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マルチに活躍、清志郎ロックもう聞けない

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手元に戻った愛車とともにステージに現れた忌野清志郎
手元に戻った愛車とともにステージに現れた忌野清志郎

 清志郎さんはデビューから40年、常に反骨精神を持ち、社会的メッセージをロックに託して歌い続けてきた。原発や戦争など、タブーにも臆(おく)することはなかった。過激なメッセージが問題になり放送、発売禁止になることもあったが、屈することもなかった。清志郎さんの58年の人生そのものがロックだった。

 デビューから40年間、ロックを歌い続けた。日本語とロックは合わないという常識を覆し、日本語で歌うロックを送り出した先駆けだった。言葉と音楽が融合したことで、さまざまなメッセージをロックに託し、セックス、戦争、政治、原発、君が代、北朝鮮など、タブーと言われる問題も歌った。発売中止、放送禁止もたびたび起こった。88年、アルバム「COVERS」の中に原発を扱った曲があるとして発売中止になった時は、社会的にも賛否両論を起こした。しかし、その直後に覆面バンドのタイマーズを結成し、各所でゲリラ的なライブ活動をするなど、常に体制と戦ってきた。清志郎さんが歌ったロックは、ロックが目指す本来の姿勢そのものだった。

 イベントでの限定ユニットも含めると50以上になる。82年、坂本龍一と組んで発表した「い・け・な・いルージュマジック」は資生堂CMにも使われ大ヒットした。細野晴臣、坂本冬美とのHISや、とんねるずの木梨憲武と組んだユニットもあった。94年に長崎の雲仙普賢岳噴火の救済コンサートで、泉谷しげる、吉田拓郎、小田和正、井上陽水、浜田省吾と組んだ「スーパーバンド」は、名前の通り最強にして伝説のユニットになった。最近では及川光博と「ミツキヨ」を組むなど、年代を超えた活動もした。活動期間が長いRCサクセション、タイマーズに軸足を置きつつ、自由に音楽を楽しんでいた。

 00年、なだれで生き埋めになった息子を救助した老人の話を偶然聞いたことがきっかけで、昔の人の鍛えられた足腰の力に感動した。東京から鹿児島までの自転車旅行を決意し、10日間で完走した。それ以来、自転車が主な移動手段になった。05年には愛用の自転車「オレンジ号」が路上で盗難に遭い、ホームページで返却を呼び掛け話題になった。転倒して肋骨(ろっこつ)と鎖骨を折る大けがを負ったこともあったが、喉頭(こうとう)がんの手術後もペダルをこいでリハビリを行うなど、常に相棒のように自転車があった。

 94年、主題歌を歌ったTBSドラマ「ボクの就職」に、スナックを経営しながらライブ活動を続けるおじさんミュージシャン役で出演した。芝居の楽しさを知り、その後も断続的ながら、多くのドラマ、映画に出演した。05年の映画「妖怪大戦争」では、妖怪ぬらりひょんを演じた。映画会社の試写室で息子と一緒に作品を見て「どうだった?」と、誇らしげに聞いていた姿もあった。ドラマ「野ブタ。をプロデュース」では書店店員、木村拓哉主演の「ギフト」では引きこもりの中年男など、ゲスト出演でも見た人に必ず印象を残していた。ほかに映画「さよならCOLOR」「さくらん」「たみおのしあわせ」など。

 [2009年5月3日8時45分 紙面から]


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