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検察の国家観

2009年4月30日 The JOURNAL
 最近出版された「『特捜』崩壊」(講談社刊)を読んだ。著者は産経新聞社会部次長の石塚健司氏である。東京地検特捜部の捜査を直接、間接に20年近く取材してきた。そのベテラン記者が平成20年に被疑者の側から特捜部を見る事になり、特捜部が捜査のプロとは言えず、信頼できない官僚集団になってしまった事実を思い知らされる。それが本書を書く動機となった。
 
 本書では特捜部の実態を紹介するため二つの事件が取り上げられる。ひとつは「大蔵省・日銀接待汚職事件」、もうひとつは「防衛利権のフィクサー」とされた秋山直紀氏の「脱税事件」である。前者は昭和23年の「昭電疑獄」で福田赳夫大蔵省主計局長(当時)が逮捕されて以来50年ぶりに大蔵省のキャリア官僚が収賄容疑で逮捕されるのだが、この捜査の内幕を読むと「検察の国家観とは何か」をつくづく考えさせられる。
 
 平成9年、大手都市銀行と4大証券会社の総会屋に対する利益供与事件から、特捜部は銀行や証券会社が大蔵官僚を頻繁に接待している証拠を押収する。そこから事件の筋書きが描かれキャリア官僚の証券局課長補佐がターゲットとなった。接待の数だけで言えば上司の局長の方が多かったが、課長補佐は実務を担当しているため立件が容易だった。
 
「護送船団」時代の大蔵省では業界とパイプを持つ事が優秀な官僚の条件であり、接待は慣行とされてきたが、事件に先立って「接待漬け官僚リスト」や「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」などがマスコミにリークされ、国民の怒りに火がついて、特捜部は世論を追い風に捜査する事が出来た。これが私の言う「ゲッベルス的情報操作」の手法である。マスコミによって国民は捜査する前から被疑者を悪者と思い込んでいる。
 
 贈収賄事件では収賄よりも贈賄の方が罪が軽い。贈賄側は罪を認めさえすれば被告にならずに済む場合がある。贈賄を認める供述調書に署名さえさせれば検察は事件を立件出来る。署名を拒めば「起訴するぞ」と恫喝する。この事件で課長補佐は業者にとって贈賄の対象ではなかった。接待を受けた多くの官僚の一人に過ぎなかった。しかし小額の会食まで「贈賄の趣旨があった」という調書が作成され、それが積み上げられていった。
 
 現金の授受がなく接待だけで贈収賄と認定できるのか。しかも後に逮捕された防衛省の守屋事務次官のように一対一の接待ではない。そしてこれら接待の中には東京地検から大蔵省に出向していた検事も同席していたのである。東京地検はこの「接待検事」を法務省、東京高検、最高検には報告せず、事実を隠蔽し続けてターゲットとなった官僚の逮捕に突き進む。上層部には「女性関係の遊興費も業者に負担させた」と嘘を報告し、逮捕のゴーサインを出させた。そこまでして50年ぶりのキャリア官僚逮捕に特捜部は漕ぎ着けたかった。こうしてキャリア官僚を含む計6人が収賄容疑で逮捕された。
 
 この背景には戦後GHQにより官僚機構の中枢に据えられた大蔵省と、GHQによって解体された旧内務省勢力との確執があると私は見ている。冷戦体制が終り、アメリカは「ソ連に代わる脅威」として日本経済の高度成長の秘密を分析した。それによって大蔵省を中心とする官僚主導体制が戦後日本の躍進の原動力である事が解明された。アメリカに倒産と失業をもたらした張本人は「大蔵省、通産省、東大赤門」である。アメリカはこれを「日本の三悪」と呼んだ。
 
 一方でバブル崩壊は日本の金融機関に巨額の不良債権をもたらし、監督官庁である大蔵省には「護送船団」方式の見直しが迫られていた。金融界を巡る不祥事が続発し、それが検察にとって大蔵省に対する反撃のチャンスとなる。平成4年に証券スキャンダルの影響から発足した証券取引等監視委員会の初代委員長に元名古屋高検検事長が起用され、平成8年には預金保険機構理事長に元東京地検特捜部長が就任、さらに同年大蔵官僚の指定席であった公正取引委員長にも元東京高検検事長が就任した。大蔵省の権力を次第に検察がそぎ落としていた。その延長上にこの事件は起きた。
 
