● 植物の意識、花の意識

このよう話を聞いたことがあるかもしれません・・・
花に向かって、毎日やさしい声をかけると、きれいな花が咲くと。

朝は、「おはよう、今日も元気でね!」と声をかけ、
帰ってきたら、「いつもいつも、キレイに咲いてありがとう!」と。

毎日のように優しい声をかけると、その花は、ほんとに綺麗に咲くそうです。他方、何も声を
かけなかった花は、可哀想なぐらい元気がないという。不思議だけど、本当の話です。

もし、自宅に、枯れそうな花があったら、「がんばれ!」と声をかけてあげてみてください。
あなたの励ましの声を聞いて、きっと元気を取り戻すはずです。

★イギリスのスコットランドの北の端にある『フィンドホーン』、そこは「現代の聖地」とも言われ、
そこに住む人は普通のように、植物や木々とコミュニケーションを交わし、彼らから「メッセージ」を
受け取ったりします。(ちなみに、フィンドホーンの「フラワーエッセンス」は、このような土壌の中か
ら生まれてきました)。

日本には、「木のお医者さん」(樹木医)がいます。病気になった木を診るとき、 「がんばれよ、
いま治してやるからな!」と話しかけて、病気を治すそうです。人間と同じです。すぐれた「樹木医」
は、木を見ただけで、どこが悪いか分かるそうです。きっと、木が何かを教えてくれるのでしょう。

もしかしたら、木や植物にも意識があるのかもしれません。
実際、そんなふうになったら、面白いですね。。

人間にとってやさしい言葉は、植物にも同じように心地よいものと感じるのでしょう。
花や植物が人間の言葉や思いに反応するということは、花や植物にそれを感じ取る力があるか
らです。きっと植物には、人の声や心を理解するテレパシーのみたいな能力があるのでしょう。

日本には、「樹霊」という言葉があります。また、言霊(ことだま)という言葉もあります。
古代の日本人には、見えないエネルギーを感じ取る力があったのでしょう

植物や木は、自分に注がれる愛情に対して、ナイーブな感受性を持って、喜んだり、悲しんだり、
恐れたりします。だから、人間の言葉や思いに敏感に反応します。もし、あなたが歌が好きなら、
歌を唄って聞かせてあげてみてください。そうしたら、キレイな花を咲かせてくれるでしょう。

また、このような実験もあります。
「牛」にクラッシック音楽を聞かせて、「お乳」の出をよくしたり、野菜や草花にクラッシック音楽を
聴かせて、栽培効果を上げる農法もあります。酒を作る醸造所では、クラッシック音楽を流すと、
醸造の過程でうまく麹菌が発酵して、柔らかな味のいいお酒が出来上がると言われます。
いろんな実験がなされています。面白いですね。実際に効果があるから、やるのでしょう。

人間にとってやさしい言葉は、植物や動物にも、同じように”心地よい”ものと感じられたとしても、
ごく自然なことではないでしょうか。美しい音楽から発するやさしい波動(エネルギー)は、植物や
動物にとっても、心地よい音色なのです。植物も動物も、この世の生きとし生けるものすべてが、
他者から発する微妙な波動をキャッチするセンサーを備えているのかもしれません。
もし、植物にも意識があれば・・・・
あなたが花に触れれば、花は誰かが私に触ったと感じるでしょう。
あなたが花に声をかければ、誰かが私に話しかけたと大喜びするでしょう。
あなたが花を見つめけば、花もあなたを見つめています。

それだけではなく、あなたが思ったこと、考えたこと、すべては伝わるのです。
生きとし生けるものすべてには、私たちと同じ生命が宿っている。
一枚の葉、一本の木、すべての生き物は意識が宿っているのです。
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スピリチュアルメッセージ−]V
・花の意識・植物の意識、植物は気づいている。
・物質の意識、ミクロの世界を覗く
● バクスター氏、世界を驚かせた実験!

意識というのは、人間だけにあると思っている人がほとんどです。
植物には口や耳、脳も神経もありません。そんな植物に意識がないと考えるのが普通です。
しかし植物が人間の気持ちを”キャッチ”していることを裏付ける実験もある。

一番有名なのは、1966年にアメリカの「クリーブ・バクスター」という人が行った実験です。
彼はアメリカ FBIの検査官で、「うそ発見器」の専門家でした。うそ発見器というのは、体に微弱な
電流を流し、皮膚で測定した電気抵抗が、「ポリグラフ」にどのように表れるかを見て、被験者の心
の動きを読もうとするものです。

体を流れる微弱電流は、心の状態によって変化します。例えば、人は「うそ」を指摘されると心が動
揺し、呼吸が早くなったり、脈拍が増えたり、汗をかいたりして、電流が流れやすくなります。顔には
出ない動揺やショックも、皮膚の電気抵抗を測定すると、はっきりと確認できてしまうのです。

