誤報の責任と「最後のパレード」について
まず、「最後のパレード」の前に「市議会だより」の誤報記事の問題です。
5月1日付で現在、東村山市内で配布されている「市議会だより」(bP90)2面には、「無所属市民派」はポーズだけ実は「与党別働隊」の佐藤「市議」の新年度当初予算「賛成討論」(自民公明与党の市長提案の予算)が掲載されていますが、なぜ賛成なのか理由は全く趣旨不明です。もともと仲間だったので、理由など必要ないという理解をするしかありません。このような「与党別働隊」がいると、草の根庶民の立場から無所属野党で市民派を貫き、矮小な提案型ではなく批判追及型議員活動を続ける草の根・矢野、朝木両議員にとっては紛らわしい存在で、市民が「与党別働隊」を「無所属市民派」だと勘違いしないようにぜひ願いたいもの。何のために市議に出馬したのか不明で、毎度チマチマと広告収入増収をと提案するしかない者もいますが、すでに、「草の根」は朝木明代議員を含め、税の使途監視、職員等の不正等支出を摘発し00年まででも7600万円も市に取り戻しています。
どの議会であっても、きちんと与党を追及し批判できる野党の存在が必要であることは、与党が腐敗して誰もこれを批判も追及もできない翼賛議会化してしまうことを阻止し、民主主義を死滅させないためにも、絶対的必要条件です。これは、匿名ネット族も知るべきでしょうね。
かつて共産党活動家だった鈴木忠文市議は、その後180度転向し、元都議の娘の婿殿になり市議選出馬し、多数与党の中で、権力を振るう側に回っています。そして、前歴を気にしているせいか、野党議員が自民公明市長を追及するのを封じるための質問時間制限を1分単位で、根拠なく野党のせいにしてより強要する姿勢です。鈴木市議の場合は、共産党活動家だった前歴からも「質問時間制限を1分単位で強要すること」の本当の理由が、市長や仲間の市議が徹底的に追及されるのを防ぐことくらいは十分知っての上で、このような言い方をしているのですが、人材の枯渇しかかっている東村山自民党を「市議会議会運営委員長」として支え、理解力も乏しく事情も知らない外野のネット族を煙に巻いているところは、涙ぐましい努力といわざるをえません。
しかし、他の地方議会と比較しても、東村山のムラ議員らが野党(「与党別働隊」無所属市議は除く)の発言を封じ、重大な疑惑が眼前にあるのに時間切れで追及を阻止し、これを抑えこもうとしている異常さは他に類例がないでしょう。それは過去に徹底的に追及された例が数多くあるからですが、表向きにはこれに触れないところが、いかにもムラ議会らしいところです。
ですが、いうまでもなく、「与党別働隊」の佐藤「市議」や提案型議員だと称して与党に擦り寄り、ついに与党会派の仲間入りをした元生活者ネットの島崎洋子東村山市議のような人物もいますし、市民の眼をごまかして選挙の時だけ野党のフリをして当選を得ようというニセモノに対しても、徹底批判は必要でしょう。
(1)誤報記事とは
そこで、「市議会だより」の誤報記事の問題です。5月1日付け「市議会だより」(bP90)4面には、「子育て支援をめぐる諸課題について」というテーマで、前記「与党別働隊」・佐藤「市議」が「一般質問」した要旨が掲載されています。この掲載分の中で、佐藤「市議」の質問に答えて、「保健福祉部次長」の答弁が掲載されています。
掲載された次長答弁というのは「都が施設調査結果を通知し助言した。内容は、一定期間、正規保育士の配置不足が生じており遺憾であるというもので、児童福祉施設は常に設備・運営を向上させなければならないとし、これを基本運営していくことが当然といえる。」というものです。
これを読んだ一般市民は、東京都が「りんごっこ保育園」を施設調査した結果を通知し助言したが、通知した内容は「一定期間、正規保育士の配置不足が生じており遺憾であるというもので、児童福祉施設は常に設備・運営を向上させなければならない」というものだったと、理解する以外にないことになります。
