草なぎクンの問題では、
すでに報道されてしかるべき「問題」が、
今日においても報道されることがありません。
広告中止となって「損害」を与えたクライアントに対し、「事務所」側が
どのような「保障」を支払ったのかということを、でございます。
多くのマスコミはあい変わらず「ジャニーズ事務所」さまのご機嫌に「障る」
ことになっては一大事と、戦々恐々として本質的なことに触れることができないでいる
のでございます。
バーニングやジャニーズについて報道しないのは、自民党や民主党のことは取り上げ
ず社会民主党や新党大地、共産党のことの話題でお茶をにごしている「政治報道」
ごときものでございます。
肝賢な野球やサッカーのことを無視して、ゲートボールやアクロスだけを
記事にしている「スポーツ報道」って何んでしょうか。
NHKをはじめとするテレビやラジオ、スポーツ新聞、御用週刊誌の皆さん、
あなたたちは「報道」機関ではありません。「報道の「看板」を降ろして下さい。
明日からはジャニーズあるいはバーニングの「企業舎弟」もしくは「広報」と
染めぬいたハッピを着てお仕事をなさることをお勧めします。
あなたたちがしている「芸能報道」なるものは単なる「弱い者」いじめでございます。
社会民主党や新党大地、共産党、ゲートボールとアクロスといった弱小の組織だけを
「餌」にして「報道」機関ズラは、片腹痛い、思いでございます。
日本の芸能評論家の皆さま、あなたたちは「豚」でございます。ブウブウとなんにでも
喰らいつくクセに、国民の「知る権利」に何一つ貢献しようとしない、
自分たいちだけが喰え肥えればいいとの「タイコモチ」商売は、国民にとっては
インフルエンザよりタチが悪く無益な存在でございます。
草なぎクンの問題の意義とは、今さらながらとは思いますが、日本のジャーナリズムの
「病巣」をアブリ出してくれたことにございます。たかが「芸能」という勿れ、
「芸能」においてこの「体たらく」が日本のジャーナリズムの「実相」なのでございます。
鳩山総理大臣、通称「鳩ポッポ」は「最低の人間だ」の前言を撤回し、首をスくめて
嵐が走り去るを待つがごとき「不作為」は許されないのでございます。
草なぎクンを「登用」した「地デジ」や「公共広告エコキャンペーン」の「CM中止」
によって「発生」した損害を、「ジャニーズ事務所」に対してどのように求めたか、
その結果どのような「決着」をみたか、つまひらかにする責任があるのでございます。
東京駅前の郵便局の工事現場で見せたヘルメット姿で、是非ジャニーズ事務所に突撃し
得意のそのパフォーマンスを見せて欲しいものでございます。
「お調子者はどこまでいってもお調子者である」ことをつら抜いてようやく一定の
「評価」を得るのでございます。この御仁、東大卒でございますから「記憶の天才」
なのでございましょうが、やることなすことその見かけとは反対に「軽く」見える
のは何故でございましょう。
「キジも鳴かずば射たれまい」のに、ハシャギすぎがアダとなって先頃も身内からの
献金を「脱税」「違法献金」として週刊紙で叩かれたのはご愛敬ではございました。
元秘書であったジャーナリスト杉山隆氏によれば、素顔は「愛すべき人物」
だそうでございます。
要するに「苦労知らずの三代目」なのでございましょう。
人生で必要な「どん底」や「逆境」を味わうことなく大人になった為に、
なんの「哲学」や「思想」を持つことなく思考回路がノッペリとした人格として
出来あがったのでございます。
草なぎクンに対して当初「絶対に許せない」と発言した「浅さ」
がそれを象徴しています。人間に対する観察が悲しいほど「浅すぎ」
なのでございます。
そもそも人間が人間に対して「絶対に許せない」と言い切れるご立派な立場の人間
などいるのか、ということでございます。
私達の親の親の親の親の親の親の、その先のズーッと祖先をたどればみんな人殺し、
盗ッ人、嘘つき、カッパライの「類」いでございます。そうした「残酷な生命力」
