2007年4月からスタートした神山健治監督の最新作『精霊の守り人』。非常にスキのない緻密なドラマづくりで、40年以上TVアニメを観てる筆者も息をのむような作品だ。ほとんど綻びや作り手の強引な作為を見せない重厚さを備えているのがその魅力だが、それだけに妙に細かいところがものすごく気になる。それが第1話で主人公バルサが来訪目的を語るセリフ中の「メンテナンス」という単語だ。
日本の田舎にも中国大陸のどこかにも見える風景。槍使いの用心棒がいる世界だから、少なくともカタカナの外来語が流布している世界観ではないことが、最初の数分で伝わってくる。なのに「メンテナンス」……? しかも、これは決して聞き逃していいような言葉ではない。かなり重要な伏線になっている。なにしろここで彼女が槍のメンテナンスをするかしないかが、後々に何度となくドラマの急所になっていくのだから。
時代劇小説を読むときも、こうした外来語がポロリと出たとたん、戦国時代や江戸時代に飛んでいた心が現実に帰って寒々とすることがある。このレベルのスタッフが、そうしたリアリティの阻害に無頓着なわけがない。だとしたら、なぜなんだ?
そう思って同じシーンをもう一度再生すると、驚くべきことが発覚する。行きずりの通行人がバルサの「メンテナンス」という言葉を聞いたとたん、「何を言ってるんだ?」という顔をするのだ。そう……バルサはこの物語の中でも異国人的な扱い。地元の人間に分からない言葉を使ったという演出なのだ。しまった! メンテナンスという言葉が伝えた違和感とは、この通行人の抱いたものだったのか。
すべてが「絵空事」のアニメとは、ディテールの積みかさねであらゆる感覚を構築していく。重箱の隅を見つめることで、こうした驚きを得られることもあるってコト。それに値する作品に出会えた瞬間こそが、いちばん嬉しいときなのだ。
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