(2)東京都の通知の内容
ところが、東京都が福祉保健局長名で「りんごっこ保育園」に通知した「指導検査の結果について(通知)」(2008年12月22日付け)という公文書には、
「20福保指二第229号に基づき平成20年9月10日に実施した下記の検査においては、文書により指摘する事項は認められませんでした。
なお、検査日以降、口頭により指導を行った事項については、速やかに改善を図ってください。」
とあるだけで、速やかに改善すべき「検査日以降、口頭により指導を行った事項」にも、前記次長の答弁にある「一定期間、正規保育士の配置不足が生じており遺憾であるというもので、児童福祉施設は常に設備・運営を向上させなければならない」いうようなものは含まれていません。
そうすると、少なくとも、東京都福祉保健局長名の公文書には「遺憾である」とか「児童福祉施設は常に設備・運営を向上させなければならない」とかは一切含まれておらず、何らかの「速やかに改善すべき事項」は一切ないにもかかわらず、この「市議会だより」の佐藤「市議」の一般質問に関する掲載記事は、ことさら、実際には「公文書」には含まれていない「遺憾である」とか「児童福祉施設は常に設備・運営を向上させなければならない」とかの事実無根の文言をつけ加えることによって、あたかも、「りんごっこ保育園」には「速やかに改善すべき事項」があるかのような悪い印象を与えようとしたものであることが明らかで、この佐藤「市議」の一般質問に関する掲載記事は、悪意がむきだしになっている誤報記事です。
(3)「みんなでやめれば、すぐ潰れる。つぶしちゃおう」作戦
保育士配置については、すでにこのHPでもお知らせしていますが、退職した職員の数名が「みんなでやめれば、すぐ潰れる。つぶしちゃおう」作戦で外部集団と連動し「りんごっこ保育園」を潰す動きが実際にあったことを認めているだけでなく、その中心メンバーの職員がこの事実を書面で認めており、この書面は東京都も前記定期監査の際、閲覧して知っているため、佐藤「市議」や東村山市児童課長、何と市長までが、親創価匿名ネット族らと口裏をあわせるかのようにして、東京都に「りんごっこ保育園は有資格保育士が不足している」とさんざん叫んできましたが、東京都はそのまま信用しませんでした。そして、示し合わせた一斉退職というような場合もありうるので、「昨年2月は1名の配置が不足していたが、25日以降は、職員の配置基準が満たされた。保育士の退職等に備えて、職員配置基準に示された職員配置に不足が生じないよう必要な措置を講ずること」と、「指導事項」や「改善すべき事項」とは別に、前記文書の「運営管理A」の末尾のところで、敢えて付け加えています。
都の子育て支援課の新米係長の誤った説明を逆手にとって、しつこく都に横車を押した児童課長(3月まで)がもっとも勉強不足ですが、市長も含め、保健福祉部長まで、「認可保育所」の認可基準である「児童福祉施設最低基準」の内容を知らずに、法令を無視した説明を繰り返し、園側にこの誤りを強制しようとしていたのですから、「りんごっこ保育園」に謝罪するのが先で、指導などできる立場にはありません。
(4)誤報記事、佐藤「市議」の責任は重大
この誤報記事の責任は、佐藤「市議」にあり、しかもその責任は、重大です。
というのは、佐藤「市議」は、次長が答弁しった問題の都福祉保健局長名の「公文書」は、開示請求で入手し、当然にその内容をしっているにもかかわらず、次長答弁が誤りであることを知っていたからです。
しかも、佐藤「市議」は、この「市議会だより」編集委員会の委員の一人で、記事原稿の誤りを指摘でき、訂正することができたのです。さらに問題なのは、この誤報記事が、他の市議の一般質問ではなく、佐藤「市議」自身の質問と答弁に関するものだったのです。
