PLAYNOTE 演劇感想文におけるモラル

2009年05月03日

演劇感想文におけるモラル

公演活動, 01:46

書けば損、言えば仇、示せば隙になるような、でも言わずにはいられないようなことが世の中にはあって、それを黙殺することは物書きにとって自殺行為だと思うから、あえて書くのだが、書く前からヒヤヒヤしています。演劇感想文におけるモラルについて問う。

CoRich! にこういう感想が載ったのだけれど。正直、ひどく心が傷ついたので、こういうのはやめておくれ、と懇願したい。
http://stage.corich.jp/watch_done_detail.php?watch_id=38723

結局のところ「わからない」しか内容がない感想なんだけれど、「わからない」「理解できなかった」、それはいい。こう書いてあるのに品性を疑う。

なんにしろ、女性の下着姿を見せられて、それだけが目に焼き付いた。下着は嫌いじゃないけど・・・芝居の内容は意味不明。最後、下着の女の子の一人芝居なんかは眠くなって眠くなって、どうしようかと思った。

ちょうどL字型に客席が配置されているものだから反対側の客席をずっと見てたら、男性はほぼ女の子の股間に目がいってた。これって、そういう舞台?

違います。本人もわかって書いているんだろうけれど、こういう敬意を欠いた言葉の交流が、観る側にとっても作る側にとってもマイナスにしかならないということをはっきりここに書いておきたい。

僕は当然、全ステージ観ているわけで、このお客さん(劇団からチケットプレゼントを出した方なのでよく覚えている)がどの回にいたのかも把握しているし、そのときの客席状況も記憶しているが、「男性はほぼ股間に目が」なんて根も葉もないデマゴーグを垂れ流されて、「貴重な感想ありがとうございます☆」なんて言う気にはなれない。同じ回を一階客席で観ていて、熱心な賞賛や強い興味を示してくれた男性のお客さんが確実にいて、直接そういう意見も聞いているだけに、ちょっとこの記述は作り手のみならず観客をも巻き込んで馬鹿にしている感があり、正直、腹が立つ。自分がわからなかったからと言って、それを無理矢理一般化しないで頂きたい。

「わからない」なら「俺はわからない」でいいし、「つまらない」なら「私にはつまらない」でいいが、相手がいることだってことを思い出して欲しい。ラーメン屋でラーメン食って、店主の目の前のカウンターでただ「まずい」とか「ダシに牛のクソでも使ってるのか?」なんて言う客を想像して欲しい。それが食文化を育てることに繋がるか? そういう意味のない罵倒を許していいものか?

お客様は神様だ、なんて言葉が、現代では悪い意味で一人歩きして、客は神で提供側は奴隷みたいな社会状況が生まれているけど、そういう状況を見る度に本当に頭に来る。「お客様は神様だ」は商売人の謙虚さを示すための言葉であって、客の増長を促すための言葉ではない。コンビニで居丈高に店員に向かって「早くしろよ、急いでんだから」とか言ってる客や、少し配膳が遅れただけのメシ屋で「おせーよ、ふざけんな」みたいな悪口を叩いている客をよく見るが、品性を疑う、モラルを疑う。人間対人間のことだ。

ネット弁慶なんて言葉があるが、CoRich! に限らずたまにネットで酷い感想文を見ることがあって、本当に心が傷つく。真摯な批判は読む気になるし、素朴に発せられる「つまらなかった」は飲み込める。が、自分がわからなかったからと言って「パンツを見せるのが意図?」みたいなレベルの低い当てこすりをされると、殺意すら沸く。巨大掲示板・2chが便所の落書きと言われて久しいが、CoRich! やmixiみたいなSNSサイトや、ブログ社会だって匿名性という意味においては2chと一緒だし、敬意のない言葉が飛び交う様は便所の落書きと同じである。

なお、チケプレ募集にあたって、劇団としてはこういう言葉を伝えている。

  • 計8日間・18ステージのロングランですから、最初の三日での口コミを心待ちにしております。
  • 皆様のクチコミを支えに活動しております。ぜひご来場頂けますよう、関与者一同を代表してお願い申し上げます。

こうして平身低頭してチケット配って、だからと言って評価を甘くしろなんてことを言う気は毛頭ないが、こちらが礼儀を通して書いているのに、かつ、感想が欲しいということでやっているチケプレなのに、帰ってきた言葉は「下着の女の子の一人芝居」。おいおいおい、タイトルくらい思い出してくれよ。パンツ以外も見てくれよ。しかも四本短編があったのに理解できたのは下着だけ? チケットプレゼント損もいいとこだよ。せめて真摯に批評しようっていうスタンスくらい持ってくれよ。「下着の女の子の一人芝居」? あまりにも乱暴な言葉だ。どんなに好みに合わなくたって、下着以外何も覚えてないなんてことはないだろう。もし本当に下着だけしか覚えてないのだとしたら、問題があるのはあなたの見方だと耳元で絶叫してやりたい。自分と、出演者と、スタッフが、手塩にかけて作った作品を、「下着の芝居」なんて表現で片付けられて、へこへこ「ありがとうございました☆」なんて言うほど人間できてませんから。

ここまではこの一件に関する糾弾だが、この先どんどんネット文化が浸透していって、おそらく既存メディアの持つ力が相対的に薄れていって、その先にある状況を思うと怖気が立つ。自分自身の責任をかけて、名前を出して批評を書く批評家ではなく、何ら責任のない匿名の言葉が芸術なり表現なりの価値を伝えていく時代になれば、作り手側はどんどん萎縮していくだろう。「お客様は神様だ」「クレームにはひたすら謝れ」と言われている、コンビニバイトと同じ立場に追いやられていくだろう。暗い予感ばかり脳を飛び交う。

とりとめなく書き綴ってきたが、結局のところ言いたいことは、敬意の交換ということなのだ。内容のない当てこすりや意地の悪い皮肉を垂れるのではなくて、つまらないならつまらないで敬意と誠意のある言葉のやりとりができなければ、ネットレビューは便所の落書き以下に堕す。何のためにあるんだかわからない。

以上。この文章を書いたのは、DULL-COLORED POP主宰・作・演出の谷賢一です。

誤解しないで。いい芝居なんだよ。わかって欲しい。

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