がなくしては弱肉強食の社会を生き抜き、ご先祖さまとして現代に命をつないでくることは
出来なかったのであります。
私たちには親や兄弟、親類縁者や女房子供まで足下にすることをヨシとして選択し
生きのびてきた「人非人」の祖先のDNAが刻まれておるのでございます。その「細胞の記憶」
が目覚めることのないのは、ひとえに「運がよかった」からでございます。
誰とて「運が悪い星の下」に生まれていたら、一歩間違がえれば人殺しに
なりえる「系譜」を背負って生きているのでございます。運がいいだけで口をぬぐって
ことさら「善人」ぶったり、「偉ぶる」のは「白痴」あるいは「卑怯者」でございます。
人を批判するときにはそうした人間の「源流」に対する深い洞察を持ってすべき
なのでございます。いつだってそうした「系譜」の血筋にあることを自覚し謙虚に、
「自虐的」に他者に対する批判を口にするのが節操というものでございます。
「鳩ポッポ」よ、絶対許せない人間がいるとしたらそれは絶対人を許せない
ということを平気で口にする人間、それはあなたのような人間にほかならないのです。
閑話休題、アカデミー賞を受賞したスラムダンク&ミリオネアに出演した少女の
父親をオトリにかけて「金で子供を売る親」のレッテルを貼って報道した
英国の新聞記者がおりましたが、なんと傲慢な所業でございましょう。
インドのああしたスラムに暮す人達は家族五人、十人で一日百円二百円の
その日暮しの人達でございます。もし今度生まれてくるとしたら絶対二度と
人間だけには生まれることがないように、と神様に祈り続ける日々の「極貧」
を生きている、涙も枯れた人達でございます。
アラブの大金持ちに子供がもらわれて行って、毎日の食事に困ることのない生活、
を送ることができ、とうてい親としてうけさせてあげることの出来ない高等教育まで
受けさせてくれるなら、是非タダでも貰って下さい、と言うのが親心でございましょう。
それに金をくれるというのならなおもありがたい、もっと下さいといって、
それを誰れがせめたてることが出来ると云うのでありましょうか。
誰れがそんな資格を持っているというのでしょうか。
神は自からが生きるためにやむえず我が子を犠牲にしてしまう親を、
決して罰しようとはなさっておりません。そしてまた悲運の子供たちに
「たとえ母が我が子を忘れることがあっても、忘れたとしても、私は忘れない」
との言葉を賜っているのであります。
ああした「極貧の善人」たちを「オトリ」にかけて「報道」しなければならない
「真実」とはなんなのでありましょうか。
奴等の正体は自分の金儲けや栄誉栄達のためには、
人を地獄におとしめて罪人としながら、一顧だにせず「絶対に許さない」
などと平気で言う「人でなし」なのでございます。
報道にたずさわる人間でありががら、人間の原罪に対して著しく無知であり、
やさしさが決定的に欠落してる欧米のジャーナリズム、恥知らずでございます。
さて再び、草なぎクンの問題でございます。実は今回の「事件」は
ジャニーズ事務所にとってはピンチでなく「千載一隅」のチャンスでした。
いかなる高額な賠償も行う、と敢然と表明することで「さすがジャニーズ事務所、
あれだけの賠償金は日本広しといえどもあの事務所しか支払えない、
だからこれからもやっぱりジャニーズ事務所は不滅だ」と万人に納得させること
が出来た筈でございます。
しかしながら「責任者」として出てきたのはご案内の通り普段の業務は駐車場係
(失礼)デスといった風体のオジさんでございました。
ジャニーが「ゲイが身を助けたカマ元」と揶揄され、ヤンキーの「頭のような狂った
母娘」と嘲笑されてきたメリー母娘がその汚名を晴らす絶好のチャンスだったのに、
その機会を失なったのであります。
日本最大の芸能事務所の規模となったのに、「戦術」があって
「戦略」がなかったのは日本の芸能シーンにとっても正直「残念」なこと
でございました。メリー、ジャニー姉弟も、ともに80を超えるに至って
「どうせ自分たち一代かぎり」と見下ろしているのでありましょうか。