したがって、佐藤「市議」は、実際には「公文書」に含まれていない「遺憾である」とか「児童福祉施設は常に設備・運営を向上させなければならない」とかの事実無根の文言をつけ加えた次長答弁がそのまま掲載され発行されたことについて、責任をとらなければなりません。どういう態度をとるか、注目していきたいと思います。
この「市議会だより」の佐藤「市議」の一般質問に関する掲載記事は、ことさら、実際には「公文書」には含まれていない「遺憾である」とか「児童福祉施設は常に設備・運営を向上させなければならない」とかの事実無根の文言をつけ加え、都の公文書(通知)の内容を改変することによって、あたかも、都が「りんごっこ保育園」には「速やかに改善すべき事項」があると指摘したかのような悪い印象を与えようとした点で、地裁、高裁で連続敗訴した公明を中心とする東村山市議会多数派が2度も行った当初予算附帯決議と同じ名誉毀損が問題となりそうです。
当然、「市議会だより」は「発行 東村山市議会 / 編集 議会法編集委員会」となっていますから、それぞれの責任者の問題も浮上してきていることは、無論、指摘するまでもありません。
「最後のパレード」について
― 読売新聞は第三者か ―
さて、元ディズニーランド社員の中村克氏のまとめた「最後のパレード」はベストセラーだそうで、大変な人気だそうです。
その内容は、いわば、「ディズニーランドの伝説」、「ディズニーランドの神話」といってもいいような「ディズニーランドのエピソード集」です。
「遊園地」とりわけ「テーマパーク」は、感動とか「癒し」がそこで実感できた場合にはその人たちはリピーターになるでしょうし、また、感動とか「癒し」がそこで実感できるよう、遊園地側は努力するでしょうが、とりわけ「ディズニーランド」は社員教育等の分野では、このことに成功した「テーマパーク」といえるでしょう。このことは、連休には100万人近くの人たちが訪れて、何時間も行列しながら過ごしていることからみてもわかります。
しかし、こういう現象が理解できないとか、自分は遊園地では「癒し」を求めるようなことはしない、または「癒されない」という人もいて当然いいはずですし、「ディズニーランド」は「商売上手だ」と思う人がいてもこれは自由です。が、今回の「最後のパレード」に原作との相違とか無粋な真贋論争を持ちこむのは、この「テーマパーク」で感動とか「癒し」を実感できた数多くの人たちが共有している「感動」や「夢」をぶち壊してしまう危険性のあることも 自覚すべきといわざるをえません。
所詮、それぞれ、自分たちにとっての「テーマパーク」が、全く意味をもたない存在でしかない立場と、感動や癒しを「ディズニーランド」で実感し共有している立場とは最初から次元の違うところにいることにも気づくべきでしょう。そして、この種の「〜の神話」、「〜の伝説」という種類の「エピソードもの」は、それぞれが、体験したり聞いた内容はディテールはかなり違ったものとなったり、その殆どが、語りつがれ、言い伝えられてきたという性格上、原典がどこにあり、どれが「正しい原典」であるかという詮索をするよりも、あるものはハッピーエンドで終わっているけれど、極端な場合には、同じエピソードでも他の場合では、まるで逆になっているようなものまであることを私たちは知っているからです。このようなジャンルを活字文化にかかわる者が認めないということはありえないのではないでしょうか。
読売新聞は第三者でなく、原作のネット流出に責任のある 「当事者」
さて、この問題は、多くの「俄か批評家」を含め、さまざま意見を述べているようですが、すこし、別の角度からこの「最後のパレード」問題をみていきたいと思います。
先ず、この問題は、読売新聞が「盗用疑惑」ということで取り上げ、4月24日の37面(13版)では、「ネット情報の著作権 軽視」というタイトルのかなり大きな囲み記事で、特に「大きな白い温かい手」と題した話を問題だとして書いています。