バクスター氏は研究室にあった「ドラセナ」という木(幸福の木の一種)に、「うそ発見器」をつけたら、
どんな変化が出るだろうと考えました。そして実際に、葉にうそ発見器の電極をつけ、「水をやれば
植物が水を吸って電気は流れやすくなり、電気抵抗値は小さくなる」という仮説を立てたのである。

バクスター氏は実際にライターで葉を焼いたのではありません。彼が驚いたのは、葉を焼いてみよう
と思った瞬間、うそ発見器が反応し、ポリグラフには、”のこぎり”の歯のようなギザギザの跡が描き
出されたのである。しかも、この変化が、感情的に興奮している人「間の反応」によく似ているという
ことでした。さらに面白いのは、単に脅かす”ふり”をしただけでは、ポリグラフには何の変化も起きな
いのである。そこで分かったことは、「植物は人間の心を感じ取って」反応しているということでした。
<植物を燃やそうとした時の「ポリグラフ」の変化>

また、果物の「オレンジ」の両端にオシロスコープの電極をつなぎ、1メートルの高さから「ナイフ」を
オレンジめがけて落とそうとすると、ナイフが空中にあるうちから、オレンジの出す電気信号が鋭角
の波を描くという。さらに興味深いのは、オレンジに当たらないようにしてナイフを落とすと、オシロス
コープには何の変化も現れないという。

最も興味が注がれたのは、「植物は事件の目撃者になれるかもしれない」という実験である。
この実験の被験者は、二個の鉢植えの植物と、6人の研究生で、誰かが二個の植物のうちの一個
を、鉢から引き抜くという実験である。もし、植物に意識があるなら、鉢から引き抜かれてしまった
植物を、もう一個の植物がそれを目撃していたことになる。

例えば、人が殺人事件の現場を目撃して、犯人が目の前に現れれば、大変な恐怖がわき、ポリグ
ラフの針が激しく動きます。そこで、目撃者である植物にうそ発見器を取り付け、その前を6人の研
究生が順番に歩き、植物の反応を見たのである。そうすると、木を引き抜いた人が植物の前にきた
瞬間、ポリグラフの針が激しく振れ、それ以外の人の前では、何も反応を示さなかったのある。この
実験で分かったことは、植物は犯人を見ていた、覚えていたということである。

また、市販のヨーグルトに脳波形タイプのGSR(皮膚電気反応計)の電極をつないで実験をすると、
人間が考えただけで、言葉にする直前にポリグラフに反応の波が現れるという。また、別の実験で
は、赤血球や白血球、さらにはステーキ用の肉片でさえも、まるでそれ自体が意識をもっているみ
たいに、ポリグラフに反応の波が現れるという。驚きの連続である。(ステーキ用の肉片が反応する
なら、人間の細胞にも”固有の意識”があると理解しても不思議ではないでしょう)。

このような実験結果を見ると、木や花とコミュニケーションを交わしたり、彼らからメッセージを受け
取る人がいても何ら不思議ではありません。木も花も、人の思いを敏感に感じ取っています。
だからこそ、人が花に優しい声をかけたりすると、きれいに花を咲かせてくれるのでしょう。

しかし、たとえそれが事実であっても、「なぜ植物は人間の考えをキャッチできるのか」、この点を
論理的に説明できないと、現代科学の理解を得るのは難しい。。植物を解剖して、目や耳や脳に
相当する器官が見つかれば、説明は簡単でしょうが。そして今、生物間の情報伝達(バイオ・コミュ
ニケーション)という言葉が使われ、医学の世界では、「生体間(細胞間)コミュニケーション」という
言葉も使われるようになり、時代も大きく変わってきました。

人間には、視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚などの五感がありますが、植物や動物などの生命体には、
それを超えた「何か」(第六感、第七感・・・)を持っているに違いありません。バクスター氏は、五感
の根底に、すべての生き物が共通して持っている感覚があるのではないかと考え、それを「原初的
知覚」(Primary Perception)と呼んでいる。人間にもこのような能力がある。

<参考文献>
・『植物は気づいている』クリーブ・バクスター著、穂積由利子 訳、日本教文社
・『植物の神秘生活』ピーター・トンプキング&クリストファー・バード著、新井昭廣 訳
・『植物と話ができる』−草木と人の素敵な感動物語−、小田原泰久 著、廣済堂出版

特殊な装置を利用して撮影する「キルリ
アン(kirurian)写真」というのがございます。
この器機は生物が発する「エネルギー」を
映し出すことが可能で、例えば植物の「葉」
を写真で撮ると、葉先から2〜5ミリ程度広
がったエネルギーの輪郭が映し出されます。

