親戚のおばあさんの出棺を見送りに行ってきました。お通夜・告別式・精進落とし等は母が行ってくれているので私は行く必要はないのですが、やはり生前少しでもお話したことがあった方ですし、御家族の気持ちを思うとお見送りはしなければという気持ちになりました。
先日の親戚のおばあさんの時もお見送りだけはと思ったのですが、仕事で行けませんでした。その前日にせめて精進落としの会場を綺麗にしておこうと思って、公会堂に少しだけ立ち寄るつもりが、ちょうど雨が降って雨宿りしながら1時間くらい掃除をしました。その日は天気が良い日で、もともと私は晴れ女ですし、どうして雨が?と思ったのですが、掃除をしながら静かに考えていると、こうやって人の死を悼む時間はやはり人間にとって必要なものだと思ったのです。私にはそのように悼む気持ちが足りなかったから、そのおばあさんがきっと雨で知らせてくれたのだろうと思いました。
出来る限りでいいから、ほんの少しの時間でもやはり身近な人の死を悼む時間は必要だと思います。今の自分は自分だけが努力してあるのではなく、たくさんの方の努力・人生の積み重ねによりあるからです。命を大切にするということはやはりそういう時間を粗末にしないことから始まるのではないのでしょうか。
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