2009年5月1日
アルファ164
フィアット初代クロマ
GMとの共有車台を用いたアルファ・ブレラ
セルジオ・マルキオンネ。2007年7月、フィアット・チンクエチェント発表会で
■イタリア上陸阻止の歴史
経営危機に陥っているクライスラーとの提携話が大詰めを迎えたフィアットだが、その歴史を振り返ると、過去にもアメリカ企業とたびたび接点があった。いや、その始まりは「上陸阻止の歴史」といっていい。
20世紀初頭、世界で初めて自動車の量産化に成功したアメリカのフォードは、欧州各地にも生産拠点を計画、 実際イギリスとドイツに工場を建設した。第一次大戦後、イタリアにも工場を建設すべく、高級車メーカーだったイソッタ・フラスキーニと提携する。
しかしその計画は、ときのイタリア政府によって中止に追い込まれた。表向きはアメリカ巨大資本からの国内自動車産業全体の保護だったが、陰にはフィアット創業者のひとりで上院議員でもあったジョヴァンニ・アニエッリ(1世)の存在があったことはイタリア産業史上暗黙の了解事項である。
第二次大戦後のフィアットは経済復興に支えられ、着実に業績を伸ばしていった。
だが1960年代に入ると、再びフォードと鉢合わせすることになる。
1969年、不振に陥ったフェラーリをフォードが買収しようと試みたのだった。
結果として交渉はレース参戦費用を制限されることに納得しなかったエンツォ・フェラーリが蹴ってしまい幕を閉じるのだが、直後にジョヴァンニ・アニエッリ(2世)率いる当時のフィアットが「金は出すが口は出さない」姿勢を示しながら、フェラーリを傘下に収めてしまった。
1986年、フィアットは再度フォードと買収をめぐって対立する。イタリア産業復興公社(IRI)がアルファ・ロメオを売却するにあたり、フォードが買収に名乗りを上げたのだ。
両社の交渉がほぼ決まりかけた段階でフィアットが介入。アルファ・ロメオを買収してしまった。
ちなみに、翌年発表された高級車・アルファ・ロメオ『164』とフィアット初代『クロマ』は、開発当初は企業の垣根を越えたプロジェクトだったにもかかわらず、気がつけばグループ内の兄弟車になっていたという、奇遇の2台である。
■GMとの顛末
米国メーカーの上陸阻止に成功したフィアットだが、1990年代末になると自社製乗用車の販売に陰りが出始めた。
そのため、1997年からフィアットの意向を汲んだロマーノ・プローディ政権が自動車買い替え奨励金政策をスタートさせる。
ところがフィアットの思惑とは裏腹に、多くの国内ユーザーは輸入車に買い換えてしまったのだ。
背景には、当時のフィアット製乗用車に対するユーザーの評価が芳しくなかったことがあった。
フィアットは長年自らが形成してきた、ライバル不在の、いわば“ぬるま湯環境”に身を置くうち、競争力と商品性を失っていたのである。
後年イタリア製乗用車のシェアは30%以下にまで下落する。
そうした中、フィアットは創業100年の翌年にあたる2000年3月、ゼネラルモーターズ(GM)との提携という大きな決断に踏み出す。
調印の中には、GMはフィアットの自動車部門を2005年に完全買収するというオプションも含まれていた。
つまりフィアットとしては、“お荷物”の乗用車部門を売却し、開発費用や宣伝費も乗用車ほどかからず、利益率も高い大型商用車や建設・農業機械のみに特化することを意図していたのである。
しかし2004年に事態は一転した。
欧州における極度の販売不振が始まっていたGMは、フィアット乗用車部門の株式買い取りオプション撤回を提案したのである。
それに対しフィアットは契約違反であるとして、法廷闘争も辞さない考えを示した。
結果として2005年フィアットは、GMから違約金の支払いを受けることで、一部契約を残し提携を解消した。なおそのとき受け取った15億5千万ユーロは、翌2006年に達成するフィアット再建の“足し”として役立つことになった。
■試されるマルキオンネの自動車センス
かくもフィアットの歴史において、アメリカとの関係は複雑な経緯がある。クライスラーとの提携交渉を進めた背景には、フィアットのセルジオ・マルキオンネCEOが、これまでの人生の多くをカナダで過ごした二重国籍保持者であり、従来のフィアット経営者とはまったく違うヒジョンで北米大陸を眺める経営者であることがあろう。
いっぽうで、自動車の魅力についてどこまで理解しているのか、未知数だ。ただしハードウェアとして自動車を観察する筆者の視点からすると、不安もかなりある。
まずクライスラーの現行ラインナップに、魅力的な商品が少なすぎる。「ジープ」は従来欧州でも人気が高い珍しいアメリカ車の1ブランドだったが、世界的に小型車にシフトするなか今後は不透明だ。
またフィアットは当初、低燃費の小型車をクライスラー工場で生産する考えのようだが、主要自動車メーカーとして次に当然来るべきハイブリッドや日本では発売秒読みの電気自動車に関する具体的構想は聞こえてこない。
新型パンダ、グランデプント、チンクエチェントといったヒット作に目をとられがちだが、実はフィアット・グループの2008年事業別売上高をみると、乗用車の占める割合は依然49%に過ぎない。
つまりあとの半分以上は、トラックやトラクターなどの売り上げなのである。マルキオンネは世界自動車ビジネスの中でも屈指の財務マンだ。筆者の頭の中は、「もしやマルキオンネは、フィアットの乗用車部門をクライスラーと一まとめにし、最終的にどこかのメーカーに売却するのでは?」といった究極の仮説さえ浮かんでくる。
思い出すのは、戦後フォード社長を務めたロバート・マクナマラだ。経営分析のプロフェッショナルで第二次大戦中もコスト管理術で成果を上げた彼は、フォードでも当初再建に手腕を発揮する。
しかし、自動車そのものに対する知識が浅かった彼は、やがてすべてを数字で管理しようとした。
そのため従業員の士気は次第に低下し始め、新ブランド『エドセル』はアメリカ自動車史上に残る失敗作となる。
もしフィアットとクライスラーの提携が実現するなら、これからは、あのダイムラーが御しきれなかった病める米国の巨人をどこまで操り、かつ大西洋の両側のユーザーを満足させる商品をどこまで提供できるか? マルキオンネの自動車に対するセンスにかかっているといえよう。
歌うようにイタリアを語り、イタリアのクルマを熱く伝えるコラムニスト。1966年、東京生まれ、国立音大卒(バイオリン専攻)。二玄社「SUPER CAR GRAPHIC」編集記者を経て、96年独立、トスカーナに渡る。自動車雑誌やWebサイトのほか、テレビ・ラジオで活躍中。
主な著書に『イタリア式クルマ生活術』、『カンティーナを巡る冒険旅行』、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(いずれも光人社)。最新刊は、『Hotするイタリア―イタリアでは30万円で別荘が持てるって?』(二玄社)。