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<2009.5.3>

亀岡光秀祭り・武者行列

明智光秀

熙子

春日局

玉子(後の細川ガラシャ)

倫子
 第37回亀岡光秀まつりが5月3日にあり、亀岡の城下町を優雅に武者行列が行進しました。
 天正3年に丹波平定のため亀岡に入り、天正7年に亀山城と城下町をつくり、現在の亀岡の町の基礎を築いた戦国武将・明智光秀を偲び讃える亀岡の二大祭りの一つです。
 武者行列には明智光秀ゆかりの武将や姫方が馬や輿に乗り、鉄砲隊や槍の部隊、手作り甲冑隊などが行進しました。
 特に注目なのは女性陣で、光秀の妻・熙子や長女・倫子、三女・玉子(ガラシャ)、春日局が色あでやかで新緑に輝いていました。

 ところで、ガラシャはわかるのですが、「春日局」はなぜいるのでしょうか。春日局は徳川3代将軍家光の乳母で、江戸城「大奥」をつくった女性ですが、実は亀岡に住んでいたのです。
 本名は『斉藤 福 』、美濃稲葉山城城主であった斉藤道三の家系と思われる斉藤利三の子です。光秀が丹波を平定したときに家臣である斉藤利三が亀山につれてきたと思われます。(斉藤利三も武者行列していました)
 しかし光秀は天正10年6月2日本能寺にて君主織田信長を討った後、天王山で豊臣秀吉に敗れたため、福も亀山城を逃げ出し、やがて京の公家屋敷に入り、その後江戸城に入りました。ですから、亀岡にいたのは天正10年までの数年間の幼少の頃のことだったと思われます。
 亀山城跡の東の通りを春日坂といいますが、この春日局から名が付いたのではなく、城内にあった春日社の祠がこの辺りにあったことから名が付いています。春日社は今は京町の天満神社の横に移っています。

 来年、亀山城築城400年を迎えますが、これは明智光秀が亀山城を造った後、徳川幕府になって、天下普請で藤堂高虎が5層の天守閣を造った慶長15年(1610)から数えて400年ということです。
 

<催し情報>

オープンガーデン
日時:5月23日(土)から24日(日)
場所:ガレリアかめおか
☆オープンガーデンツアー参加希望者は同実行委員会090-4303-2622



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