2009年05月03日

読売は第三者か A

誰が著作権を侵害したか?!
      ― 「盗用疑惑本」などときめつける読売の暴走 ―

 
 著作権をもつ『小さな親切運動本部』側が記者発表をしたようですが、上に理由を述べたように、中村氏は『小さな親切運動本部』側が「原作」としている「著作物」の同一性を改変した事実はどこを探してもありません。また、自分の見聞きした事実に酷似している「ネット」上に公開されていた「ドナルド」の登場する「ディズニー」を舞台とする「エピソード」を、「大きな白い温かい手」という題をつけ「最後のパレード」の中で紹介した(自分自身のコメントとは明確に区別して)にすぎません。
 したがって、仮に、同一性を改変した著作権侵害があったとしても、責任を問われるのは「2ちゃんねる」の「ディズニー」関連「感動スレ」に投稿した人物たちであって、中村氏でないことは明らかです。原作者が抗議する対象が「2ちゃんねる」の「ディズニー」関連「感動スレ」に投稿した人物たちで
あることに、議論の余地はありません。


 にもかかわらず、「ネット流出」してからすでに4年半もたったあと、出版された「最後のパレード」に収録されている「大きな白い温かい手」というお話が、なぜ、中村氏によって『あひるさん、ありがとう』の一部を変更したもので、中村氏が「著作権侵害」をしたとか、「盗用した」ことになるのかを、きちんと正面から説明でき、反論しえた人は、未だ誰もいませんし、今後もいないでしょう。


 『あひるさん、ありがとう』の一部を変更したのは、いつ、誰が、どういう方法で行ったか?そして、どのような経過で、「ディズニー」を舞台とする別の
お話になったのか?そして、また中村氏にはどのような責任があるというのか?それを、先ず、はっきりさせなければなりませんが、全く不明のまま、中村氏を犯人扱いです。


 ところが、多くのネット族だけでなく、どうも読売記者氏、そして『小さな親切運動本部』までが、「大きな白い温かい手」は『あひるさん、ありがとう』に酷似していてその一部を変更したものと理解できるというだけで、何の脈絡もなくただちに、「大きな白い温かい手」を出版した中村氏が「著作権侵害」をしたことになる、という論法をです。

 
しかし、この短絡した論法が成立するためには、『あひるさん、ありがとう』の一部を変更した者が、中村氏が同一人物かまたは「最後のパレード」の出版に関係がある者でなければ、権利侵害者が中村氏であるということはできません。とりわけ、「ディズニー」キャラクターの「ドナルド」は「エピソード」にでてくるような「大きな手で背中をなでる」動作を「サービス」として「ゲスト(客)」にするということになっているのだそうですから、同種の「エピソード」は数えきれないほど存在するということです。だから、ことはそんなに簡単ではないということを、読売記者氏は知っているのでしょうか?
  
 
ところが、この論法はあまりにも短絡していて、残念ながら、『あひるさん、ありがとう』の一部を変更した者と中村氏を結びつける「媒介項」が全くありません。
 これでは、中村氏が「盗用した」とか、「最後のパレード」が「盗用疑惑本」だと決め付けるわけにいかないのは、普通の常識があればすぐにわかることです。このような短絡思考で、何の疑問も感じないのは、鈍感を通り越して、悪意さえ感じます。マスメディアにこの種の人たちがいるので、小沢秘書逮捕のリーク記事だけを垂れ流すようなことになっているのでしょうか。困ったものです。


 このことは、いずれはっきりしてくると思いますが、自分の権利行使を怠っているにもかかわらず、権利侵害の被害だけを強調するその短絡ぶりが、とりわけ目立っているのは、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側の記者発表の内容で、これほど「お門違い」の典型も珍しいですね。

 『小さな親切運動本部』側は、中村氏がその「著作物」の同一性を改変したとか、一部を勝手に変更したとでもいうのでしょうか?いくらがんばっても、そのような証明ができるわけがありません。『小さな親切運動本部』は、読売記者が探し出してきた高裁確定判決がいうところのネット掲示板の匿名投稿の「著作権」とやらを主張できるような「ネット投稿者」でもありませんし、ね。

 著作権侵害で今ころ、大騒ぎをするそれほどの大切な「著作物」というのであれば、『小さな親切運動本部』側は、読売夕刊が掲載した『あひるさん、ありがとう』の内容を改変して「ディズニー」関連「感動スレ」にネットに流出させた「ネット投稿者」をなぜ4年半もの間、問題にしなかったのでしょうか、そして全く問題にしようとしないのでしょうか?。『小さな親切運動本部』側が放置したために、その後、同種の「別のエピソード」として知られるにいたったのではありませんか。そもそもの責任が問われるのも、この点です。
 