まず、読売新聞記者は、「ネット上の書き込み」を巡っては、匿名でも著作権を認める判例があることに言及した上で、専門家の意見を引き合いにして、著作権に対する同社の認識の甘さを指摘しています。
「匿名のネット上の書き込みについても著作権を認めた判例」というのは、東京高裁で確定した「2002(平成14)年10月29日東京高裁判決、平成14(ネ)2887号」のことですが、確かに、匿名で書き込みをした複数の人たちがその投稿内容を出版した側を相手取って提訴し、請求額全額ではありませんが、東京高裁で主張が認容された事件です。
しかし、問題は、この判決(高裁で確定)があるからといって、それほど単純ではないようです。むしろ、「ネット上の書き込み」を出版する際にどう利用したかという問題よりも、それ以前の問題の方が経過からみても重大であるように思います。
この確定判決に対する批評は後日にするとして、中村氏や発行元の「サンクチュアリ・パブリッシング」社を「著作権に対する同社の認識の甘さ」が問題だとして追及する前に、先ず問題なのは、記事を書いた記者が所属する読売新聞社側の態度です。読売新聞社は、そもそも著作権に対する「サンクチュアリ」社や中村氏の認識の甘さを、前記記事等で追及できるか、という問題です。
先ず、問題だとされている「大きな白い温かい手」と題した話ですが、読売記者自身によれば、この話には原作があり、「この話は、2004年の『小さな親切はがきキャンペーン』で日本郵政公社総裁賞を受賞した大分県内の女性の作品と酷似しており、同年11月24日の読売新聞夕刊に『あひるさん、ありがとう』のタイトルで掲載されている。」というものです。
ところが、読売記者は、この2004年11月24日の読売新聞夕刊に掲載された『あひるさん、ありがとう』のタイトルの話に「酷似した話」が、どのようにして、中村氏の「最後のパレード」の中に収録されることになったのか、という詳細な経過については触れていないのです。読売側は、「ネット情報の著作権」という難しい分野に敢えて踏み込んでいるのですから、慎重にことを進める必要があります。
先ず、読売側は、原作のネット流出に関して、その責任を含め、この点を先に明らかにすべきでしたが、現在もなお明らかにしていません。中村氏や発行元の「サンクチュアリ・パブリッシング」社を「ネット情報の著作権 軽視」という非難をする前に、明らかにすべきだったのです。
というのは、読売記者氏は、「ネット上の書き込みを中村氏は無断で盗用した疑惑がある」といっているのですが、極めて重大なのは読売記者氏が、まず前記「ネット上の書き込み」(夕刊掲載によりネット流出した書き込み)をまるで肯定しているように見える点です。
本当に記者氏は肯定してもいいのでしょうか?先ず、この「ネット上の書き込み」がどのようになされ、このことに法律上の責任の有無について取材し、その結果等を記事化すべきでした。そうすれば、とても肯定できるようなものでないことがわかったはずでしょう。そこで、この点をみていくことにしましょう。
現在、公表されている情報によれば、、『あひるさん、ありがとう』のタイトルの話が、ネット上に公表されたのは、2004年11月24日の読売新聞夕刊に掲載された直後の04年11月30日で、「24日の新聞に載っていた」との注意書き付きで「ディズニー」に関する「2ch感動スレ」に書き込まれた投稿(投稿番号681,682)が最初のもののようです。
そうすると、すでにこの時点で、重大な問題が発生しているのです。
先ず第一に、読売新聞が2004年11月24日の夕刊に掲載する段階で、『あひるさん、ありがとう』の著作権をもつ『小さな親切運動本部』との間で、著作権利用について、有償無償とか事後発生する問題の責任の負担を含めどのような契約を結んでいたのか、ということです。
