母に対しては私はやはり複雑な感情をずっと抱えて生きてきたけれど、でもだんだん母を許すことができるようになったし、母に対して感謝もできるようになったと思う。昨日ゆっくりお風呂に入りながらふと思ったのは、私の文学の才能や芸術的なセンスはやはり母なくしては生まれなかったということ。私は母が家にいてくれなければ、落ち着いて好きな本を読むことも、絵を描くことも、花や動物を愛することもできなかったと思う。母は一切勉強しなさいということもなく、あれをしなさいと言うこともなく、私が読みたい本を自由に選ばせて買ってくれた。私が工芸に関して興味を持っているのも母がいつも手作りの物を作って着せてくれたし、母と買い物に行った時に一緒に見ていたからだと思う。幼い頃から畑で働いていた母を見ていたから農業に対しても汚い仕事というイメージはない。父はやはり大学を出て先生をしていたのでヘンなプライドがあるけれども、私は高校に入学した当時には自分が大学に行けるなんて思っていなかったくらいで、母のように専業主婦になることが当然だと思って生きていた。キャリアウーマンなどもともと関心がない。何の因果か男ばかりの世界で必死で生きているうちに、男女共同参画の必要性に自然と気づいたということなのです。父が働いてくれていたから私は家を出て大学に行って社会人になることもできたし、社会に出てからはその形式だけの学歴と曾祖父や母から受け継いだものが私を守ってくれたのだと思います。そのことに気づけたのはやはり進歩だなと思いました。
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