駐日米大使に、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が任命されるという。ナイ氏はクリントン政権で国防次官補を務めた。冷戦後に日米安全保障条約の存在意義が問われ経済面では通商摩擦が激化した。そうした日米関係の危機を救ったのがナイ氏の「日米安保再定義」だ。
これは旧ソ連に対する対応策だった日米安保を、アジア・太平洋の平和のための条約に「格上げ」するもので、日本の対米協力が加速、ついにはイラクへの自衛隊派遣に至った端緒ともみることができるだろう。
今日の憲法問題でもっとも鋭い争点となっている「集団的自衛権」の行使の是非も、もともとは日米同盟の強化に不可欠のものという文脈で登場してきた。その最も有力な論客が米国の大使として日本に赴任する意味は小さくない。
しかし、憲法問題への国民の関心は高いとはいえない。「世界同時不況」で暮らしが脅かされており、語弊をおそれず言えば「憲法どころではない」という気分であろう。政界の関心も薄い。国民投票法成立で2年前、衆参両院に憲法審査会が設置された。だが、委員の数や議事の進め方などの審査会規定が未整備で、議論を行う態勢になっていない。
日本を覆う閉塞(へいそく)感は経済問題に限らない。日本は本来持っている潜在力を発揮していない。そんなもどかしさを、多くの日本人が感じているように思われる。憲法を考えるということは、国のあり方と進路を点検することである。混迷が深いならそれだけ有益な作業になるだろう。
「国の安全」という問題に限定しても、問題は山積している。とりわけ、世界的なパワーシフトの中で、従来の日本の安全保障政策でよいのか、再考する必要がある。ナイ教授が提唱する「ソフトパワー論」自体がよい素材であろう。
ブッシュ前政権はハードパワー(軍事力など)を過信してイラク戦争に突入し、世界の信望を失った。クリントン米国務長官は今後はこれにソフトパワーを加えたスマートパワーを米外交の基礎とすると表明した。強制力でなく人権重視の価値観や文化的魅力によって相手の自発的協力を引き出そうというのだ。
米国に協力的な日本はそのソフトパワーの有効性の証しであり、オバマ米大統領は麻生太郎首相を外国首脳として初めてホワイトハウスに招くなど、日本重視の姿勢を示した。ナイ教授の起用もその一環だろう。
ただ、日米同盟の維持には、日本の「集団的自衛権の行使」が不可欠という考え方を米国は鮮明にしている。ナイ教授も講演で「ミサイル防衛で日本に向かっているミサイルは撃墜するが、アメリカに向かうミサイルは黙って見送るというのではアメリカの世論が許さない」と述べている。日米同盟は難しい局面に差し掛かっている。
米国で「G2」論が台頭していることにも注目すべきだ。米中による世界経済運営論である。米国のアジアにおける2国間関係で優先順位ナンバーワンは日本から中国に移ったのではないか。北朝鮮が核とミサイル開発を手放そうとしない現状では、米国との同盟が日本の安全に不可欠なのは明らかだ。しかし、追随するだけでは日本は国際政治の脇役に追いやられ国益を守れない。
米通商代表部の日本部長を務めた在日米商工会議所名誉会頭のチャールズ・レイク氏は、「黒船はもうこない」と米国の対日戦略の変化を指摘する。米国がかつてのような露骨な外圧を日本にかけることはない。長期的には嫌米感をまねいて得にならないからだ。
日本は大きい改革に際して、抵抗勢力をだまらせるため、しばしば外圧を利用してきた。だが、それではもはや世界の構造変化に対応できない。どこまで、日米同盟を拡張し強化していくのか、危険な任務も多い平和構築にどこまで踏み込んでいくのか、日本は自分の頭で考え国民的合意を形成しなくてはならない。
その場合、ソフトパワーを重視し戦略的に位置づけるべきだ。例えば留学生政策。旧ソ連ゴルバチョフ政権で、ナンバー2だったヤコブレフ氏が自由化政策を献言した背景には米コロンビア大学に学んだ経験があるとナイ教授は指摘している。英BBC放送の調査では、世界における日本の好感度はカナダと並び最高だった。もっと自信をもってよい。
日本はイランやミャンマーなど米国が「苦手」とする国々とも独自外交で友好関係を築いてきた。地域の安定への貴重な政治資源だ。政府開発援助(ODA)も世界2位から5位に下がったが、このODAの貢献によって日本の発言力が支えられてきた面が大きい。
ソフトパワーが問われているのは米国よりむしろ日本であろう。
毎日新聞 2009年5月3日 東京朝刊