私の羽織考 その壱
テーマ:着物今日のテーマは「羽織考」
タイトル通り、私的な羽織についての考察です。
中でも特に黒羽織について。
書き始めたら止まらなくって、随分長くなってしまったので、興味の無い方は読み飛ばし推奨で…(^▽^;)
最近、アンティーク着物流行の影響か、長羽織がひそやかに流行しています。
アンティーク着物に長羽織、っていかにも大正ロマンっぽくて、世間の着物女子が目をつけないハズはありませんもの
しかも暖かい
羽織を着ているのと着ていないのとでは、体感温度が全く違います。
羽織は防寒対策にも欠かせない、冬の味方
私も初詣
にはお気に入りの羽織を着て行きました
絵羽柄で地紋おこしの笹が描かれた黒地の長羽織です
羽裏は目の覚めるようなショッキングピンクに唐子。
こうやって写真に撮ると地紋の笹がハッキリ写りますねー
背中には祖母の家系の女紋である沢瀉(おもだか)が日向紋でクッキリと。
何だか前にも書いた気がしますが…
この羽織の図案は曾祖父母が考えて絵師さんに描いて頂いたものだとか。
将来、もっと大人になって金銭的にも余裕が出来たら、この図案を写して訪問着か帯でも誂えてみたいものです(*゚ー゚*)
ところで
アンティークの羽織にもこーゆう、黒地で一つ紋付って案外多いと思いませんか
昔、と言っても私の祖母の時代…
卒業式&入学式を始め、改まった式には紋付の黒羽織、が常識だったそうです。
例えば色無地に一つ紋付の黒絵羽羽織を重ねるなどなど…
今では卒業式や入学式で黒羽織が見られることは殆ど無くなってしまいました。
殆どの親御さんが、多分訪問着や付け下げ、色無地など…
羽織を着てはる方自体、そもそも殆どいらっしゃらないのではないでしょうか
「羽織を着る」=カジュアル、という最近のイメージのせいかも知れません。
そもそも、女物の羽織っていつ頃から始まったの
と、言うと、諸説あるものの、その歴史は案外浅いです。
元々戦国武将の着ていた陣羽織から派生した羽織ですから、江戸時代になっても女性が着用することは殆どありませんでした。
けれど寛文年間以降、裕福な町人達によってお洒落な男物羽織が全盛期に
そうなると、女性だって羽織が着たくなります…
丈の長い羽織は、暖かいしお洒落だし、とっても素敵です
そこで羽織を着始めた最初の女性は、江戸深川の芸者さん達だった、と言われています。
花柳界が流行の最前線だった時代ですからね
その時代のファッショニスタである芸者さんが着たことで、女物羽織が大流行
しかし当時の江戸幕府は幾度も禁令を出して女物羽織を禁止しています…
なので、女性が羽織を自由に着ることが出来るようになったのは、実は明治以降(><;)
羽織解禁ということで、明治大正・昭和初期と華やかな長羽織が流行。
最近の羽織はこの、膝下程もある長羽織が主流ですね~
でも、羽織と言うとやっぱりカジュアルなイメージ
確かに、現代の私の感覚でも、絞りや小紋柄の羽織を訪問着などの礼装に合わせるのは、何だか変な感じ
それはやっぱり、女物羽織が正式には認められなかった長い歴史のせいかも、知れません。
前述した「紋付黒羽織」はその例外。
だって、どんな着物も紋付黒羽織を着れば礼装にもおっけー、ってキマリは物凄く便利ですもん
元々は戦後の、まだモノがそれほど十分ではない時代に考え出された知恵だったのかも知れません。
でも唯の黒無地羽織じゃぁ可愛くない
着物を誂える余裕が出来だすと、黒無地では満足出来なくなった筈…
そこで、凝った絵羽柄の羽織を作ることにしました
ってことじゃぁないかなぁ、と私は思います。
長くなったのでまた次回っ
次は黒羽織のコーディネートについて考えてみようと思います(*^▽^*)
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