 まず、中村氏の「最後のパレード」が上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたらないという当方の記事に対して、上に指摘したとおり正面から反論しえたものは皆無ですので、判例や著作権法を無視して暴走している読売記者氏に同伴する、いかに多くの付和雷同の匿名ネット族がいたかがわかりますし、ネット族とりわけ匿名ネット族の民度の低さ、が証明される事態となりました。

 
その後、「盗用疑惑本」などときめつける読売記者氏は、いまや無関係がはっきりした高裁確定判決があるとか、この判決があるから中村氏は「ネット情報の著作権軽視」したなどとはもはやいわないでしょうが、今度は「発行元が著作権侵害を認めた」などと、「自白」をとったから文句はないだろう、というような論調でにげきる構えのようです。
 しかし、一転、この「自白」が否認される事態にでもなったら、読売記者氏はどうするんでしょうか?冤罪事件ではよくあるケースですよね。

 いずれ、ネット流出の責任や、「著作物」の同一性改変の責任の問題は徹底究明されなければいけない問題として残っていますから、読売記者氏に対しては、自社の行為につき検証記事をお書きになり、中村氏に対して「盗用疑惑本」と決め付けたことを、一刻もはやく、謝罪することをお勧めしたおきたいと思います。

 そして、ですから、読売側と著作権者の『小さな親切運動本部』側との夕刊に『あひるさん、ありがとう』を掲載する際の著作権利用の契約は、どうなっていたのか、読売側に「ネット流出」についての事後責任は、まさか契約上「不問」だったということなんですか?とお尋ねしているんですよ。ここまで懇切丁寧に解説しているんですから、その短絡している思考回路を機能するように、いい加減でメンテしてほしいものです。

 
 事実上、著作権フリーのオリエンタルランドの実態

 
そして、以下が中心的論点です。
 上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたらないという当方の記事に対して、正面から反論できないため、出てきたのが、『あひるさん、ありがとう』はともかく、「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部資料を勝手に持ち出したことは明らかな著作権侵害だ、という土俵を広げる手法です。読売記者氏も同様に土俵をひろげているようです。


 しかし、この手法は、中村氏に打撃を与えるようなものではなく、結局、自分たちの墓穴を掘る結果としかならなかったのです。

 
どうしてかというと、中村氏はそのブログでもご自身が紹介していますが、過去にも「最後のパレード」と同様趣旨の「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部の見聞きした話や「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部資料を参考にして、著作物を出版したことがあるのです。

 
しかし、オリエンタルランド側から何も著作権使用について、指摘すらなく、中村氏だけでなく、元副社長をはじめとして元キャスト等の元社員が、「ディズニー(オリエンタルランド)」の内部の見聞きした話や内部の資料等に基づいて数多くの著書を上梓し世に出し続けてきたのです。ですが、オリエンタルランド側からは何も著作権について注意すらなされた事実はないようです。「盗用」などとしきりと叫ぶネット族のみなさん、残念でした。

 
いうまでもないのですが、前記出版物は、中村氏の著書を含め、殆どが「ディズニー(オリエンタルランド)」の社員教育、ホスピタリティ等を積極的に評価する内容ですから、「ディズニー(オリエンタルランド)」にプラスになることはあっても実害は一切なくマイナスもないからなのでしょう。普通の企業だと、費用を支払って宣伝してもらうような類の内容といっても過言ではありません。

 
今回の「最後のパレード」の場合は、出版直後から、ネット族らを中心に多くの「通報」があったことを「ディズニー(オリエンタルランド)」自身もみとめているようですし、これらに対して一定の公式見解を発表してはいますが、上の実際例からして、過去から現在まで一貫して、元社員達に対するオリエンタルランドのとった態様は、「事実上の著作権フリー」ということがいえるのですから、「内部資料を勝手に持ち出した」などと、さも「特だね」風に読売記者氏が得意になるようなものでは決してないのです。現在までの経過からして、とても「ディズニー(オリエンタルランド)」が、「最後のパレード」だけを「ディズニー(オリエンタルランド)」の著作権を侵害したとして提訴できるわけがありません。

 
したがって、すでにお分かりのとおり、「最後のパレード」は上の『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害にはあたりませんよという当方の記事に対して、正面から反論できないため、もち出されてきた「『あひるさん、ありがとう』はともかく、『ディズニー(オリエンタルランド)』の内部資料を勝手に持ち出したことは明かな著作権侵害だ」というご主張は、「ディズニー(オリエンタルランド)」の実態を知らない人たちの空論でしかなく、すでに破綻しているのです。

 
いずれにしろ、どうみても、中村氏を「盗用疑惑本」の大悪人のように決め付ける読売記者氏をはじめとする「いちれんたい」のみなさんが、早晩、頭をまるめて「お詫び」しなければならない事態になるように思えてしかたがありません。

 http://www.higashimurayamasiminsinbun.com/page222.html

 

