、例年より何日か花が早いのかもしれません。今年は、4月18日から5月10日までの公開で、それ以外の一年のほとんどは園内に入ることすらできません。
1200年の間には、大干ばつとか大嵐とか洪水とか、いろいろあったことでしょう。人間だと40世代くらいの時間でしょうか?年によって花の色も違うそうです。
藤の花に集まってくる大きな蜂は「クマバチ」と呼ばれているようです。ころころっとした大きな体のわりには小さな羽根なので、、、航空力学的には飛べないのだとか???
今日は、ずいぶんとこのクマバチの撮影に専念(?!)してみました。それでもなかなか飛んでいる蜂を綺麗に撮ることはできないので、そろそろ帰ろうかと思って、あたりを見回したら、、、テレビカメラでなにやら撮っているようなので見物することにしました。
アナウンサーらしき女の子にカメラマンなど男の子3人で、試行錯誤しながら、繰り返しやり直しで撮っている風なので、どこかの大学のサークルかと思えましたが、、、オバサマたちの強引な質問攻めで、テレビ朝日「報道ステーション」(21:54~23:10)のお天気(うがナツの天気)コーナーであることが判明しました(^^)

2009年4月29日

どこかの国がクシャミをすれば……

公園などの休憩場所として建てられている東屋に姿の黒いニホンミツバチが巣を作っていました。都会の公園だったら発見され次第撤去されてしまいそうですね。養蜂箱に棲んでいるのではなく、野良ミツバチを初めて見たような気がしています。と、言うよりも花に集まってきているミツバチの栖家まではこれまで確認する機会がありませんでした(^^;)
内部までは見ることができませんが、写真の正面の板は背もたれにあたる部分で、手前の板にお尻がのって、人様がお弁当でも食べる場所です。中には、とろ~りいっぱいの蜜があるのかもしれません。そもそもなぜミツバチは、自分たちで消費できるとは考えられないくらい大量の蜜を集めてくるのでしょう???
貝塚遺跡の貝は、現在棲息している同種の貝よりもサイズが大きいのだそうです。日本人の体格は、太平洋戦争後に飛躍的に向上してきたようですが、平均的体力は頭打ちみたいな報告もあるようです。このニホンミツバチとか、ニホンリスとか、、、「ニホン」が冠付されると「セイヨウ」に比べて小さいのが当たり前のような感じがしてしまいます。逆に大きいとか強いとかないのでしょうか???

2009年4月28日

花咲いてイチローのバットにあすなろう

昨日、大小山~妙義山を歩いたときにあちこちに綿のような花が咲いていました。ある親爺は、いきなりその花を鷲掴みにして、自分の鼻を花にこすりつけるようにしていました。わたしが怪訝そうな顔で見ていたせいか、、、その親爺より少し遅れて、岩場の斜面を降りてきた、齢70を超えていそうな血色の良い爺さんは、訊いてもいないのに「バットを作るトネリコの花です」と説明しながら通り過ぎてゆきました。
「トネリコ」という名称の響きは、ほとんど間違いなく外来語のような感じがしてしまうのですが、、、ウィキペディアで調べてみれば、驚き物怪参照ぎょっ!!で「<戸に塗る木>が訛って<トネリコ>と発音されるようになった」などと書いてありました。あえて漢字で書けば「戸塗粉」というところでしょうか、、、。
古代日本の官位名かなにかで「舎人(とねり)」というのがあったようですが、それとは全く関係がなさそうです。むしろ北欧神話の「ユグドラシル」(世界樹・宇宙樹)へとつながってゆくのかもしれません、、、無知は巷に溢れていても「野に咲く名もない花」など無いってことのようです(^^;)

2009年4月27日

しばし天狗の気分になってみるもよし?!

冬時のような朝でした。富士山もまだ雪景色の白いまま、綺麗に見えていました。
4月11日に偵察しておいた「あしかがフラワーパーク」へと朝一番ででかけました。この前は、入場料600円でしたが、今日はMAXの1500円になっていました。ここの藤の花はもっと花房が長く垂れ下がるのかと思っていたのに、予想していたほどではありませんでしたが、概ね「見頃」という感じでした。朝10時くらいには、かなりの入場者となっていました。GW中は、もっともっと凄い人の数になるのかもしれません。
駅から「大小」という文字が書かれている山が見えていて、なんかダサくない?と思ってしまいましたが、低い山で歩きやすそうなので、混んできたフラワーパークを出て「大小山ハイキングコース」へと行ってみることにしました。標高は282メートル、古来から「大」天狗、「小」天狗が住む霊場と伝えられていたようです。すぐ隣に標高313メートルの妙義山があって、そこを経由して登ってきた場所へ戻れるようなので行ってみると、、、360度全周見渡せるという絶好の眺望!!でした。南には都内の高層ビルがにょきにょき見えてますし、反対側には男体山などの日光の山々、東側には筑波山、そしてたぶん雲がなければ富士山や榛名山なども見えるのかもしれません(^^)
妙義山の下山途中では、謎の石窟を発見!!しゃがみこんで歩けば入ってゆける大きさで、熊さんの冬眠に最適という感じでした。懐中電灯など持っていないので、デジカメのストロボを発光させながら数メートル奥まで入ってみました。思いがけない、ぷちジュール・ベルヌ風世界でした(笑)