元気のない葉はエネルギーの「勢いが弱く」、
逆に、元気のいい葉は大量のエネルギーを
放出しているのがよく分かります。

★生きとし生けるものすべてには、生命がやどり、意識を持っている。
私たちと同じように、意識が宿っているのである。これが「真実」かもしれない。

・もし、植物にも意識があれば・・・・私たちの話を全身で聞いているでしょう。
・あなたが花に触れれば、花は誰かが私に触ったと感じるでしょう。
・あなたが花に声をかければ、誰かが私に話しかけたと大喜びするでしょう。
・あなたが花を見つめけば、花もあなたを見つめています。

そして、あなたが喜んでいるとき、何かに傷つき悲しんでいるとき、あなたが”しょんぼり”しているとき、
「元気がない、どうしたの」と、あなたのことを心配しているかもしれない。

しかし、人が生きていくためには、何かを食べなければならない。
何かの犠牲なしでは、人は生きていくことができない。その犠牲の上で、私たちは生かされている。
料理をするとき、そこに置かれている食べ物は、自分の「生命の危機」を感じ取っているに違いない。
「自分の生命は終わる!」という恐怖心でいっばいなのだ。だが、私たちにはそのことが分からない。

だから、何かを食べるとき、料理をするとき、そのことを知らせ、言葉をかけてあげなければならない
のだ。食事の際の「いただきます」は、「命をいただきます」の意味なのです。
そして、何よりも大切なことは、私たち人間のために命を与えてくれる物への「感謝の思い」です。

生あるものには意識が宿る。意識は、人間だけにあるものではない。
多くの人がこれが真実であると認めるようになれば、社会全体に大きなインパクトとなり、パラダイム
の転換が起る。やがては、一日の始まりが、花や木に向かって、「おはよう、元気、今日もよろしくね」、
そんな日がやってくるでしょう。そうなりますように。

古来から伝わる「妖精や精霊の神話」。昔の人は、そのような事をよく理解していたのかもしれない。
(いつか、花や木と意思の疎通ができるようになったら、そのメッセージを皆さんに伝えたいと思う)。
● ミクロの世界、万物の意識

物質を最小単位まで掘り下げていくと、原子の世界になります。
原子構造を簡単に説明すると、中心に「原子核」 とい うものがあり
(これは陽子と中性子からなり)、その周りを「電子」が高速で回って
います。これが現時点の物質の姿で、電子顕微鏡で見ると、右の図
のようになっています。

ミクロの世界では、物質も植物も人間の体も、ある一定数の周波数で
振動しています。金属は金属の持つ周波数で、石は石の持つ周波数
で振動しています。人間も植物も同じで、それぞれ固有の周波数で振
動しているのである。それぞれの違いは、「周波数の振動の違いだけ」
です。何か不思議な話ですが。。

「量子力学」の世界では、すべてのものはエネルギーと捉えますが、(少数ですが)物質にも意識
があると捉える科学者もいます。 すべての存在は「原子核と電子」 からなり、それぞれの違いは、
周波数の振動の違いだけであるなら、存在するすべてものに意識があっても不思議ではないよう
にも思われる。そう思うのはわたしだけでしようか。

・もし、物質にも意識があれば・・・
・誰かがイス座れば、イスは誰かが私に座ったと感じるでしょう。
・誰かがカーペットの上を歩けば、カーペットはそれを意識するでしょう。
・テーブルの上にコップがあれば、テーブルはそれを意識するでしょう。
・もし、実際、そんなふうになったら、面白いですね。。

近年の物理学は目に見えない世界を対象とした研究も盛んになり、人間や動植物などの生命体
も、非生命体(物質)も、あらゆる存在は「同じもの」からできているという結論にいたりました。
これまでは哲学や宗教の専売特許であったような考え方が、今では物理学や量子力学の世界
でも主なテーマになりつつあります。時代は確かに変わってきました。
例えば、人間の体は60兆もの細胞でできていますが、その細胞を形成しているのは分子です。
これをさらに細かくすると、分子は原子核と電子から成り、これは動物も植物も物質も同じです。

石や金属、植物や動物、目に見えるもの、見えないもの、すべての存在は、それぞれ固有の周
波数を発し、振動している。人間と物質との違いは、「単なる周波数の違いである」 と考えると、
何か不思議な感じがします。しかし、これが現代科学が導き出した結論です。

科学と精神世界は、コインの「表と裏」のような関係に位置している。解明が難しい「スピリチュアル
な世界」、これを証明できるのは科学であり、科学でしかそれを証明できないでしょう。と同時に、
量子力学を含め、科学の「未知の分野」を一番よく説明できるのはスピリチュアルな捉え方である。
この二つが相互に理解される日、そんな時代が早晩やってくるでしょう。

来るべき時代、そんな先でもないような気がしますが、
「ワン・ネス」、すべては「ひとつ」。それが人々に理解される時がやってくるでしょう。
そして、科学がそれを証明することになるでしょう。私が生きている間に、そうなるように!