2009年05月03日

ディズニーランドとオリエンタルランドの違い

オリエンタルランド(以下OLC)が刊行した著作物についての著作権問題も取り上げられています。

論点はただ一つ、OLCが事後承認を認めるか否かということです。認められればこのまま掲載し続けられます。

一切認めないとなると、「最後のパレード」からOLCに著作権があるとされるいくつかのエピソードは削除され、増版分からは別なエピソードに変わることになります。
(OLCが著作権料を求めれば実版分の著作権料を支払うことになります。)

 この問題がなぜ起こったのかについて説明します。この刊行物はTDL25周年の記録としてつくられたようです。ゲストレターやキャストの投稿文が掲載されているそうですが、詳しいことはよく分かりません。

なぜならば、私は全く読んでいないからです。今後も読む気はありません。(なぜなのかは後術します。)
 ですから、この刊行物からいくつかのエピソードを選定したのは、サンクチュアリ出版の編集責任者です。もちろん私は、いくつかのエピソードを掲載することを許可しています。

 この問題は、盗作疑惑とは違います。著作権上の手続きの問題であるのです。この問題が表面化した後、サンクチュアリ出版の鶴巻社長は、OLCに誠意ある対応をしていくとおっしゃっていました。 私も同様です。

それだけのことであり、「最後のパレード」の回収とは全く関係ないと私は判断しています。 

さて、表題の件について書きます。ご存じだと思いますが、TDLは「幸福と感動を生み出す現場」であり、そのTDLを運営するのがOLCです。

 何が違うのか、OLCは利益の追求を第一とする私企業です。一方、TDLは幸福の創造を第一とする「公共財」なのです。 
TDLの開発理念について、上澤昇オリエンタルランド元副社長はこのように著書に書いています。 

「公有水面という国民の共通財産を埋め立ててつくった土地を使用する私達には、国民に喜んでもらえる施設を造って、企業の社会的責任を果たしていく責務がある。」 

さて、なぜOLCが刊行したエピソード集を読みたくないのかについて記します。最初のページの写真とTDL1周年の記録誌「TDL DIARY」の表紙の写真を比べるとすべてが分かります。それ以上は申し上げません。

 「最後のパレード」のエピソードに関する著作権の問題も、TDLの理念に基づく判断であれば事後承諾いただけるに違いありません。反対に私企業的発想であれば、許可されないかもしれませんが、4月に就任したOLCの上西社長は高校の後輩です。(中央大学付属高等学校、小倉智明氏、秋元康氏、古今亭 志ん輔師匠などユニークな方を輩出しています。) 

TDLの理念に基づく判断をしていただける、私はそう信じて疑いません。


ディズニーランドと著作権

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440574.html

 

2009年05月02日

「最後のパレード」回収に関して

 

 

思いやりの大切さを書いた本ではありましたが、読売新聞などの関係者にディズニーファンや著者、出版社を思いやる気持ちが少しでもあれば、このような事態になることはなかったものと考えます。

 

私がこの本で伝えたかったことは思いやりの気持ちの大切さです。

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13444273.html

 

ですから、エピソードの選定は思いやりの気持ちを育むものを中心に選びました。サンクチュアリ出版様と当社で長きに渡って集めたエピソードに私はすべて目を通し、信用できるエピソードであるのかを、一つ一つ丁寧に検証しました。

 

サンクチュアリ出版様が集めたエピソードの中には「障害をお持ちのゲストを背負ってビックサンダー・マウンテンに乗せた」というものもありました。

 

サンクチュアリ出版の編集担当者は、このエピソードを載せたいと許可を求めてきましたが、私は「マニュアル違反であり、絶対にあり得ないこと」と許可しませんでした。

 

シンデレラ城ミステリーツアーのエピソードも、キャストとゲストの会話内容もかなり変更しました。キャストが言わない言葉が含まれていたからです。

 

サイン帳を無くしたエピソードも不自然な所はカットしました。例えば「キャストが自費でサイン帳を購入した」という一文もありました。これも、考えられない手順です。

 

両手が無いゲストがビックサンダー・マウンテンに乗れなかったというエピソードでは、私も「この対応は間違っている」と反省し、オリエンタルランドの担当者に今もこの手順なのかを尋ねました。すると、私が退職後にコメントに著したような手順に変更されていました。そして、その子を探してほしい、というメッセージを記しました。

 

私は、東京ディズニーランドで唯一人の「グランドスラムを達成したスーパーバイザー」と称されていました。なぜならば、すべてのアトラクションエリアとすべてのゲストサービス施設のスーパーバイザーを経験したからです。

 

したがって、エピソードの信憑性の判定には自信を持っていました。「このようなエピソードは五万とある」「このエピソードは掲載しない方が無難である」と判断することは私には容易なことでした。

 

読売新聞が盗作と問題にした「キャラクターがゲストを励ます」エピソードも、ドナルドが当り前に行った「仕事」でした。

 