読売新聞といえども購読を前提に記事を夕刊に掲載し、しかも一般報道記事と違って、前記記者氏が最近になって「原作」の同一性を変えた(盗用した?)ことを問題として追及記事を掲載するような「著作権」が問題となるような「ノンフィクション作品」と捉えている以上、著作権利用に関する問題の発生時の責任のとり方を取り決めていないほど気楽に利用し掲載したとは思えません。
というのは、この「原作」は、読売がその2004年11月24日付け夕刊に、掲載した直後の11月30日に、すでに「24日の新聞に載っていた」との注意書き付きで「2ch感動スレ」に書き込まれ、ネット上に流出していて、しかも、このとき以降、相当数、これがコピペされて、その殆どが「24日の新聞に載っていた」との注意書きなしで、ネット上で公表されているからです。
ここで重大なのは、読売夕刊が掲載したことが直接的原因で、ネット上に流出し不特定多数に24時間公表された「エピソード」は、原作では単なる「あひるさん」とされていた記述が、「ドナルド」という「ディズニー」のキャラクターに改変されてしまい、しかも、「2ちゃんねる」の「ディズニー」に関する「感動スレ」に投稿されてしまったのです。
このことからも、原作とは別の「ディズニー」の「エピソード」にすっかり改変されていることがわかります。(読売記者氏も「2ちゃんねる」には同ランド(「ディズニーランド」)での感動した出来事を紹介するコーナーがあり、そこへの書き込みと酷似」していることを認めているとおりです。)
こうした経過を経て、「ドナルド」という「ディズニー」のキャラクターが登場する「ディズニー」の「エピソード」が、原作とは別に4年半以上も公然と掲載され、ネット上でさまざまにコピペされて今日に至ったというわけですが、こういった事情をみると、この間、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、何もせず、放置していたとしか考えられません。読売新聞側も何らかの措置をとったとは思えません。
というのは、著作権法第20条には極めて大切な規定がなされています。すなわち「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」という同一性保持権を定めているのです。
そうすると、読売は夕刊で掲載した結果、その直後に、ネット上に流出しただけでなく、読売自身が「原作」だという、『あひるさん、ありがとう』という話は、実際の遊園地の話ではなく、別の「ディズニーランド」というテーマパークの感動エピソードに改変されて、24時間不特定多数の閲覧に供されたしまったわけです。
この点について、中村氏や発行元を非難する前に、読売記者氏は、著作権の同一性保持という決定的な法律上の定めについて、読売新聞側がどのような措置をとられたか、取材、調査されたのでしょうか?ぜひ知りたいものです。
2004年11月24日から3年どころか、すでに4年半以上もたっています(このことは大きな意味があります)が、今、原作の「著作権」を問題とするのであれば、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害を差し止め、著作物の同一性保持のために何らかの手段をとるべきでした。しかし、どうもそのような気配すらみえません。
どのような努力をしたのか、ぜひ公表してほしいものです。もしくは、今、どうされようとしているのか、ぜひ知りたいものです。
著作権をもつ『小さな親切運動本部』側が先ずもって責任を問わなければならなかったのは、ネット流出の原因者である読売に対してであり、改変してネット流出させた人たちです。
読売記者氏に何を教わったのか知りませんが、ネット上の改変されたあとの「ディズニーランド」の「感動エピソード」を、経過を知らずに(ご本人によれば)利用したということだけを理由に、ただちに中村氏や発行元の法的責任を問題にすることを可能とする法的根拠は一体どこにあるのでしょうか?
