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通常のTVアニメは正味20数分。しかし、1分間で勝負するTVアニメも実在する。わずか60秒=1440コマに凝縮されたとき、「アニメの素片=コマ」とはどれくらい重要なものになるのか? 1/24秒のこだわりをチェック!
去る12月7日、東京の蒲田にある日本工学院でNHKアニメ『アニ*クリ15』の上映会&トークショーが開催された。「TV欄に掲載されないTVアニメ」としてずっと話題になっていた作品だ。NHKの放送枠における番組と番組の「隙間」で突然流れ出す1分間の短編アニメーション。不意打ちのように流れ始めるのでなかなかエアチェックもできないのだが、「アニクリ」とは「アニメクリエイター」の略で、日本を代表する作家ばかりで見逃せない。選りすぐりの15名分、どうやったら全話見られるのか悩んでいたのだが、第3シーズン5話が完成した記念に、なんと15本全部上映されてしまったのだ。こりゃラッキー。 全話流しても、わずか15分というところがなかなか笑える。しかも、60秒しかない時間をどう展開して何を伝えるのか、これが作家によってかなり違うので、非常に興味深く拝見した。 TVアニメのオープニングも80秒、90秒の世界だが、あくまでも作品の導入という従属物で、本編という「伝えるべきもの」が先行しているだけに考えやすい。ところが「アニクリ」は完全オリジナルでお題とキャラと舞台と物語、まるごと考え出さなければならない。しかも、いきなり映像が公共物としての、老若男女問わず目に飛び込んでくるという状況なのだ。そんなとき、わずか60秒でいったい何をどう見せて伝えるのか。これはある意味では、「自主アニメ」よりも厳しい課題だと思った。 参加している監督たちは、押井守、新海誠をはじめとしてスキルが高いゆえ、そんな難易度はおくびにも見せずクリアしている。だが、この「短い尺」をどこまで突き詰めて考えているかは、かなり人によって差があり、そこに個性を感じた。 トークに来られたのは、『巌窟王』の前田真宏監督と『パプリカ』の今 敏監督。前田監督の作品は『おんみつ姫』という題名で、伊福部昭のクラシック音楽に乗せて「姫」が爆走して敵をやっつけるという、80年代テイストの勢い重視爆笑アニメ。今 敏監督は『オハヨウ』という題名で、あるOLが目覚めるまでの様子を「エコー」という影分身のようなものを残しながら描く。室内の小物の様子が圧巻で、まるで『パーフェクトブルー2007』かという濃密さだ。 作品はいずれ目にされることもあろうから子細は省くとして、対談内でもこの「短い時間の使い方」が話題になっていた。アニメーションの「時間芸術」としての側面がしばしば軽視されがちではないかと、筆者は常々思っているのだが、やはりアニメーションは1コマに始まり1コマに終わると確信を得た。 「60秒=1440コマ」という時間を大きな流れを想像させる1片として提示するのか、それとももっと長い時間を映画のテクニックを駆使して駆使して圧縮するのか。そういうレベルの話題が興味深い。そしてそれは、最終的には「コマの問題」へ集約されていく。 『おんみつ姫』は60秒なのになんと47カットもあるということで、場内大爆笑。通常のTVアニメーションの演出では1カットの基本は3.0秒で、最小単位はその半分の1+12Kから1+18K程度とされている。「K」は「コマ」の意味で1秒=24コマだから、1.5〜1.7秒くらいとらないと意味不明のカットが出るということだ。もちろんこれは原則だからもっと短いカットがあってもいいのだが、60を47で割れば平均値は1.5秒を大幅に割り込む。事実、場内に映し出された絵コンテには「0+6K」(6コマ)とかあり得ない数字が記載されていた。 通常のTVアニメでは「3コマ打ち」が使われる。同じ絵を3コマずつ撮影するという意味で、撮影シートに動画指示の点を打つのでこう呼ばれる。「3コマ落ち」というインタビュー原稿もよく見かけるが、あれは「素人さん」の大間違いである。ロボットのように「重いもの」を動かすときなどには「6コマ打ち」が使われたりする。その動きの最小単位と同じ時間で「動くカット」が指定されているのだ。おそらく「1コマ打ち」で。 6コマとは4分の1秒でもある。つまり250ミリセカンドに相当する。筆者は電話機の開発経験があるが、ランプの点滅やトーンのインターバルを設計するときに「人間が認識できるのは200ミリセカンドぐらいからだから、それより短いインターバルにするな」と教わった。25年くらい前の話だから間違いがあるかもしれないが、人間の認識限界に近づいてるわけだ。 『おんみつ姫』ではその上さらに前田真宏監督自ら全原画を描いたというから驚きは倍加する。パラパラ漫画を教科書の隅に描いていた「落書き小僧」の原点に戻りたいという思いもそこにあったという。ともかく運良く録画できたら、コマ送りでご覧になってほしい。人の認識の限界がどの辺にあるのか、一度確かめてはどうだろうか。 かたや今 敏監督の『オハヨウ』だが、これはさすがに落ち着いた演技の作画の積み重ねで日常芝居を成立させている。今回のこだわりは「2コマ打ちの芝居」だったそうだ。初期のディズニーや東映動画(現:東映アニメーション)の長編映画では、人間の芝居は「2コマ打ち」が基本で、早い部分のみ1コマ打ち。これがフルアニメーションの流儀である。ところが国産TVシリーズアニメ以後、劇場アニメでも「3コマ打ち」で芝居するのが基本となった。 それを「2コマ打ち」にしたら何が起きたか。実は演技と演技の「間」に相当する「止め」のところが「ビキッ!」と凍りつくように見えて困ったそうだ。「3コマ打ち」であれば何の問題もなく「すっ」と止まって間をとって、また「すっ」と動く。2コマで「止め」を自然に表現するためには、動きの止め近くだけ3コマ打ちにするなど、微妙な工夫が必要だったという。 実は90年代後半、TVアニメのデジタル化がスタートしたときに、似たような問題が発生している。それまで存在していたフィルムの粒子荒れやパーフォレーション(送り穴)のガタつきが、デジタル制作では原理的にあり得ない。フィルムのときと同じように演技の「間」を作ると、本当に「ビキッ!」と凍りつくので、「止まった」というよりは「異常が起きた」と認識されてしまったという。 これはその後技術的にはクリアされているが、2コマで流れる時間のタイミングと、3コマで流れる時間のタイミング、そして「静止系」との相関関係はまるで違うという話は非常に興味深かった。 こうしたコマ単位のせめぎあいの議論は、本当は「重箱の隅」に見えて、そうではない。「われわれはアニメに何を見ているのか」「いったい何を面白いと思っているのか」という、なかなか答えの出ない根源的課題にリンクしているからだ。それが浮かび上がっただけでも『アニクリ15』の「1分仕切り」という課題は興味深い成果を上げたと思う。ぜひまた続けてほしい。そして読者のみなさんも、こうした「コマとコマの断層」には何が内在しているのか、時にそんな「アニメの深淵」に思いを向けてみてはいかがだろうか。 ■アニ*クリ15(Flash Player 8以上) http://www.nhk.or.jp/ani-kuri/