(ドナルドダックの身長を考えてみてください。ドナルドが障害をお持ちのゲストを励ますのには、そのような意味もあるのです。 )

 

私は、ディズニーランドではたくさんの障害をお持ちの方が働いている事実を知っています。それだけに、読売新聞が盗作と疑ったこのエピソードは100%入れたい、そう思い採用したものなのです。

 

2007年の障害者週間に天皇、皇后両陛下は、オリエンタルランドの子会社をご訪問されました。

 

天皇、皇后両陛下がご訪問されたご様子はこちらから

http://www.olc.co.jp/news_parts/20071221_01.pdf

 

両陛下から、障害をお持ちの従業員に対して「がんばってください」など、多くの励ましのお言葉を頂戴いたしましたこともあり、「最後のパレード」では、障害をお持ちのゲストとの交流の話を数多く採用致しました。

 

サンクチュアリ出版様にも読売新聞による今回の盗作疑惑報道がなされた後、この本には両陛下のご訪問の件が関わっていることと、ドナルドなどのキャラクターやアンバサダーが、ディズニーランドに来園できない障がい者の施設などを25年間慰問し続けている事実を伝えました。

 

著作権者へも世間へも、私たちが両陛下の障がい者に対するお気持ちと同様な気持ちを伝えれば、間違いなく分かって頂ける、ディズニーランドでは「サービスの復旧」と言いますが、例え手続き上のミスがあったとしてもきっと許していただける、私はそう信じていました。

 

サンクチュアリ出版様との出版契約には、日本ユニセフへ総売り上げの3%を寄付することになっています。それでも私は、この本の印税収入から、私にしかできない「障がい者木工」の普及などに寄付等を惜しまないつもりでした。

 

(手前みそになりますが、東京都唯一の国宝である東村山市の正福寺の地蔵祭りも、私が知的障がい者施設への木工支援を行わなければ開催することはできませんでした。)

http://www.shoukoukai.or.jp/profile/jizoumaturi.html

 

このように、「最後のパレード」という書籍は、私が障害をお持ちの価値ある方々と深く関わってきたことにより誕生した本なのです。

障害をお持ちの方々のためにも、天皇、皇后両陛下を悲しませる結果になることだけは避けなければいけないと考えます。

これからも世間のバッシングに負けないよう説明責任を果たしていきます。

 

 ここまで記してきたように、この本は、私が直接知っているエピソード、ディズニーランド時代の友人等から聞いたエピソード、そして、インターネット上のサイトで見つけたエピソードなどを紹介し、読者に「なるほど、そういうことだったのか」と分かってもらえるよう、個々のエピソード後に「スーパーバイザーとしての私の解説」を加えたたものです。

 

科学の「科」とは、本来「分ける」という意味です。分けて考えると真実が分かります。

 

誰かが、善意でしたためてくださった個々のエピソードと、私が責任をもって書いたコメントを分けて考えれば、私が盗作と疑われているエピソードを創作した人間(盗作者)ではないこと、つまり、この事件の真実を、読売新聞新聞の記者や読者の方に、容易に理解していただけるものと確信しています。

 

 

2009年05月02日

 ― 読売新聞は第三者か ―

 「地球温暖化防止東村山宣言」などの請願でお世話になった東村山市議の方(FM局を運営しているため、著作権に関しては極めて詳しい方です。)が、この問題を解析してくださいました。


  「最後のパレード」について
    ― 読売新聞は第三者か ―

  さて、元ディズニーランド社員の中村克氏のまとめた「最後のパレード」はベストセラーだそうで、大変な人気だそうです。

  その内容は、いわば、「ディズニーランドの伝説」、「ディズニーランドの神話」といってもいいような「ディズニーランドのエピソード集」です。

「遊園地」とりわけ「テーマパーク」は、感動とか「癒し」がそこで実感できた場合にはその人たちはリピーターになるでしょうし、また、感動とか「癒し」がそこで実感できるよう、遊園地側は努力するでしょうが、とりわけ「ディズニーランド」は社員教育等の分野では、このことに成功した「テーマパーク」といえるでしょう。このことは、連休には100万人近くの人たちが訪れて、何時間も行列しながら過ごしていることからみてもわかります。

しかし、こういう現象が理解できないとか、自分は遊園地では「癒し」を求めるようなことはしない、または「癒されない」という人もいて当然いいはずですし、「ディズニーランド」は「商売上手だ」と思う人がいてもこれは自由です。が、今回の「最後のパレード」に原作との相違とか無粋な真贋論争を持ちこむのは、この「テーマパーク」で感動とか「癒し」を実感できた数多くの人たちが共有している「感動」や「夢」をぶち壊してしまう危険性のあることも 自覚すべきといわざるをえません。