高裁の判例は「ネット上の掲示板に投稿した人たち」が出版した掲示板管理者を提訴した事件であって、「最後のパレード」の場合はネット上の改変されたあとの「ディズニーランド」の「感動エピソード」を知らずに利用したにすぎませんから、援用できるような判例でないことはすぐにわかる問題です。それと、蛇足ですが、まさか、原作を違法に改変した投稿者らが、「最後のパレード」関係者を提訴するとは到底考えられない話です。
「2ちゃんねる」の「ディズニーランド」関連スレッドに書き込まれた相当数の「ネット情報」は、そのエピソードの舞台をすっかり変えて原作の同一性を改変した権利侵害行為ですが、この点に関し、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、直接の原因者(読売新聞)そして直接の同一性改変者(ネット掲示板投稿者ら)の問題を先ず、整理する必要があります。
それにしても、むしろ、原因者側にいる読売記者氏が、なぜ、経過、責任の所在を詳細に調査、取材しないで、「盗用疑惑」というような言葉を使い、あたかも不正を働いたように記事を執筆、掲載し、中村氏や発行元を過激に非難したのか不思議です。
その結果、すでにこの本を店頭から引上げることを決めた書店がでている実害が発生している以上、今後、読売新聞側は責任を問われかねない事態もありうるようにも感じます。
また、この問題では、社員(キャスト)の方が権利主張する著作権者として登場するなど、法的には根拠が疑わしいものまで出てきているようですし、多くの整理が必要ではないか、と思われます。 著作権法には記者たちが見落としている重要な定めもあるように思います。
特に、読売側には、単なる第三者ではなく、原作を公表しネット流出させた原因者であって、むしろ当事者ですから、前記疑問について真摯な態度で回答されるようお願いをしたいものです。
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しかし、事態は暴走を続けています。
− 読売記者は「謝罪」だけで済みますかね −
「大手書店チェーンの「丸善」(本社・東京)は28日、東京ディズニーランドにまつわるエピソードを集めたとされるベストセラー「最後のパレード」(中村克著)の販売を取りやめ、全国の系列約30店の店頭から撤去することを明らかにした。
同書は「小さな親切」運動本部のキャンペーン入賞作などを無断で引用していたことが判明し、版元のサンクチュアリ・パブリッシングは著作権法違反を認めて謝罪したが、自主回収は行っていない。
丸善は「(同書に)いろいろな問題があることが判明し、売り場から撤去することが適当だと判断した。最終的には返品も検討する」としている。」
(産経ニュース 2009.4.28 19:43)
「 ・・・同書については、収録されていたエピソードが、「小さな親切」運動本部のキャンペーン入賞作を無断引用していたことが判明し、同本部が新聞への謝罪文掲載や自主回収を要求。・・・」(産経ニュース 2009.5.1 13:18)
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誰が著作権を侵害したか?!
― 「盗用疑惑本」などときめつける読売の暴走 ―
著作権をもつ『小さな親切運動本部』側が記者発表をしたようですが、上に理由を述べたように、中村氏は『小さな親切運動本部』側が「原作」としている「著作物」の同一性を改変した事実はどこを探してもありません。また、自分の見聞きした事実に酷似している「ネット」上に公開されていた「ドナルド」の登場する「ディズニー」を舞台とする「エピソード」を、「大きな白い温かい手」という題をつけ「最後のパレード」の中で紹介した(自分自身のコメントとは明確に区別して)にすぎません。
したがって、仮に、同一性を改変した著作権侵害があったとしても、責任を問われるのは「2ちゃんねる」の「ディズニー」関連「感動スレ」に投稿した人物たちであって、中村氏でないことは明らかです。原作者が抗議する対象が「2ちゃんねる」の「ディズニー」関連「感動スレ」に投稿した人物たちで
あることに、議論の余地はありません。
にもかかわらず、「ネット流出」してからすでに4年半もたったあと、出版された「最後のパレード」に収録されている「大きな白い温かい手」というお話が、なぜ、中村氏によって『あひるさん、ありがとう』の一部を変更したもので、中村氏が「著作権侵害」をしたとか、「盗用した」ことになるのかを、きちんと正面から説明でき、反論しえた人は、未だ誰もいませんし、今後もいないでしょう。
