訳)
元々、新羅と百済は高句麗の属国だった。
しかし日本が391年に海を渡り、百済と新羅を属国にしてしまった。
そこで広開土王は396年に百済を攻めた。
百済は敗北した。
百済王は広開土王に朝貢し、服属した。
しかし399年に百済は日本に通じた。
怒った広開土王は再び、百済を攻めた。
…「399年に百済は日本に通じた」とは、どういう意味でしょうか?
その答えが『三国史記』に載っています。
■『三国史記』の記述
訳)
百済王は397年に日本に王子を人質として送った。
新羅王も400年頃に日本に人質を送った。
…広開土王碑と三国史記に同じ事が書かれています。
このような事はとても珍しい事です。
古代史において、これは「確定した歴史」と言って良いのです。
399年と397年の違いはありますが、古代史でたった2年の違いは無視されます。
三国史記は1145年に書かれた本なので、三国史記が間違っていると考えられます。
更に1883年に日本軍は広開土王碑を改竄した…という妄想を韓国人は信じています。
その2年前の1881年に作られた拓本を中国人学者が発見しました。
1883年の日本軍の拓本と完全に一致しました。
改竄の可能性は完全に無くなりました。
百済と新羅は日本の属国だったのです。
また『三国史記』には新羅の4世の王は日本人と書いてあります。
更に!
■済州島の建国神話(高麗史57巻)
訳)
木の箱が済州島に流れ着いた。
済州島民が木の箱を開けた。
中から石の箱が出てきた。
石の箱を開けた。
中から三人の女が現れた。
三人の女はこう言った。
「私達は日本国の使者です」
「日本の王(つまり天皇)は、私達の親です」
「日本の王は、“済州島に国を作りたい”と言っています」
「私達の家臣になり、私達に仕える事を命令します」
これが高麗に侵略される以前の済州島(耽羅国)の建国神話です。
済州島(耽羅国)も日本が作った国でした!
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1811262
アイゴーコピペも大変ニダ。
しかし!http://blog.livedoor.jp/sawarabiblog/archives/50144501.htmlhttp://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1145011558/
この記事にトラックバックする: |
enjoykorea@s241.xrea.com