  所詮、それぞれ、自分たちにとっての「テーマパーク」が、全く意味をもたない存在でしかない立場と、感動や癒しを「ディズニーランド」で実感し共有している立場とは最初から次元の違うところにいることにも気づくべきでしょう。そして、この種の「〜の神話」、「〜の伝説」という種類の「エピソードもの」は、それぞれが、体験したり聞いた内容はディテールはかなり違ったものとなったり、その殆どが、語りつがれ、言い伝えられてきたという性格上、原典がどこにあり、どれが「正しい原典」であるかという詮索をするよりも、あるものはハッピーエンドで終わっているけれど、極端な場合には、同じエピソードでも他の場合では、まるで逆になっているようなものまであることを私たちは知っているからです。このようなジャンルを活字文化にかかわる者が認めないということはありえないのではないでしょうか。

  読売新聞は第三者でなく、原作のネット流出に責任のある  「当事者」

  さて、この問題は、多くの「俄か批評家」を含め、さまざま意見を述べているようですが、すこし、別の角度からこの「最後のパレード」問題をみていきたいと思います。
  先ず、この問題は、読売新聞が「盗用疑惑」ということで取り上げ、4月24日の37面(13版)では、「ネット情報の著作権 軽視」というタイトルのかなり大きな囲み記事で、特に「大きな白い温かい手」と題した話を問題だとして書いています。


  まず、読売新聞記者は、「ネット上の書き込み」を巡っては、匿名でも著作権を認める判例があることに言及した上で、専門家の意見を引き合いにして、著作権に対する同社の認識の甘さを指摘しています。

  「匿名のネット上の書き込みについても著作権を認めた判例」というのは、東京高裁で確定した「2002(平成14)年10月29日東京高裁判決、平成14(ネ)2887号」のことですが、確かに、匿名で書き込みをした複数の人たちがその投稿内容を出版した側を相手取って提訴し、請求額全額ではありませんが、東京高裁で主張が認容された事件です。

 しかし、問題は、この判決(高裁で確定)があるからといって、それほど単純ではないようです。むしろ、「ネット上の書き込み」を出版する際にどう利用したかという問題よりも、それ以前の問題の方が経過からみても重大であるように思います。

 この確定判決に対する批評は後日にするとして、中村氏や発行元の「サンクチュアリ・パブリッシング」社を「著作権に対する同社の認識の甘さ」が問題だとして追及する前に、先ず問題なのは、記事を書いた記者が所属する読売新聞社側の態度です。読売新聞社は、そもそも著作権に対する「サンクチュアリ」社や中村氏の認識の甘さを、前記記事等で追及できるか、という問題です。

 先ず、問題だとされている「大きな白い温かい手」と題した話ですが、読売記者自身によれば、この話には原作があり、「この話は、2004年の『小さな親切はがきキャンペーン』で日本郵政公社総裁賞を受賞した大分県内の女性の作品と酷似しており、同年11月24日の読売新聞夕刊に『あひるさん、ありがとう』のタイトルで掲載されている。」というものです。

 ところが、読売記者は、この2004年11月24日の読売新聞夕刊に掲載された『あひるさん、ありがとう』のタイトルの話に「酷似した話」が、どのようにして、中村氏の「最後のパレード」の中に収録されることになったのか、という詳細な経過については触れていないのです。読売側は、「ネット情報の著作権」という難しい分野に敢えて踏み込んでいるのですから、慎重にことを進める必要があります。

 先ず、読売側は、原作のネット流出に関して、その責任を含め、この点を先に明らかにすべきでしたが、現在もなお明らかにしていません。中村氏や発行元の「サンクチュアリ・パブリッシング」社を「ネット情報の著作権 軽視」という非難をする前に、明らかにすべきだったのです。

 というのは、読売記者氏は、「ネット上の書き込みを中村氏は無断で盗用した疑惑がある」といっているのですが、極めて重大なのは読売記者氏が、まず前記「ネット上の書き込み」(夕刊掲載によりネット流出した書き込み)をまるで肯定しているように見える点です。

 本当に記者氏は肯定してもいいのでしょうか?先ず、この「ネット上の書き込み」がどのようになされ、このことに法律上の責任の有無について取材し、その結果等を記事化すべきでした。そうすれば、とても肯定できるようなものでないことがわかったはずでしょう。そこで、この点をみていくことにしましょう。

 現在、公表されている情報によれば、、『あひるさん、ありがとう』のタイトルの話が、ネット上に公表されたのは、2004年11月24日の読売新聞夕刊に掲載された直後の04年11月30日で、「24日の新聞に載っていた」との注意書き付きで「ディズニー」に関する「2ch感動スレ」に書き込まれた投稿(投稿番号681,682)が最初のもののようです。

 そうすると、すでにこの時点で、重大な問題が発生しているのです。
先ず第一に、読売新聞が2004年11月24日の夕刊に掲載する段階で、『あひるさん、ありがとう』の著作権をもつ『小さな親切運動本部』との間で、著作権利用について、有償無償とか事後発生する問題の責任の負担を含めどのような契約を結んでいたのか、ということです。