『あひるさん、ありがとう』の一部を変更したのは、いつ、誰が、どういう方法で行ったか?そして、どのような経過で、「ディズニー」を舞台とする別の
お話になったのか?そして、また中村氏にはどのような責任があるというのか?それを、先ず、はっきりさせなければなりませんが、全く不明のまま、中村氏を犯人扱いです。
ところが、多くのネット族だけでなく、どうも読売記者氏、そして『小さな親切運動本部』までが、「大きな白い温かい手」は『あひるさん、ありがとう』に酷似していてその一部を変更したものと理解できるというだけで、何の脈絡もなくただちに、「大きな白い温かい手」を出版した中村氏が「著作権侵害」をしたことになる、という論法をです。
しかし、この短絡した論法が成立するためには、『あひるさん、ありがとう』の一部を変更した者が、中村氏が同一人物かまたは「最後のパレード」の出版に関係がある者でなければ、権利侵害者が中村氏であるということはできません。とりわけ、「ディズニー」キャラクターの「ドナルド」は「エピソード」にでてくるような「大きな手で背中をなでる」動作を「サービス」として「ゲスト(客)」にするということになっているのだそうですから、同種の「エピソード」は数えきれないほど存在するということです。だから、ことはそんなに簡単ではないということを、読売記者氏は知っているのでしょうか?
ところが、この論法はあまりにも短絡していて、残念ながら、『あひるさん、ありがとう』の一部を変更した者と中村氏を結びつける「媒介項」が全くありません。
これでは、中村氏が「盗用した」とか、「最後のパレード」が「盗用疑惑本」だと決め付けるわけにいかないのは、普通の常識があればすぐにわかることです。このような短絡思考で、何の疑問も感じないのは、鈍感を通り越して、悪意さえ感じます。マスメディアにこの種の人たちがいるので、小沢秘書逮捕のリーク記事だけを垂れ流すようなことになっているのでしょうか。困ったものです。
このことは、いずれはっきりしてくると思いますが、自分の権利行使を怠っているにもかかわらず、権利侵害の被害だけを強調するその短絡ぶりが、とりわけ目立っているのは、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側の記者発表の内容で、これほど「お門違い」の典型も珍しいですね。
『小さな親切運動本部』側は、中村氏がその「著作物」の同一性を改変したとか、一部を勝手に変更したとでもいうのでしょうか?いくらがんばっても、そのような証明ができるわけがありません。『小さな親切運動本部』は、読売記者が探し出してきた高裁確定判決がいうところのネット掲示板の匿名投稿の「著作権」とやらを主張できるような「ネット投稿者」でもありませんし、ね。
著作権侵害で今ころ、大騒ぎをするそれほどの大切な「著作物」というのであれば、『小さな親切運動本部』側は、読売夕刊が掲載した『あひるさん、ありがとう』の内容を改変して「ディズニー」関連「感動スレ」にネットに流出させた「ネット投稿者」をなぜ4年半もの間、問題にしなかったのでしょうか、そして全く問題にしようとしないのでしょうか?。『小さな親切運動本部』側が放置したために、その後、同種の「別のエピソード」として知られるにいたったのではありませんか。そもそもの責任が問われるのも、この点です。
まず、中村氏の「最後のパレード」が上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたらないという当方の記事に対して、上に指摘したとおり正面から反論しえたものは皆無ですので、判例や著作権法を無視して暴走している読売記者氏に同伴する、いかに多くの付和雷同の匿名ネット族がいたかがわかりますし、ネット族とりわけ匿名ネット族の民度の低さ、が証明される事態となりました。
その後、「盗用疑惑本」などときめつける読売記者氏は、いまや無関係がはっきりした高裁確定判決があるとか、この判決があるから中村氏は「ネット情報の著作権軽視」したなどとはもはやいわないでしょうが、今度は「発行元が著作権侵害を認めた」などと、「自白」をとったから文句はないだろう、というような論調でにげきる構えのようです。
しかし、一転、この「自白」が否認される事態にでもなったら、読売記者氏はどうするんでしょうか?冤罪事件ではよくあるケースですよね。
