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 アニメを語るときには、「目に見えないもの」をどう理解するかが重要だ。その最たるものが「空気」ではないだろうか。「空気読め」が流行語になった近年、本当にアニメの空気は読まれているのだろうか?

氷川竜介のアニメ重箱の隅
アニメ好きの真骨頂、画面の隅々まで観察するこのコラム。隅ってそもそもなんだ? 隅を超えたアニメ表現とは何なのか?
第21回 空気を読むCGアニメ『WALL・E/ウォーリー』  -2009.02.25

 3DCG(以下CGまた3Dと略)技術による長編アニメのトップランナーはピクサー。その最新作は、日本では正月映画として公開された『WALL・E/ウォーリー』。
 工業用ロボットのウォーリーがゴミまみれになった地球にただ1人取り残されて孤独でオタク的な自意識を獲得。そして空から降りてきた天使みたいな美少女ロボ・イブに恋するという物語運びだ。これは「世界一分かりやすいツンデレ」だなと思った。イブの顔に相当するのは非常にシンプルな蛍光表示管だが、それが「目」に見えてきて、いまがツンなのかデレなのか観客が容易に了解できるという、意外な面白さがあった。

 物語は総じて感動的ではあるものの、中盤で宇宙に出てからは、盛り上がった気持ちがなんだか急に失速するような感覚も覚えた。その原因のひとつは、前半の汚れきった地球の光景と、宇宙船内部の妙にクリーンでツヤツヤな感触の落差にあるのではないか。今回はそういう話をしてみよう。

 『ウォーリー』という作品は、予告編のゴミまみれの地球を見たときに、「ついにここに来たのか!」と感じいった。それは日本製アニメにもおおいに関係することなのだ。

 まず最初に注目すべきは「質感」の問題である。どれぐらいの人が気づいているか分からないが、前からピクサーが大きな新作を発表するたびに、「CGアニメとしての技術的課題」を明らかに設定しているのが気になっていた。特に「質感」はかなり大きな開発テーマとされていて、主人公の属性や物語自体の核にもなっている。

 ピクサー長編の最初期は、質感がうまく表現できなくても人工物だからと許される「人形」が主人公の『トイ・ストーリー』から出発している。そして『バグズ・ライフ』では硬質な昆虫の質感、『モンスターズ・インク』では動物的な毛皮の質感と、表面の質感がいつも問題にされていった。いきなり毛の生えた動物そのものでトライしない慎重さがピクサーらしく、段階的な技術開発を行った経験のある筆者は共感する。
 さらに『ファインディング・ニモ』では魚のウロコの質感、そして『カーズ』では写り込みの多いワックスでツヤツヤになった自動車の金属的質感という次第だ。もちろん『ウォーリー』でも同様で、サビや汚れの質感が今回の挑戦テーマなのだろう。
 
 なぜこうしたチャレンジをし続けているのか? もちろんそれはピクサー社内の技術蓄積もあるが、ここまで明確な理由はある日、あっさり明らかになった。
「そうした開発テーマを投資家に提示して資金を集め、実現したら映画興業でお金に換えて投資家に還元するためだよ」
 という意見を聞いたのだ。これは目からウロコだった。

 メモリやハードディスクが年々安くなって高密度になっていくのは、集積密度という開発テーマ設定と達成が、ある種の「収穫物」の相場と同じ作用をするためである。IT産業はそうした投資のメカニズムで活況となった時期を経ているわけだが、そのIT技術の成果に位置づけられるCGの世界でも、まったく同じビジネスのからくりがあったわけだ。アメリカの映画界でCGの方に一挙に急傾斜した秘密の一端が、ここにかいま見えた。こういう技術開発とビジネスが一貫となるカラクリは、日本の作り手も受け手ももっと研究して意識したほうが良さそうだ。

 さて、先に述べた「質感」はキャラの問題であるが、『ファインディング・ニモ』以後はそれ以外にも大きなテーマが「背景」の方にも出てきたように思える。それは「空気」の表現だ。

