先日、菊川の常葉美術館まで行って「水木しげるの妖怪道五十三次展」を見てきました。常葉美術館は今までに曾宮一念展、アンドリュー・ワイエス展など何回か行っていますがバスと電車で行ったのは初めてでした。JR菊川駅から徒歩15分と書いてあったので坂道も上がらないといけないし大変かなと思ったのですが、歩いてみたらあっという間でした(ただし坂道だけはちょっと急だし大変かな)。ただし往復4時間、お金も2000円くらいかかりました。 http://www.tokoha.net/museum/ ←常葉美術館 http://magnoria.at.webry.info/200811/article_11.html ←渡辺崋山と弟子たち展 http://magnoria.at.webry.info/200705/article_66.html ←常葉美術館・曾宮一念展 〜5/29(火) http://magnoria.at.webry.info/200611/article_41.html ←「アンドリュー・ワイエス水彩・素描展」 この展覧会は、水木しげるが歌川広重の「東海道五十三次」の旅風景を妖怪達が旅したらどうなるかなという思いから作ったのだそうです。日本全国各地の様々な妖怪が書き込まれていましたが、その妖怪を見ていて、科学がなかった昔日本人は通常では理解できないような自然現象・怪異現象・精神や身体の病気などを説明するためにこのような妖怪を必要としたのだろうなあと思いました。だからそれはヨーロッパの妖精とかギリシャ神話とかそういうものと何ら違いはないのであって、妖怪も神も同じなのだと思います。キリスト教や仏教の教義が入ってくる以前はもちろん、つい最近まで田舎ではこういう妖怪はずっと生き延びていたのだと思います。 私は幼稚園にあがる前まで大きなボロボロの屋敷に住んでいました。ほとんど記憶はないけれど、雨が降ると雨漏りがして洗面器で雨を受けていたり、暗い土間に置いた五衛門風呂に入っていた記憶があります。小学生くらいまではお蔵があって時々その中に入ってみたり、近くに住む叔母の家も土間があって夜トイレに行くのが恐かった記憶があります。 展示の最後にゲゲゲの鬼太郎の誕生のシーンが紹介されていましたが、この子は呪われた子だからとお墓に捨ててしまったのを、鬼太郎が目玉おやじに「私たちの種族を滅ぼしてはならぬ」と言われて必死に親のもとに辿り着いて拾われるシーンに少し衝撃を受けました。私もたぶん同じ種族だと思うのですが、何度も死にかけて水木しげるさんが片腕を失ったように体にいくつか傷あとがあります。 http://magnoria.at.webry.info/200707/article_96.html ←レオノーラ・キャリントン http://magnoria.at.webry.info/200708/article_70.html ←ふたたび、レオノーラ・キャリントンについて http://magnoria.at.webry.info/200708/article_87.html ←幽霊をひきつけるタイプ そして鬼太郎も片目だったのだなあと改めて思ったのでした。 http://lotussutra.exblog.jp/10471219/ ←髻中宝珠の八葉蓮華 http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-7951.html ←左側のない男 |
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