忌野清志郎さんはRC以外にもザ・タイマーズ、坂本冬美らとのHISなどの各種ユニットやソロ活動等で40年近くにわたり、日本のロックシーンに影響を及ぼし続けた。日本語によるロックの確立を果たした先駆者的存在で「キング・オブ・ロック」の称号でたたえられる。
フォーク、GS全盛の70年代にデビュー時よりロック、R&Bを基調としたオリジナル曲を歌い続けた。ライブパフォーマンスにも定評があり、卑わいな行為を連想させるステージアクションや「愛し合ってるかい?」と客席に問い掛けるMCは特に有名だ。
RCがブレークした80年代前半には「清志郎ルック」と呼ばれた奇抜な髪形やメーク、ファッションの若者が街に出現。サブカルチャー的存在として社会現象にまでなった。82年、YMOの坂本龍一と組んだシングル「い・け・な・いルージュマジック」のPVでは男同士でキスをする過激なパフォーマンスが話題になった。
社会的メッセージを直接的に歌い続けた。内容はマスコミ批判から世界平和、反核、政治、差別と幅広い。88年には反原発の曲を含むRCのアルバム「COVERS」が所属レコード会社から発売中止となり、後に別会社から発売する騒ぎになった。