さすれば次世代の夢を信じて頑張っているジャニーズ事務所の所属タレントの
青年たちにとっては、このうえもない「裏切り」となるでございましょう。
芸能界でタレントを志ざす者にとって、どのような芸能事務所に所属するかは、
その才能以上に「重要」な「要素」でございます。
想い出深いユニークな二つの芸能事務所があります。
浅井りえと宮沢りえが所属していた「事務所」でございます。
二つの事務所に共通していることが三つあります。所属タレントの名前がともに
「りえ」であること、社長が「女」であること、そして「自爆テロ」を得意とする、
ところでございます。
浅井りえはAV女優でございました。その初出演作品を私が撮りました。
ある日の午後のことでございます。当時人気の高かった「3時のあなた」
という番組を偶然見ておりましたら、テレビの画面に浅井りえと所属事務所の
女社長が突然映ったのでございます。
女社長がハンカチを出して、しきりに流れる自分の「涙」を拭いてます。
何事があったのか知らん、と思いました。「古谷一行さんには、これっきり
お別れすることをお伝えしたいと思います」女社長の涙ながらの告白、
でございます。
まさかこの肥えた(柳沢可奈子の体型とその顔に40過ぎのシワを加えた
ような容姿の持主)の女社長が、二枚目俳優のアノ古谷一行氏との
「浮いた話」かと一瞬驚きました、
がくだんの女社長、横に並んでいた浅井りえに向かって
「りえちゃん、古谷一行さんとはお別れすることにしたのね、
そうでしょ。あきらめて身を引くことに決めたんでしょ」
とうながすのでございました。果たして
りえ嬢はコックリとうなずいて見せたのであります。
「りえさんと古谷一行さんとのお付き合いはいつからですか」
「りえさんに対して、古谷一行さんはなんとおっしゃっているんですか」
「事務所はいつから二人の関係を知っていたんですか」
囲んだ報道陣からの、矢つぎばやの質問でございます。
事務所の女社長、それらの質問には一切答えず「りえの女心が不憫で不憫で」
と号泣し、泣きくずれるさまを見せるのでございました。
呆然としながら泣きじゃくる女社長を見守る浅井りえ。
翌日のスポーツ新聞やテレビの芸能ニュースはこの「話題」でモチキリとなった
のでございます。自宅に帰へって来た古谷一行氏に対しても
テレビカメラが容赦なく向けられました。
が、古谷一行氏、少しも臆する風を見せることなく「浅井りえさんと男と女
の関係はありました」と事実を認めたのであります。さすが天下の二枚目、
正々堂々としております。男をあげた、場面でございます。
私はガマンできず浅井りえの事務所の女社長に電話をしました。
「あんまりアクドイ真似はするもんじゃない」と怒鳴りました。
「だって監督、りえちゃんの一途な女心が可哀いそうで」と女社長は
臆面もなく尚も言いつくろうのでございました。
女社長の魂胆は見えていました。テレビで共演した大人の男と女の出来心の
一回きりの関係を、「愛人話」に仕たてあげ「自爆テロ」を敢行して
所属タレントの知名度を上げることを「画策」したのでございます。
お気の毒なのはワナにハマった古谷一行氏でございます。
古谷一行氏は「被害者」でございます。
しかしながらの古谷一行氏の態度はまさしく立派、悔やみごとの一言半句も
云うことがありませんでした。浅井りえ嬢は事務所の女社長の目論見通り
「古谷一行の元愛人」として名乗りを上げ、「著名人」の仲間入りをして
その後AVでも高額ギャラを得るようになりました。
しばらくしてストリッパーに転進、「古谷一行の元愛人」として
全国津々浦々の劇場廻りで、これまた人気者となったのでございます。
ここにアノ古谷一行のモノが入ったのか、
お客さまはことのほかの感概をもって魅入ったのでございました。
たった一回だけの大人の遊びだったのに勝手に「愛人」に昇格させられて、
全国の温泉場に何年もの永きに渡って「愛人」なる「貼り出し」を受けた
古谷一行氏には本当に迷惑をかけました。