 この事件を捜査指揮した人物は石塚氏に対し「あれは時代の要請だった。あの捜査によって時代は転換したと思っている。事後チェック型の社会になっていく重要な節目の楽割を果たした」と述べたと言う。「しかし」と石塚氏は考える。人生の名誉も地位も失った大蔵省のキャリア官僚は「時代」が求める生贄となったが、それが「適正」な法の執行と言えるのか。
 
 「防衛利権のフィクサー」とされた秋山直紀氏の脱税事件では、「政治家に金を渡したに違いない」との思い込みから逮捕され、振り上げた拳のおろし所がなくなった特捜部によって強引に「脱税事件」にさせられていく様子が、秋山氏の取材から生々しく綴られている。検察の言う「自白」がどのようなものなのかが良く分かる。
 
 ところで本書にはロッキード事件の「秘話」も紹介されていて、田中角栄とは別の有力政治家の口座に2億円余りの入金がある事を国税査察部が割り出していたが、東京地検は三木内閣の反発を買わないため事件にするのを見送ったとある。ロッキード事件で東京地検特捜部を取材した経験のある私は、あの頃日々取材をしながら、日本の権力機構にメスを入れ、病巣を摘出する権限を与えられた検事は、どこでどのような国家感を育み、それに誤りはないのだろうかと考え続けていた。
 
 結果として東京地検はロッキード事件の全容を解明せず、にも拘らずマスコミはそれを指摘するよりも東京地検を「最強の捜査機関」と賞賛し、田中的「金権政治批判」に狂奔した。その世論誘導によって「利益誘導政治」は「悪い政治」の代名詞とされ、政治資金は「規制」するのが当たり前と思わされた。それ以来政権を求めない野党とマスコミは事あるごとに「金権政治批判」を繰り返し、政治家の手を縛って官僚支配を有利にした。
 
 後に私はアメリカ政治を取材する事になり、「利益誘導」こそ民主主義政治の基本であり、政治資金の「規制」よりも政治資金の「透明化」こそ民主主義政治に大事な事だと知るようになる。ロッキード事件は日本人に欧米では当たり前の民主主義とは異なる考えを植えつけ、それを民主主義だと錯覚させた。
 
 今回の小沢秘書逮捕事件では検察OBからも特捜部の捜査手法に批判が上がっている。「政治資金収支報告書の虚偽記載」で「逮捕」というのはこれまでになかった事だからである。これに対して検察内部からは「時代が変わったのだ。グローバル時代には情報の開示義務がより大きな意味を持つ。それだけに虚偽記載の罪も大きくなる」との解説がなされていると言う。小沢秘書逮捕は「時代の要請」という論理である。それが事実なら、日本の検察は民主主義国家の検察なのか、その国家感を根本から疑ってみる必要がある。
 
 「グローバル時代になった」と言うのが理由ならば「アメリカの情報公開制度」を念頭に置いた話なのだろう。アメリカの情報公開制度は「政府の情報」を国民に知らしめる事が目的である。それは国民の税金よって収集された情報は国民に帰属するという極めて民主主義的な考え方に立脚している。しかし日本の情報公開の現状はとても「グローバル時代が到来した」とは思えないほど官僚の守秘義務に守られている。日本では国民の税金によって収集した情報を官僚が私物化して国民に開示しない。にもかかわらず政治資金報告書の記載で、実態のない嘘ならばともかく、間違い程度を罪に問う事が情報公開を理由に認められるはずがない。
 
 先日、日本記者クラブで会見した宗像紀夫元東京地検特捜部長は、「起訴」をする権限を持つただ一つの組織である検察を「監視・監督できるのはマスコミしかない」と言った。そのマスコミは「監視・監督」どころか検察の思うがままの情報を垂れ流す「ポチ」に成り下がっている。そうした中で石塚氏の「『特捜』崩壊」は検察の将来に貴重な材料を提供してくれた。今度は「検察の国家感」がどのように醸成されているのかを分析してもらいたい。
(田中良紹)
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。

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