 ニモの大半は「水中」を舞台に物語が進行するが、キャラが透明な媒体に充たされた空間の中で演技するという点では、空気も水中も共通性がある。これもいきなり「空気」だと失敗するから「水中」というプレ段階を置いたのかもしれない。

 そもそもなぜ物体が目に見えるのか? それは物体にあたって反射した光が目に届くから成立することだ。ということは、途中に介在する水なり空気なりの性質に大きく左右される。つまり人間は網膜に投影される光の加減で、実は途中にある空気の存在も感知しているということになる。

 この考え方が正しいのは「空気遠近法」という技法が確立していることからも裏付けられる。たとえば同じ色のコンクリートのビルがあったとして、眼前5メートルのところにあるビルと、遠方500メートルのところにあるビルでは、遠くの方が彩度とコントラストは薄く、空と同じ色味を加えたように見える。手描きの2Dアニメの背景もこの理屈で描かれているし、特撮ステージでも空気をミニチュア化するという考えでフォグメーカーという霧を発生させる装置で遠くをかすませる。

 『カーズ』ではテキサス州あたりの赤道に近いピーカンの天候下で、この空気遠近法を多用して見事に奥行きのある映像を実現していた。空気を感じると言ってもいい。ただし、これは2Dアニメや特撮に近い方法でも可能なことだ。実際、いまの日本の2Dアニメはデジタル撮影の進歩で「フレア」と呼ばれる処理を加えることが多いが、これは空気によって拡散する光を2Dフィルタで重ねることで実現している。3Dでも、遠景・中景・近景などいくつかの層に分けてそれぞれ彩度やコントラストを2D的に調整することで、途中の空気感を表現できるということだ。

 ところが『ウォーリー』における「空気=光の拡散」の表現は、明らかにその先を行っていた。だから予告編で驚いた。ここまでは簡易的に「空気によって光が拡散する」と言ってきたが、これは厳密には違う。チンダル現象と呼ばれるメカニズムで、大気中に分散する粒子(水蒸気や塵埃)が光を散乱するものである。

 と、こう説明すればお分かりだと思うが、「ゴミだらけの地球」とは筆者が思うに、このチンダル現象による光の拡散を技術開発するために設定された舞台なのだ。では、次の疑問は、なぜそれがCGでは技術課題になり得るのか、ということだ。

 コンピュータが演算で映像を出力するなら手描きと違って簡単のはずと思ってる方が多いが、それは違う。コンピュータだろうと手だろうと、必要なものを描けば処理が必要となる。だから、この「ゴミだらけの空気」を描こうとしたら、空中に舞っている粒子の1つずつをモデリングして3D演算処理して1コマずつ描画しなければいけないことになる。それだけの手間をかけてもキャラクターより目立ってはいけないという、非常にコスト・パフォーマンスが悪い課題でもある。

 だが、『ウォーリー』ではそれをやってのけた。ゴミが舞い散り、それに反射する光としての空気感をしっかりと描いている。この空気感とは、日本の2Dアニメが情緒感を研ぎ澄ませるために、撮影表現で厚みをつけているものだが、それに真っ向勝負じゃないか……と、背中に冷や汗をかいた。

 という次第なので、逆に宇宙空間に出て「ゴミによる空気表現」がなくなって、ツルツルの映像が支配的になった瞬間、筆者は「なあんだ」と拍子抜けしてしまった。「そうか、さすがのピクサーでも全編通じてあれを3Dで演算し続けるのはムリなんだ」と、そんなことを頭脳の片隅でちょっぴり考えてしまった。後で聞けば、「宇宙に出た瞬間、緊張がとぎれて寝てしまった」という感想を語る友人・知人が何人かいた。おそらくそれまでキャラの背後で見えていた空気を脳が処理していたため、その疲労がどっと出たのではないか。物語的なテンションは、こうしたことでも容易に下がってしまうから恐ろしい。

 ということで、映像における「空気感」も目に見えない「重箱の隅」かもしれないが、いかに大事なのか、推察していただけるだろうか? 日本のアニメの作り手も、この空気感の有無は非常に大切にしている。そんな風に「空気を読む」ことも、アニメの楽しみ方のひとつなのである。

 
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