COLUMN
アニメをアニメとして成立させるものは「人工物の見え方のコントロール」である。ゆえに、その特性はハードに大きく左右される。Blu-ray時代になって、その事情はどう変わっていくのだろうか?
アニメもすでにBlu-ray disc時代へ突入。長年にわたって高画質に投資し続けてきた自分にとっては、いよいよファイナルラップという感慨がある。これだけの高画質が手軽に入手できて、しかも手近なノートPCで再生可能となったのも、急発展したデジタル技術の恩恵である。まったくもって、ありがたい。 しかし一方で浮上してくるのが、「Blu-rayになれば、何でもかんでも美しく見えるのか?」という素朴な疑問だ。なぜならば、Blu-rayはHD(ハイデフ=高解像度)を前提にした技術だが、DVD以前の画質はSD(標準画質)が基本だからだ。つまりコンテンツがHDに値するかどうか……それを見極めるために、「作品のマスター(マザー)素材は何で記録されているのか?」という知識が重要になってくる。 ところが、これはなかなかの難問でもある。「モノクロ/カラー」と違って、原版が16mmフィルムか35mmフィルムか、それともビデオなのか、ビデオならフォーマットは何かなど、仕様はおおむね公表されていない。音声のフォーマットにしても「モノラル/ステレオ/5.1ch」の差は気にされるが、素材として光学か磁気かという音質に関わる記録媒体の差は、あまり気にされない。つまり、品質を語るべき的確な知識はまだまだ一般化されてないというのが実情ではないか。 何が素材か、画質はどうかというハード的なクオリティの差は、実はアニメーションを楽しむうえでの本質に関わることだと、個人的には考えている。なぜならば、手描きの絵、人形、砂、CGなどなど、ともかく「人工物」をコマ単位で置き換え、映像の中にしか存在しえない「生命感」を生み出すのがアニメーションの根幹なのだから。 そこが実物、つまり「生モノ」ありきの実写と大きく違う。実写ならば「生モノにどう近づくか」が、画質の良し悪しのひとつの指標となり得る。だが、ハードとソフトが連携して「ひとつのもの」として作動するアニメで、それでいいのかという問題が出る。 その人工物がどのような状態でマスター(マザー)のメディアにどんな特性で記録され、どういう経路と調整でメディアにトランスファーされて、再生装置を経て観客に届くのか……そうしたハードウェア的な条件が、ソフトウェアとしてのアニメの鑑賞特性に直結するわけだ。 先ほどから「マスター(マザー)」とカッコ付きで書いているのも、昨今流行の「リマスター」という概念が一般化したからである。たとえばフィルム制作の場合、セル画を直接撮影したものが「マザー」になる。これを編集して完パケ(完全パッケージ)にしたものも「マザー」ないし「マスター」と呼ばれる。だが、昨今言われる「リマスター」とはこのフィルムのマスターからテレシネというビデオ化ないしスキャンニング工程を経て、DVDやBlu-rayなどビデオグラム制作用のデジタルマスターへトランスファーする行為を指す。 少なくともレーザーディスクの時代までは、このマザーの品質が必ずビデオグラムのマスターより上回っていた。たとえ16mm作品であっても、フィルムに記録された情報量はビデオのSD画質よりも圧倒的に多いからだ。それが怪しくなってきたのがデジタルリマスターを前提にしたDVD時代以後である。 たとえばフィルムに起きた褪色や傷などの経年劣化、スプライスなどのノイズをデジタルで補正し、消去することが可能になった。また、光学的に行われていたテレシネ作業を、デジタルスキャンに置き換えることで、ネガフィルムに記録されながらもポジを作成するときに劣化する情報(色彩や階調)さえも、再現可能となってきた。 そしてBlu-ray時代では、さらに高解像度となり色や階調の特性も良くなり、また画像補正技術も格段に進歩した。フィルムと遜色ないか、どうかするとフィルム鑑賞以上の再現性が得られるようになってしまったわけだ。 ここである種の逆転現象が起きる。原版(マザー)の記録がフィルムの場合、その状態の差が明らかになったということだ。今まではSD画質のスペック幅に落としていたため、結果的に情報が欠落し、さまざまな「ノイズ=アラ」も見えてこなかった。それが改めて品質向上した土台の上で、よく見えるようになったということである。 まさにそれは「重箱の隅」的なもの。だが、それに関する知識は鑑賞上、必要なものでもある。ではそれをどう考えていけば良いのか。それはまた次回、改めて語ってみたいと思う。