選挙が終わったけれど、別段感慨もなく、自分は自分でマイペースで生きていくしかないという感じ。市長選の方は演説も聴いていたし、かならずこの人に投票しようという気持ちがあったけれど、市議選の方は消極的な理由。ほんの足先だけつっ込んでいたという感じでしょうか。
だいたいポスターと選挙カーだけで何がわかるというのでしょうか(もちろんポスターや選挙カーは大切ですし、それに費やす労力は大変なものです。)。だから特別この人にということがなければ、地元の候補に入れるのが普通だと思います。だいいち、市民の人は候補者の顔も見たことがないという人が多いのですから。
私は地域の仕事をしていますし、子どもの読書活動推進の関係の会議や、福祉関係の集会で、議員の方や立候補された方と同席させていただいたこともあるので、普通のサラリーマンの方より選挙を身近に感じているのではないかと思います。けれども、人というものは一緒に仕事をしたり話をしたり、そういうことでもなければ本当にはよくわからないものです。だから選挙活動だけで選べということ自体がどだい無理です。普通のサラリーマンは仕事一筋で地域のことには無関心ということが多いし、個人経営の人達は問題意識は強くても時間とお金がないのです。だから行政のことに通じたお金と時間のある公務員が立候補するしかないのですが、恵まれ過ぎていて危機感がない人が多いように思います。三者三様、恵まれた点も欠点もお互い補い合ってうまくやっていけないでしょうか。
|
ブログ気持玉
クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