関係者として改めてここに心よりお詫び申し上げるものでございます。
あの一件以来、私はお気の毒な古谷一行氏の大ファンになりました。
もう一人の「自爆テロ犯」は宮沢りえの事務所の社長、例のりえママでございます。
まだ彼女がそれほどの人気者となりえていなかった頃、縁あって彼女の
アフリカで撮ったりしたプロモーションビデオを手前どもが発売いたしました。
ところが、でございます。りえママが、これまた突如として多くのマスコミを
集め「記者会見」なるものを開いたのでございます。りえママの記者会見の模様が
テレビで「生中継」されてました。
りえママの片手には男性誌が握られています。りえママはその男性誌のなかの
一ページを開いて、カメラ目線でこう吠えたものでございます。
「私どものタレントの宮沢りえがアダルトビデオに出演したごとく宣伝し、
発売しようとしている不祥の輩がいる。断固として戦う」
「晴天の霹靂」とはこのことでございます。
りえママがページを見開きにしているのは、確に私どもが彼女のビデオを売らんが
ために宣伝した「広告」ページでございます。が、そのどれにも「アダルト・ビデオ」
なる呼称を使っている場所はありませんでした。
取材の報道陣からもそのことについての質問が出ました。それに対してりえママは
「ウチの宮沢りえの隣のページに掲載されているのは全部アダルトビデオですよ。
誰れもがりえもAVに出ているって勘違いするじゃありませんか」
ムチャぶりでございます。隣のページにアダルトビデオの広告があったら宮沢りえの
プロモーションビデオもAVと間違えられる、の理屈は誰れが考えても論理の飛躍も
飛躍、とんでもない言いがかりでございます。
しかしりえママはその言いがかりを平然と「公共の電波」を使って
行なったのでありました。事実はどうであれりえママはテレビで訴える、
ことを表明したのでありましたから、これからどのような展開になるか、
全く先が読めなくなりました。
とりあえずお取り引きのお客様にご迷惑をおかけしてはならない、
と発売中の彼女のビデオを全品回収して様子を見ることにしました。
がそれ以後、りえママの方からはパッタリと何んのリアクションもありませんでした。
りえママのとった行動は当然といえば当然の成り行きでございましたが、当方としては
果たしてアノ騒ぎはいったいなんだったのか、釈然としませんでした。
考えるに、りえママの戦略とは自分の娘でありタレントの宮沢りえが現在
マスコミの注目度としてどの程度のものがあるのか、その商品価値を確認する
目的があったのでしょう。
またなんでも話題にして騒いで、宮沢りえの認知度をあげる、という計算もあったのだ
と思います。
そしてりえママはあの記者会見の席で、時代の流れを感じとつたのだと思います。
自分が騒ぐほど、AVや裸というものに世間が嫌悪感を持つことがなくなっている
時代の「空気」を、学んだのでございます。
それから二年をたたずして篠山紀信による宮沢りえヘアーヌード写真集「サンタフェ」
が発売されました。篠山紀信によれば、写真集のアプローチは最初りえママからの方
からなされたのだそうでございます。
あの「自爆テロ」というべき「AVビデオ騒動」で嗅いだりえママの動物的直感が
そののち「写真集」となって結実したのでありました。
私の深く敬愛する師、芸能評論家の亡き加東康一氏は「人間が大好きだ、
人間は面白い、人間の最悪と最善のムキ出しの素顔を見せてくれる芸能という仕事ほど、
魅力的で面白く、興奮させられる仕事はない」と語られたことがあります。
スターにお手本のような生き方を大衆は望んでいません。魅せてくれればいい、
狂わしてくれればい、楽しませてくれればいい、のであります。
人生は喜ばせごっこといいます。
誰れとてこの世に「絶対に許されない」人間など一人もいないのであります。
好漢草なぎクン、北野誠氏の一日も早い「復帰」を心から期待するものでございます。
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