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Blu-ray Discは作品の「マザー」に記録された情報がフルパワーで引き出せるようになった。そうすると過去のメディアでは見えなかったものまで見えてくる。そのときユーザーはどう考えるべきか。楽しむ前提となる知識が重要な時代に入ったのではないか。

氷川竜介のアニメ重箱の隅
アニメ好きの真骨頂、画面の隅々まで観察するこのコラム。隅ってそもそもなんだ? 
隅を超えたアニメ表現とは何なのか?
第23回 セルと背景の違いまであらわに見せるBlu-ray  -2009.04.25

 前回の続きである。
 マスターとマザーという用語には差がある。マスターは「主人」マザーは「母親」。意味が違うから、当然と言えば当然だ。以下、主に制作会社が保存するネガフィルムやビデオ、ハードディスクなど(子どもを生むことが可能な)原版を「マザー」と呼び、そこからビデオグラム製品などに転用するために起こしたものを「マスター」と呼んで区別することにする。

 マザーがビデオやハードディスクの場合、すでに電子的な特性に追い込まれているため、ここではあまり問題にしない。話題にしたいのは、フィルムをマザーとする時代のセルアニメ作品、そのBlu-ray時代における再生特性である。

 現在主流のデジタル制作によるアニメとセル時代との最大の違いは、「セルと背景」という被写体が実在することだ。この「セル画」は、実に味わい深い素材であった。印刷でも表紙など透明のビニールコーティングをかけると発色が良くなり、きれいに見えることが知られている。セルアニメの場合、すべてのコマがその種のツヤと発色の良さとを持つ。しかも大半はキャラクターが描かれているから人気俳優の写真を手にしたものと同等でもあり、適切な背景が加われば場面写真とも等価であった。そうした理由から、かつてはセル画に異常と思えるほどのプレミアがついたりしたわけである。

 そうした経緯をふまえているので、ハイビジョンマスターの技術が確立して、どのコマもセル画と同等の映像が家庭で再生可能となったのを見たとき、“これは「カット袋全部」がコンパクトにパッキングされて手に入ったも同然、ファンのある種の理想がかなえられたのだ”と、大喜びしてしまったわけである。特にネガフィルム原版から「マザーの被写体」であるセルと背景の情報が精密に引き出し可能となったことは、考古学的にも非常に喜ばしいことである。

 ところが、ここにひとつ大きな落とし穴がある。それはBlu-ray Discを再生する上でユーザーが心すべき部分でもある。
 つまり、その「セルと背景を直接見ている」という状態は、スタッフが本当にねらった色味や階調なのだろうか……という疑問だ。この疑問を理解する前提として、色彩が媒体から媒体へのトランスファーに際していかに変化しやすいものか、理解する必要がある。筆者はセル画へ自分でライティングして銀塩写真で撮影した経験があるから、よけいに身にしみて分かるのだが、本当にちょっとしたことで色は「転ぶ」。それは「他の色に変質してしまう」ことを指す。ネガフィルムからポジフィルムに焼くか、紙焼きするか、ちょっとしたことで色は転ぶのだ。

 この事情は、放送用でも本質はそう変わらない。16mmフィルムに撮影した時点で微妙な露出やライトの色温度の差で色は「転ぶ」し、ネガ像をプリントに焼けばさらに「転ぶ」。実際、現像所には「タイミング」という職種があり、監督の立ち会いのもと1カットずつプリントの焼きを調整している。それほど色は転びやすいものなので、転ばないようプロのワザの緊密な連携があるという言い方の方が正確だろうか。

 そうやって色味を追い込んだフィルムをテレシネしてビデオにトランスファーすると、また転ぶ。さらにブラウン管に映しても、録画テープに記録しても媒体の特性次第で色は転ぶ。それほどまでに色の再現はデリケートなものだ。概して彩度・明度は少し沈み気味となり、薄いピンク系や薄い緑系は抜けてしまう。だからアニメのセル画上の彩度の高い「鮮やかな色」は、実はそのフィルム上での「抜け分(劣化)」を考慮して、やや派手気味に設計されていることの現れなのだった。

 ところがデジタルのリマスター技術は、なんとこの劣化成分まで補正して、セル絵の具の色味を完全再現できるようになった。結果として、被写体としてのセルや背景が持っていたニュアンスまでもが再現できるようになったというわけだ。
 となると恐ろしいことに、たとえばセルに塗られた黒色と背景に塗られた黒色とが違った状態で見えてくるようなことが発生する。セルはツヤのある真っ黒に見えるが、背景の黒は画用紙に塗られた時点で若干レベルが浮いて見える。紙の上に塩化ビニールの薄いキャラが乗っかっているという、組み合わせの仕掛けまでもがはっきりと分かる。階調表現が向上したために、セルと背景の間にうっすらと落ちていた「セル影」までもが完全再生されるようになり、人工物を見ている感じの再現度までもが、かなり強くなってしまったのだ。

 本来アニメのクリエイションとは、そうした人工的に見える要素を何とかして排除しつつ、「錯覚」ベースで観客をだまくらかして作中に引きずりこむことで成立するわけだから、見えすぎは微妙だ。では、リマスター時にそうした浮いて見える部分を潰してしまえばいいかと言うと、これも微妙に感じる。確かに海外のアニメーション映画では、リマスター時にセル傷、ホコリ、セル影などをすべて消し、撮影ミスまで修正しているようだ。だが、それはそれで「デジタル贋作」になってしまう危険性があるのではないか。

 こうした悩みは高画質過ぎるがゆえのもので、ある意味ぜいたくだなとも思う。やはり当面は、ユーザー側が意識を高めて再生環境で調整していくしかないと思う。商品としては従来どおりマザーにある情報は最大もらさずマスターに収録していただき、どこまで見えるかはレベル補正などモニタ調整でユーザー側が追い込むという図式が好ましいだろう。

 では、正しい見え方に調整するためにどんな知識や鑑識眼が必要なのか。今の時代、もし最大限に記録情報を楽しもうとすれば、そこまでファンに要求しているということなのだと思う。その結果、自分なりの極上の調整ができれば、それはそれで美しいアニメの楽しみ方がまたひとつ増えるのではないだろうか。

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※次回第24回は5月25日更新予定!

 
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