  読売新聞といえども購読を前提に記事を夕刊に掲載し、しかも一般報道記事と違って、前記記者氏が最近になって「原作」の同一性を変えた(盗用した?)ことを問題として追及記事を掲載するような「著作権」が問題となるような「ノンフィクション作品」と捉えている以上、著作権利用に関する問題の発生時の責任のとり方を取り決めていないほど気楽に利用し掲載したとは思えません。

 というのは、この「原作」は、読売がその2004年11月24日付け夕刊に、掲載した直後の11月30日に、すでに「24日の新聞に載っていた」との注意書き付きで「2ch感動スレ」に書き込まれ、ネット上に流出していて、しかも、このとき以降、相当数、これがコピペされて、その殆どが「24日の新聞に載っていた」との注意書きなしで、ネット上で公表されているからです。

  ここで重大なのは、読売夕刊が掲載したことが直接的原因で、ネット上に流出し不特定多数に24時間公表された「エピソード」は、原作では単なる「あひるさん」とされていた記述が、「ドナルド」という「ディズニー」のキャラクターに改変されてしまい、しかも、「2ちゃんねる」の「ディズニー」に関する「感動スレ」に投稿されてしまったのです。


 このことからも、原作とは別の「ディズニー」の「エピソード」にすっかり改変されていることがわかります。(読売記者氏も「2ちゃんねる」には同ランド(「ディズニーランド」)での感動した出来事を紹介するコーナーがあり、そこへの書き込みと酷似」していることを認めているとおりです。)

 こうした経過を経て、「ドナルド」という「ディズニー」のキャラクターが登場する「ディズニー」の「エピソード」が、原作とは別に4年半以上も公然と掲載され、ネット上でさまざまにコピペされて今日に至ったというわけですが、こういった事情をみると、この間、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、何もせず、放置していたとしか考えられません。読売新聞側も何らかの措置をとったとは思えません。

 
というのは、著作権法第20条には極めて大切な規定がなされています。すなわち「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」という同一性保持権を定めているのです。

 
そうすると、読売は夕刊で掲載した結果、その直後に、ネット上に流出しただけでなく、読売自身が「原作」だという、『あひるさん、ありがとう』という話は、実際の遊園地の話ではなく、別の「ディズニーランド」というテーマパークの感動エピソードに改変されて、24時間不特定多数の閲覧に供されたしまったわけです。


 この点について、中村氏や発行元を非難する前に、読売記者氏は、著作権の同一性保持という決定的な法律上の定めについて、読売新聞側がどのような措置をとられたか、取材、調査されたのでしょうか?ぜひ知りたいものです

 2004年11月24日から3年どころか、すでに4年半以上もたっています(このことは大きな意味があります)が、今、原作の「著作権」を問題とするのであれば、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、『あひるさん、ありがとう』の著作権侵害を差し止め、著作物の同一性保持のために何らかの手段をとるべきでした。しかし、どうもそのような気配すらみえません。

 
 どのような努力をしたのか、ぜひ公表してほしいものです。もしくは、今、どうされようとしているのか、ぜひ知りたいものです。

 著作権をもつ『小さな親切運動本部』側が先ずもって責任を問わなければならなかったのは、ネット流出の原因者である読売に対してであり、改変してネット流出させた人たちです。

 
 読売記者氏に何を教わったのか知りませんが、ネット上の改変されたあとの「ディズニーランド」の「感動エピソード」を、経過を知らずに(ご本人によれば)利用したということだけを理由に、ただちに中村氏や発行元の法的責任を問題にすることを可能とする法的根拠は一体どこにあるのでしょうか?


 高裁の判例は「ネット上の掲示板に投稿した人たち」が出版した掲示板管理者を提訴した事件であって、「最後のパレード」の場合はネット上の改変されたあとの「ディズニーランド」の「感動エピソード」を知らずに利用したにすぎませんから、援用できるような判例でないことはすぐにわかる問題です。それと、蛇足ですが、まさか、原作を違法に改変した投稿者らが、「最後のパレード」関係者を提訴するとは到底考えられない話です。

 「2ちゃんねる」の「ディズニーランド」関連スレッドに書き込まれた相当数の「ネット情報」は、そのエピソードの舞台をすっかり変えて原作の同一性を改変した権利侵害行為ですが、この点に関し、著作権をもつ『小さな親切運動本部』側は、直接の原因者(読売新聞)そして直接の同一性改変者(ネット掲示板投稿者ら)の問題を先ず、整理する必要があります。

 
 それにしても、むしろ、原因者側にいる読売記者氏が、なぜ、経過、責任の所在を詳細に調査、取材しないで、「盗用疑惑」というような言葉を使い、あたかも不正を働いたように記事を執筆、掲載し、中村氏や発行元を過激に非難したのか不思議です。