いずれ、ネット流出の責任や、「著作物」の同一性改変の責任の問題は徹底究明されなければいけない問題として残っていますから、読売記者氏に対しては、自社の行為につき検証記事をお書きになり、中村氏に対して「盗用疑惑本」と決め付けたことを、一刻もはやく、謝罪することをお勧めしたおきたいと思います。
そして、ですから、読売側と著作権者の『小さな親切運動本部』側との夕刊に『あひるさん、ありがとう』を掲載する際の著作権利用の契約は、どうなっていたのか、読売側に「ネット流出」についての事後責任は、まさか契約上「不問」だったということなんですか?とお尋ねしているんですよ。ここまで懇切丁寧に解説しているんですから、その短絡している思考回路を機能するように、いい加減でメンテしてほしいものです。
事実上、著作権フリーのオリエンタルランドの実態
そして、以下が中心的論点です。
上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたらないという当方の記事に対して、正面から反論できないため、出てきたのが、『あひるさん、ありがとう』はともかく、「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部資料を勝手に持ち出したことは明らかな著作権侵害だ、という土俵を広げる手法です。読売記者氏も同様に土俵をひろげているようです。
しかし、この手法は、中村氏に打撃を与えるようなものではなく、結局、自分たちの墓穴を掘る結果としかならなかったのです。
どうしてかというと、中村氏はそのブログでもご自身が紹介していますが、過去にも「最後のパレード」と同様趣旨の「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部の見聞きした話や「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部資料を参考にして、著作物を出版したことがあるのです。
しかし、オリエンタルランド側から何も著作権使用について、指摘すらなく、中村氏だけでなく、元副社長をはじめとして元キャスト等の元社員が、「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部の見聞きした話や内部の資料等に基づいて数多くの著書を上梓し世に出し続けてきたのです。ですが、オリエンタルランド側からは何も著作権について注意すらなされた事実はないようです。「盗用」などとしきりと叫ぶネット族のみなさん、残念でした。
いうまでもないのですが、前記出版物は、中村氏の著書を含め、殆どが「ディズニー(オリエンタルランド)」の社員教育、ホスピタリティ等を積極的に評価する内容ですから、「ディズニー(オリエンタルランド)」にプラスになることはあっても実害は一切なくマイナスもないからなのでしょう。普通の企業だと、費用を支払って宣伝してもらうような類の内容といっても過言ではありません。
今回の「最後のパレード」の場合は、出版直後から、ネット族らを中心に多くの「通報」があったことを「ディズニー(オリエンタルランド)」自身もみとめているようですし、これらに対して一定の公式見解を発表してはいますが、上の実際例からして、過去から現在まで一貫して、元社員達に対するオリエンタルランドのとった態様は、「事実上の著作権フリー」ということがいえるのですから、「内部資料を勝手に持ち出した」などと、さも「特だね」風に読売記者氏が得意になるようなものでは決してないのです。現在までの経過からして、とても「ディズニー(オリエンタルランド)」が、「最後のパレード」だけを「ディズニー(オリエンタルランド)」の著作権を侵害したとして提訴できるわけがありません。
したがって、すでにお分かりのとおり、「最後のパレード」は上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたりませんよという当方の記事に対して、正面から反論できないため、もち出されてきた「『あひるさん、ありがとう』はともかく、『ディズニー(オリエンタルランド)』の内部資料を勝手に持ち出したことは明かな著作権侵害だ」というご主張は、「ディズニー(オリエンタルランド)」の実態を知らない人たちの空論でしかなく、すでに破綻しているのです。
いずれにしろ、どうみても、中村氏を「盗用疑惑本」の大悪人のように決め付ける読売記者氏をはじめとする「いちれんたい」のみなさんが、早晩、頭をまるめて「お詫び」しなければならない事態になるように思えてしかたがありません。
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