憲法21条で保障された「言論、表現の自由」の一翼を担う出版ジャーナリズムが逆風にさらされている。名誉棄損による高額の賠償命令が近年相次ぐ。出版社側に情報提供したことで刑法の秘密漏示罪に問われた鑑定医が有罪判決を受け、週刊新潮による朝日新聞襲撃事件の誤報問題は、読者の期待を大きく裏切った。関係者の発言からは、出版界への危機感が伝わってくる。
「萎縮(いしゅく)していないと言ったらウソになる。ネタも通りにくくなっている」。高額の賠償命令について30代の週刊誌記者は明かした。「週刊誌記事の見せどころは、視点や発想を転換させる文章力だが、不用意な表現はやめた。でも、それでは新聞記事と変わらない」と話す。
3月、大相撲の八百長疑惑を報じた雑誌「週刊現代」の記事をめぐり、東京地裁が講談社に1540万円の賠償を命じたのに続き、メディアを対象とした訴訟では過去最高とみられる4290万円の賠償を同社に命じた。
元共同通信記者でジャーナリストの魚住昭さんは先月28日、ウェブマガジン「魚の目」(隔週更新)をスタートさせた。月刊現代の休刊をきっかけに「多様な情報空間がやせ細りかねない」との危機感からだ。魚住さんは「司法や検察が世論に乗じて情報空間への影響力の拡大を狙った思い上がりだ」と批判。その上で、講談社の「僕はパパを殺すことに決めた」(草薙厚子著)の出版がきっかけで鑑定医が先月、奈良地裁で有罪判決を受けたことや、週刊新潮誤報問題について「売らんかなの意識が先行し、取材の基本を忘れた。司法権力の影響力増大と出版社の力量不足が組み合わさって一連の問題が起きた」との見方を示した。
鈴木秀美・大阪大法科大学院教授(憲法)は「(出版社側の)弁護士の力量不足が見逃せない。裁判官に表現の自由の特性について説明できていないのではないか」と、相次ぐ敗訴の背景を指摘、「憲法論が実務や法曹養成の仕組みの中で軽視されている」と分析する。
元週刊現代編集長の元木昌彦さんは「発行部数の減少で取材費や記者数が削減される中で、『僕パパ』や週刊新潮誤報問題が起きた。ジャーナリズム系雑誌の市場が縮小し、新聞やテレビが取り上げない情報を報じてきた週刊誌がなくなっていいのか」と話す。
先月21日に日本雑誌協会(96社)理事長に就任した上野徹・文芸春秋社長は毎日新聞の取材に応じ、高額の賠償命令が相次ぐ名誉棄損訴訟について、協会の編集委員会で研究を始めることを明らかにした。業界横断的な取り組みは初めてという。
編集委員会の下部組織で、文芸春秋、新潮社などの役員級9人で構成する「個人情報・人権問題特別委員会」が担当する。
最近の判決では、社長個人の過失責任を認めたり、記事の取り消し広告の掲載を出版社に命じた。委員会では、弁護士や専門家らのヒアリングを通じて判決の問題点などを具体的に検討する。上野理事長は「米国では公人に対する名誉棄損訴訟で、報道側が虚偽だと知っていたなど『現実的悪意』を、原告側が立証する仕組みだ」と指摘。「日本では、出版社側が真実相当性の立証を求められるなどバランスを欠いている。国際的な比較を含めて法律的な研究を進めたい」と語る。
一方で、上野理事長は「高額化は人権回復の目的があり、流れは自覚している」と話す。議論を通じ、報道の問題点についても検討し、出版ジャーナリズムの信頼回復につなげたい考えだ。【臺宏士】
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■ことば
1項で一切の表現の自由を保障している。最高裁は報道機関の報道について「国民に重要な判断資料を提供し、知る権利に奉仕するもの。思想表明の自由と並び、事実報道の自由は憲法21条の保障の下にある」との判例を示す。一方で、その手段が他人の権利を不当に害するものは許されないとの判例もある。
毎日新聞 2009年5月3日 東京朝刊