 その結果、すでにこの本を店頭から引上げることを決めた書店がでている実害が発生している以上、今後、読売新聞側は責任を問われかねない事態もありうるようにも感じます。

 また、この問題では、社員(キャスト)の方が権利主張する著作権者として登場するなど、法的には根拠が疑わしいものまで出てきているようですし、多くの整理が必要ではないか、と思われます。 著作権法には記者たちが見落としている重要な定めもあるように思います。

 特に、読売側には、単なる第三者ではなく、原作を公表しネット流出させた原因者であって、むしろ当事者ですから、前記疑問について真摯な態度で回答されるようお願いをしたいものです。
 
 
     しかし、事態は暴走を続けています。
    − 読売記者は「謝罪」だけで済みますかね −

「大手書店チェーンの「丸善」(本社・東京)は28日、東京ディズニーランドにまつわるエピソードを集めたとされるベストセラー「最後のパレード」(中村克著)の販売を取りやめ、全国の系列約30店の店頭から撤去することを明らかにした。
 同書は「小さな親切」運動本部のキャンペーン入賞作などを無断で引用していたことが判明し、版元のサンクチュアリ・パブリッシングは著作権法違反を認めて謝罪したが、自主回収は行っていない。
 丸善は「(同書に)いろいろな問題があることが判明し、売り場から撤去することが適当だと判断した。最終的には返品も検討する」としている。」
(産経ニュース 2009.4.28 19:43)

「 ・・・同書については、収録されていたエピソードが、「小さな親切」運動本部のキャンペーン入賞作を無断引用していたことが判明し、同本部が新聞への謝罪文掲載や自主回収を要求。・・・」(産経ニュース 2009.5.1 13:18)

 http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page222.html

 


 

2009年05月02日

山しげらずば、いわし寄り申さず候

私は地球市民として活動しています。著作権者の許可も取っていますので安心してお読みください。

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/BDDBB4C4.pdf

 

 

 

2009年05月02日

マスコミには見抜けない真実@ 【秋葉原事件の真相】

名著「ディズニー7つの法則」にはこのように書かれています。

  まるで何の反応もなかったとき、どんな気持ちがするか、よくわかっていないのです。何をやっても無視されていれば、何もやる気がしなくなってきます。

  “評価なしのおそろしさを肝に命じておいてください。 

ディズニーの警鐘は正しかった。評価なしの結果が秋葉原事件なのです。

レポート「秋葉原連続殺傷事件の真実」(無断引用、転載、リンクを固く禁じます。)

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/akiba.pdf

2009年05月02日

ノミのキンタマの8分の1

淑女の皆様には朝から失礼します。

 

私の父は元日本軍の軍曹(上官は池部良氏であったと聞いた記憶があります。)であり、とても厳しく私を躾(しつけ)ました。

 

自分のことしか考えない「せこい」こと=「エガワる」ことをすると・・・「ノミのキンタマの8分の1のようなちっぽけな人間になるな!」とよく叱りつけられました。

 

父に代わって、サンクチュアリ出版様を攻撃しているちっぽけな人たちを叱りつけたいですね。

2009年05月02日

少しだけ正常になってきました。

皆様の励ましのおかげです。

 

過去にこんなことを書いていたことを思い出しました。

 

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/10898347.html

 

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13280228.html

 

 

2009年05月01日

「なぜ最後のパレードだけが」の不思議

 

 前著「すべてのゲストがVIP」の発刊時には、こんな騒ぎにはなりませんでした。オリエンタルランドからも「謹むように(慎重に事をなすという意味)」という文書もいただきませんでした。(今後はディズニーランドに関する本は決して執筆しません。) 


「オウム一行が来る、対応は中村SVに任せる」

 

この在籍者だけが知り得るエピソードを掲載したことに対しても何のおとがめもありませんでしたし、ディズニーランドの元同寮から「運営本部の本棚にある」と知らされ、とても喜んだ経緯があります。

 

元キャストによるディズニーランドに関する書籍はたくさん出版されています。

 

http://maihamakyo.org/mbookb.html

 

私はディズニーランド在籍中も今も「パークバリューを高める」ことだけを考えてきました。「パークバリューを下げる本」など書く理由がまったくありませんでした。

 

反対に、「パークバリューを下げる本」も発刊されています。

 

「社会人として大切なことはみんなディズニーランドから教わった」


この本には「上長から回し蹴りを食らった」など、ディズニーランドのパークバリューを下げる内容も書かれています。(オリエンタルランド社内では、回し蹴りをした犯人探しが始まるのは必然です。)

 

問題にすべきは、パークバリューを高める「最後のパレード」ではなく、パークバリューを下げる、「エガワる思想」の社会人として大切なことをディズニーランドから学んでいない元準社員」が書いたこの本ではないでしょうか。あるいは、ディズニーランドを「詐欺呼ばわり」している「バカの壁」なのではないでしょうか。私はそう考えます。

 

サンクチュアリ出版様はディズニーランドと同様に「量より質」を重んじる出版社です。年間12冊以上出版しないことでも、書店様から高い評価を受けています。

 

他方、「社会人として大切なことはみんなディズニーランドから教わった」という愚書を発刊している「こう書房」はまさに「質より量」の姿勢です。

http://kajiyu.cocolog-nifty.com/kagurazaka/2009/03/post-f0cd.html

 

オリエンタルランドは、このような出版社にも毅然たる態度で臨んでいるのでしょうか。

 

「中村さん、出る杭は打たれるのです。信じていますから頑張ってください。」という温かいメッセージもたくさん頂戴しています。

 

嵐に襲われている今日…できるだけ冷静に対応していきたいと思います。

   

2009年05月01日

中村 克が「ひれ伏せ」に屈服しない理由

この記事を読んで頂ければご理解いただけるはずです。

それでもご理解いただけない方は、今や引っ張りだこのヤメ検、郷原信郎氏の著書「思考停止社会」をお読みください。

 <引用開始>

食の偽装、建築の強度偽装、ライブドア事件、厚生年金記録の「改ざん」問題。取り上げられる事例に共通することは、コトが表面化した途端に企業、組織がメディアや世の中からバッシングされ、事実や背景、原因は無視される構図だ。

 「法令遵守」「偽装」「隠蔽(いんぺい)」「改ざん」「捏造」バッシングに使われる言葉の数々を、時代劇になぞらえ「印籠(いんろう」と呼ぶ。

 日本人は「印籠」を出されるとひれ伏してしまう。メディアも世の中もバッシングに加担。思考停止です。
<引用終了>

419日 朝日新聞  

 

朝日新聞、平成12年3月5日の「天声人語」から 

<引用開始>
「私は心の底では責任があるとは感じていません」

彼は、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。ユダヤ人虐殺にかかわった戦犯として、一九六一年にイスラエルで裁判を受け、死刑になった。 その法廷の未公開記録映像をもとに作られた映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』が、東京と大阪で上映されている(名古屋などでも上映予定) 

なぜ罪を認めないのか。「私は命令に服従しなければならず、それを実行しなければならなかった」と、彼は言い募る。

上官に忠実だっただけであり、同じ立場なら、だれもが同じ事をしただろう。だから人道的にはともかく、法的な責任はないのだ、と この弁明に、裁判を取材したユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレントは当時、『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)を書いて反論した。 

<君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性とのあいだには決定的な相違がある>。事情はどうあれ、実際に「服従」したことそのものに罪があるのだ、と 
<引用終了> 

服従するのは無責任であると断罪しています。「自覚なき殺戮者」・・・実に重い言葉です。 しかしながら、日本人は「自覚なき服従」を可とします。 

<引用開始>

<新入社員>「良心に反する仕事でも行動」 初めて4割超に

 社会経済生産性本部が26日まとめた04年度新入社員意識調査で、「自分の良心に反する仕事でも指示通り行動する」との回答が43.4%に上り、初めて4割を超えた。給与や昇格で年功序列を望む傾向も過去最高に達しており、同本部は「厳しい就職活動を背景に、滅私奉公的なムードが強まっているのではないか」と分析している。

毎日新聞 2004年426

<引用終了>

 

秋葉原事件を起こした加藤容疑者と同年代の思想です。例え他人を傷つけようが、自分のためならなんでもするという「エガワる思想」と言えると思います。


民主政治と国民の態度


<引用開始>

★民主政治とは意見の違う者に対し、その人の意見が用いられる余地を残すやり方で、自己主張するが、相手の主張も尊重する政治である。
 

★民主主義的であるというのは国家意思の形成に参加すべきだということだけではなく国民に良心の自由、言論、出版、とくに結社の自由を保障しなければならない。


これに対して独裁政治は相手方の立場を尊重せず、これを無視して一人または少数の人々の意見を押し通して行う政治のやり方であり、一面、専制政治とも呼ばれている。

<引用終了>

  (「民主政治と国民の態度」という8,672文字の公開された論文から215文字を引用いたしました。) 
 
小沢党首の秘書逮捕も私の一件と同じです。このような強権者支配を見せつけられると、国民は「見ざる、いわざる、聞かざるになってしまって、正しい意見、良心的な意見が述べられなくなる。」とこの論文は主張しています。 


私も全く同意見です。私が受けた「仕打ち」のように、まさに「無理が通れば道理が引っ込む」のです。

 

私は30年以上前の「江川事件」から、世の中が変わったと考えています。日本人が変わってしまったと考えています。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

「最後のパレード」の著者として、思いやりのある世の中に戻って欲しい、そう願ってやみません。